平和の鐘(世界から集まったコインで作った鐘 | アーントマサコ★輝く未来へご案内

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マサコメソッドヒーリングスクール主宰
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平和の鐘



石垣島滞在中に、この日を知り、石垣市民会館前に、


作られた平和公園の平和の鐘を鳴らしに行きました。


世界中から、集められたコインで作った平和の鐘は


石垣市と、姉妹都市の稚内と、国連にあります。



平和の鐘が静かに鳴りました。


自由に鳴らすことができます。



私も順番に並んで鳴らしました。






その後バンナ公園に行き、戦争マラリアで亡くなられた方々の、


慰霊の碑に、お参りさせていただきました。



遺族の人達がお参りし、石垣市の記念の日でもあって、


学校もお休みとなります。



 戦争マラリアは戦争当時、日本軍が多数石垣島に来ました。



日本軍は島民を、マラリアの生息する地に追いやったが為に、


多くの島民の人達や、児童がマラリアの為に、命を失いました。



 戦後は返還されるまで、米国のカリフォルニア州となり、


米国の昆虫学者が、マラリアを撲滅しました。



サトウキビ畑から風がわき起こってきました。


心地よい風に向って歩きます。



私達は知らない‼️



琉球の時代に、薩摩藩により、人頭税を取り上げられ、


痛めつけられたことを‼️


第2大戦中は日本軍により、戦争マラリアにより、多くの島民が、


犠牲になっことを、親族に持つ人は、その悲しい事を覚えています。



持たない人も覚えています。



日本(大和)と言ったら、時代錯誤みたいだけれど、老人から島で聞いた。



北海道は「蝦夷」、本州は「大和」、九州は「火の国」、


「大和」に良い思いを持っていないとしたら、


じいさんが、ばあさんが、子供が、「マラリヤ」で死んだ事を


悲しい思い出として、ずっと語り伝えるでしょう。



戦争はお互いを傷つけ合い、永い年月、引きずっていきます。


悲しみを沢山重ねる戦争は、多くの悲しみを残します。



石垣島の人達の複雑な思いを感じました。



歴史的に見ても、たえず、石垣の人達は、支配を受けておりました。



16世紀の頃、石垣島は、琉球王朝により支配をされました。



その時、戦った時の八重山の支配者「オヤケ・アカハチ」の城壁が、


石垣空港に残り、八重山の人の誇りであり、また空港を


広げられない要因にもなっていました。



「オヤケ・アカハチ」の戦った時代から、もうすでに500年は、経過しました。


しかも、今も英雄です。


 

現実は完全なる日本人ですが、



根底には沖縄人、石垣人として、誇りがあります。



石垣島にあったショップ、ポテンシアから歩いて10分位の所に、


八重山平和祈念館があります。



この建物は、第二次世界大戦当時、石垣島の人達(八重山の人達)が、


軍部の強制移住により、マラリヤ原虫の多い場所や、マラリアの蚊が、


多く生息する島への強制移住により、多くの人達が、マラリヤによって、


亡くなりました。



 「戦争マラリヤ」と呼びます。もちろん、


現在では、マラリヤは撲滅されています。


石垣島は、アメリカ統治下の頃、カリフォルニア州に属しておりました。


アメリカ人の、昆虫博士、CMウイラー博士の指導により、



マラリヤ原虫は、撲滅された歴史があります。



館内に入る時に、何か物悲しい気持ちが、伝わってきました。



戦争当時の人々の生活の様子、当時の教科書、召集命令の赤紙、


多くの写真、マラリヤの、特効薬キニーネの、木も展示されていました。


館内には、私達以外、誰もいません。コンピューター映像を見ました。


 

今では、日本国が陳謝の慰霊を行っていますが、記録によると、戦前は、


本土、大和の支配を受けていたとの思いが、あるようです。



むしろ、アメリカの指導によりマラリヤを撲滅され、皆で一致団結して、


撲滅の成果を挙げたことを、誇りにしています。



1972年日本に返還はされても、そのことが、大和人を心から受け入れない、


結果があるとしたら、歴史の中で済んだことですから、オープンに、


一つながりになりましょう。



といっても、私ごときでは、無理でしょう



日本軍は、沖縄県民を戦闘に総動員し、本土決戦の時間かせぎの


「捨石」にしました。


15万人をこえる沖縄県民がその犠牲になりました。


沖縄本島南部の、平和祈念公園には、23万8000人の沖縄戦、


戦没者全ての方の、名前が刻まれた平和の礎(いしじ)があります。


 

『沖縄慰霊の日』のテレビ報道では平和祈念公園での


沖縄全戦没者追悼式で稲嶺沖縄県知事も小泉首相も、


それぞれ平和の大切さを述べ、世界の恒久平和を求めていました。



 「石垣でも石垣島事件、戦争マラリア、あるいは尖閣諸島での


戦時遭難者の問題等が 思い出されます。



特にマラリアのことについては、日本軍の命令により、


マラリアの有病地帯に強制的な疎開があり、


1945年に約半年間で3,600人余の方々が、


マラリアで命を落としました。



それは、軍の命令による疎開 が大きな原因となっていますが、


未だに国はそれを認めておらず、また遺族の方々は、


それに対して納得せず、国に対して様々な補償問題を提起している


ところです。」



前石垣市長談


 「石垣事件」とは、戦時中に石垣島を空襲した米軍機が撃墜され、


3人の米兵が捕虜となりました。その捕虜を日本軍兵士が首をはね、


銃剣で惨殺しました。



戦後、事件にかかわった兵士が、裁判にかけられ50名が死刑判決を受け、


うち7名が絞首刑になりました。


そして、2001年8月15日に石垣市新川に慰霊碑が建立されました。


「惨殺された米軍兵士は勿論だが、上官の命令で惨殺し、


死刑の執行を受けた日本軍兵士も、同じく戦争犠牲者です。」


との関係者の発言が筑紫哲也のニュース23で報送されました。


1954年に戦争の悲惨さ、核廃絶、平和の尊さを訴えて、当時の国連加盟国


65ケ国の コイン、メダルを銅と合金して鋳造した「世界平和の鐘」を


ニューヨーク国連本部に寄贈したのが 「世界平和の鐘」の由来です。






同じ趣旨で、世界103ヵ国のコインと銅で鋳造した平和の鐘が、


1988年に石垣市に建てられました。


「世界平和の鐘」設置場所
(日本)
1.(沖縄県、石垣市)
2.(北海道、稚内市、宗谷岬)
3.(大阪市、鶴見区緑地公園)

(海外)
1.ニューヨーク (国連本部)
2.ドイツ(ベルリン市)
3.ポーランド(ワルシャワ市)
4.トルコ(アンカラ市)
5.カナダ(オタワ市)
6.メキシコ(メキシコ市)
7.ブラジル(ブラジル市)
8.モンゴル (ウランバートル市)
9.オーストラリア(カウラ市)
10.フィリピン(ケソン市)
11.アルゼンテイン(ベノスアイレス市)
12.エクアドル(キトー市)
13.アメリカ合衆国(ロサンゼルス市)
14.スペイン(アルコペンダ市)
15.ウズベキスタン
16.ニュージーランド(クライストチャーチ市)


 

沖縄本島の小学生児童が、りんとした声で、


平和の訴えをしているのをニュースで見ました。


人の痛みを知ること。平和の今に生きること。なんと素晴しい言葉でした。



 平和の鐘


石垣市の平和の鐘を鳴らしに行きました。

今日は誰でもが、鳴らしてよい日です。

平和の鐘を鳴らしました。

市民や、小学生達も友達と訪れては、

鐘を鳴らし手を合わせていました。



何も体験していない小学生達も、家庭や、社会が教育をして、鐘を鳴らし平和の訴えをしています。素晴しい教育の成果です。


        青空に 平和の鐘音(かね) 美く響き



平和の日々が長く続きますように。


6月23日は、日本軍沖縄戦を終結日、『沖縄慰霊の日』2004年~2006年の取材