沖野ブログは主に障害者陸上競技や義足の情報発信のために始めたので、あまり私的な事は書くべきではないかなー?と思いつつも、せっかくなので書こうと思っている沖野です。




そうです、沖野敦郎(オキノアツオ)は12月17日をもちまして・・・


33歳になりました!!


うーん、なんとか生きてこれました!!


今まで好き勝手に生きてきて(おそらくこれからも好き勝手に生きていくと思いますが・・・)、沢山の人に迷惑をおかけしたことを、この場を借りて謝罪させていただきます。


申し訳ありませんでした(;一_一)



さてさて、ざっと人生を振り返ると・・・


勝敗をはっきりさせるスポーツがしたくて神戸市立平野中学校陸上競技部に入部するも、部員数が100名超いたので走る種目では試合に出れず、背の高さを利用して走高跳び・今はなき三種競技A(100m・走高跳び・砲丸投げ)を行い、兵庫県立北須磨高等学校では足が速くなり、リレーを走りたくて走幅跳び・三段跳び・4×100mR・4×400mR、その後、ドラえもんを作るという夢を実現するために山梨大学工学部機械システム工学科に入学しつつ、引き続き大好きな走幅跳び・三段跳び・4×100mR・砲丸投げ・円盤投げをしていました。


その頃、このまま学部を卒業して大学院に進学することに疑問を感じ、自分の人生を見つめ直す・・・。


そして、人生の方向性に迷う・・・。


ここで転機が訪れました。



偶然TVで見た「シドニーパラリンピック」で走っている大腿義足アスリートの姿に一瞬でココロを打たれ、


「こんなスポーツ義足を作りたい!!そして、義足アスリートと一緒に走りたい!!」


という熱い思いを抱き、エンジニアから180°方向転換して、義肢装具士になるために山梨大学を卒業後に国立障害者リハビリテーションセンター学院に入学。同級生の高橋将太くんの誘いから、臼井二美男氏が設立した障害者陸上クラブ「ヘルスエンジェルス」に出入りするようになり、ますますスポーツ義足に対する思いが強くなりました。そして、卒業後に憧れの臼井氏が在籍する(財)鉄道弘済会 義肢装具サポートセンターに入社しました。


入社後はますます積極的にヘルスエンジェルス選手の活動をサポート。その活動が評価され?!北京パラリンピック開催の8ヶ月前に日本身体障害者陸上競技連盟役員の塩家吹雪氏に召集され、義肢装具メカニックとして急遽ジャパン入り。


その後は数々の海外試合に帯同させていただき、会社も海外遠征を認めていただき、現在では何不自由なく好きなことをやらせていただいています。


本当に幸せな人生を送れていると思います。



さて、日曜日は14時半から東京都障害者総合スポーツセンターにて年内最後の「ヘルスエンジェルス」練習会があり、17時からは1年間の報告会が開催されます。


義足の方、ご家族の方、義足に興味をお持ちの方、どなたでもご参加ください。もちろん飛び入り大歓迎です!!