「正しさ暴力」について考えてみた。 | ポンポコ通信

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開業税理士です。接していて気持ちのいいお客様と穏やかにお仕事してます☆法人・個人事業の決算申告代行、サポートが主なお仕事です。

年末です。忙しいです。

けど今年は結構サクサク仕事が進んでます。

 

ちょっと前から断捨離中です。

ほんとは11月に秋の断捨離祭りを行う予定でいたのですが、冬になっちゃいました。

やりたいと思ってたことを実行すると、(つられて?)いろんなことがスムーズになりますね。

 

というわけで、

最近気になっていた「正しさ暴力」について、まとめてすっきりしてしまおう企画です。

 

「正しい」というのは一種の暴力だから言っちゃいけない、という主張の方がいます。

それぞれの人(とか組織)の「正しい」がちょっとづつ違って、それが争いのもとになる。

争いを起こさないためには、自分の「正しい」を押し付けないことが大事。

 

それはその通りだと思う。

 

なんだけど、

「言っちゃいけないから言わない」というのは、

「言ってしまった私はダメ人間」とか「言っちゃいけないことを言ってるあの人を責めてもいい」になりがちで、

結局のところ、争いのもとにしかならないような気がする。まさに本末転倒。

 

 

それより、むしろ「言っちゃいけないことを言ってしまう自分」を受け入れるほうが先じゃないんだろうか。

 

そうすると「言っちゃいけないことを言ってるあの人を責めずにいられる(自分も同じだから)」

 

人を責めないってだけで、相当心が穏やかになると思うし、その結果争いが少なくなるような気がする。

 

そのうえで、「正しい」ってなんだろう、とか、自分が「それは正しい」と言いたくなるときってどういうときなの?、というのをじっくり考えてみたらいいと思う。

 

反射的に「それって間違ってるから!」とか「私が正しいから!!」と伝えるのではなく、

「あ、今、私は「それって間違ってるって思った」んだけど、なんでだろう」と一呼吸置くことで、

自分の思い込みに気が付くこともあるかもしれないし、

それはそれとしてやっぱり違う(不愉快)と思えばそれでいいし、

もしかして反撃が必要な時もあるかもしれないし、

そんな感じで、もっと柔軟に対応していこうよ、という感じですかねえ。

 

その結果、

言っちゃいけないといわれていることを

「言っちゃいけない、と言われてるから」言わない、ではなく、

「自分が心地悪いから」言わない、ということが自然にできれば、

その人の正直な素の発言なので、無理をしている感がなくなるような気がします。

 

あ、そうか、無理をしている=偽ってる感があるのが、なんだかなーと思うのかもしれないな。

 

そう考えると、「やっちゃいけない」と思い込んでることを、どこまで「それをやってもいいんじゃないの」と思えるようになるか、というのは、ちょっとおもしろそうな企てですね。ふふ。