妹からのメールが来てて
 

父が「死にたい」って

 

言うって
 

だから私

 

「そうなんだ私の死にたいは

 

落ち着いたとこだからできる

 

ことあったら言ってね」

 

と返したけど

妹は死にたいと思うこと

 

自体が理解できないらしい
 

そこが今まで生きてきた

 

世界の違いなのかな

 

妹は娘として育てられた

 

その記憶は長いこと

 

封印してあったようです

 

私は今回フラバの嵐で

 

蘇った記憶は

 

私が母と父と妹の中に

 

入れない何かがあって

 

それは私が醜いからだと

 

母に言われていたことです

 

目もあてられない不細工

 

なので結婚もできないだろう

 

から早く手に職つけて働けと

 

家に金入れてもらわなきゃ

 

なんないんだからとも

 

学校では私は本当は

 

奨学金もらって大学に

 

行く準備をしない?

 

と先生に言われていた

 

中学2年くらいの時

 

なんでかというと

 

私はテストの試験で

 

100点だけとっていたから

 

これは私の

 

障害のひとつであることだと

 

知ったのは最近のことです

 

授業に出るとその授業が

 

全部頭にインプットされて

 

しまうのでテストの時は

 

その授業の様子を

 

脳の引き出しから出して

 

授業をみながらテストを

 

書けばよかったんです

 

でもそれを人に言うと

 

嫌われるのだということ

 

その時の私は

 

知りませんでした

 

みんなそうだと思ってました

 

でもそうでないことを

 

知ったのはなんと

 

今のカウンセラーさん

 

が教えてくれたんです

 

「でも悪気はないんだよね」

 

って笑顔で教えてくれました

 

話をもどして・・・

 

私はだから・・・

 

ずっと私は醜いから

 

学校でも家でも

 

嫌われるんだと思ってました

 

ずっとそう思ってきました

 

だから私は嫌われるんだって

 

醜いから・・・

 

だから母が出て行って

 

妹もついていって

 

父が残ったけど

 

ほどなくして父も

 

母のとこに行ってしまった

 

ひとりぼっちになった

 

アパートで私は

 

何も起こらない

 

空白の時間と空間が

 

耐えられなくて

 

酒を飲み始めました

 

初めて飲んだのに

 

ウィスキーのボトル

 

1本飲んでもなんとも

 

なくてやっと寝られる

 

そんな日々でした

 

私はそれから

 

変な決まりを自分で

 

作っていました

 

酒は夕方5時過ぎない

 

と絶対飲まない

 

それができたのが

 

不思議なのですが

 

またまた不思議なことに

 

就職して寮で暮らし始めて

 

はじめは飲んでましたが

 

そのうちダイエットに

 

興味が出てきて

 

痩せたら綺麗に

 

なるんじゃなるのかも

 

そんなことを思って

 

ダイエットを始めて

 

いつしか酒のカロリー

 

も許せなくなって

 

酒をきっぱり止めました

 

考えてみたら

 

 

もうその時すでに

 

ダイエットではなく

 

拒食症になっていた

 

のだと今は思います

 

 

        つづく

 

 


 

 

今回のフラッシュバック

 

で私はたくさんのことを

 

思い出したというか

 

体験しましたがそのこと

 

について少しづつ

 

書いてみようと思います

 

今まで時間軸が

 

繋がらなかったのが

 

よくやく繋がったみたい

 

なのでここ正念場かな

 

と思ってますo(((*`・Д・´*)))o゚.:。+゚

 

 

 

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