三信ビル 解体準備中

三信ビルの解体がはじまったとのことで、見に行ってきました。
見事にアサガオ(って言うらしいんですよ、この白いパネル)に覆われつつあり、いよいよ取り壊されるんだなあと。
ちなみにパネルに覆われる前の三信ビルはこんな外観でした。↓
(去年の11月くらい)

近代建築好きにとっては、複雑な思いでいっぱいなのですが、5月6日の日経新聞のコラムで
三信ビルのことが書いてありました。以下、全文引用します。
▼吹き抜けの天井にはアーチが連なり、随所に凝った装飾が施されていた。2階の回廊から眺めわたす空間は様式美の極みだった。1930年に完成した東京・日比谷の三信ビルである。この名建築の取り壊し工事がついに先日始まった。
▼老朽化したり再開発のあおりを受けたりして、近現代の建造物が次々に姿を消している。最近の東京に限っても、各地の同潤会アパート、江東区の食糧ビル、銀座の交詢ビルなど枚挙にいとまがない。昭和初期のオフィス建築の風格を伝える三信ビルには活発な保存運動が起きたが、やはり流れは変わらなかった。
▼「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」。坂口安吾は第2次大戦中、あえて主張した(『日本文化私観』)。非常時ゆえの切迫した実用主義だ。今は再開発ラッシュとはいえそんな切迫感はないはずだから、立ち止まって考える余裕もほしい。
▼すべての歴史的建物を残すことなどとても無理だろう。それなら、これはと思える作品だけでも知恵を出し合って保存できないものか。この連休は東京ミッドタウンや新丸の内ビルといった都心の新名所に見物客が押し寄せた。その陰で、茶色い煉瓦(れんが)の三信ビルは殺風景なシートに取り巻かれて消滅を待っている。
僕の思っていることが、(僕にはとても書けないですが)日経新聞のコラムに書かれていて、うれしかったです。
コラムで書かれている「2階回廊から眺めわたす空間」とは、以下の眺めです。

あと1階のエレベーター前も、今のビルにはない重厚さと華麗さがあり、好きでした。

<写真をいくつか>

かろうじて上部の装飾が見えています。

全体的にはこのようなカンジでアサガオに覆われています。
写真には写っていないですが、この下にガラ搬出ゲートと思われるゲートが2つ作られていました。

日比谷公園側からの写真です。
三信ビルは1929年(世界恐慌の年)に建設されました。約80年でその歴史の幕を閉じることになります。
80年後、東京ミッドタウン、新丸ビルがいったいどのようになっているのでしょうか?
今の三信ビルと同じ運命をたどるのではないか。などと思ったりしましたが、残念ながら多分生きて
いないと思うので見届けることができません。
近代建築好きのブログだと、よく解体報告ブログになっちゃったりするんですよね(苦笑)