「私」はだれのもの?

エゴにとっては当然「私は私のもの」です。




「自分のことが大好き」と言ってても、「自分なんか好きになれません」と言ってても、「私は私のもの」だと思っている限り、どちらも同じ「本当の自分を見失っている状態」だと思います。

幻想の自分のことを、好きになろうが嫌おうが、同じだと思います。



でもコースを学んでいると「私というのは、私ひとりのものではないんだな」ということに気付かされます。

だって私は神・全体の一部なんですから。

すると「自分一人が幸せになる」ということが不可能なんだとはっきりとわかります。

「私の幸せ」なんてものは存在しないということが。

全体が幸せでないと、私も幸せでないんだということが。




そうなると必然的に、「私」を「私の幸せのため」ではなく「全体の幸せのため」に使わずにはいられなくなります。

それしか、自分が幸せになる方法はないとわかるからです。


と言っても大げさなことじゃないですよ。

特に最初の一歩はごくごく小さく、たとえば職場で自分の立場のことでなく、職場全体のことを考えるようになるとか、みんなでワイワイお食事中に、自分が楽しいかどうかでなく、その場に居る全員を思いやるようになるとか、そういうことから始まると思います。

今すでに居るその場で「私は私のもの」が終わり、「私は全体の一部」が始まります。

全体に自分を捧げるということが、それぞれの場で、無理することなく、始まります。




そしてこれが始まると、今まで問題だと思っていたことのほとんどは、一気に消えてしまいます。