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蒼い炎
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蒼い炎II-飛翔編-
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誰でもできることじゃないと思う。ソチで金メダルを獲る前から続けてきたこと。人は年齢では決してなくて、その若さで常に一貫した発言をし、一流のアスリートとしての責任を全うしてきた強さと優しさに、心から敬意と感謝を表したい。
さて、4大陸選手権が終わり、親切なファンの方々による海外の解説の翻訳や、先日のJスポの杉田秀男氏の解説も聞かせていただいた。
結弦くんに対するPCSがもっと出ても良かった・・・という、長年国際大会でジャッジを務められた杉田秀男氏の解説に、溜飲が下がる思いがしたファンは少なくないと思う。海外の解説も絶賛の声が高かった。
ただその一方で、少し気になるコメントがあった。いつも楽しみにしていたブリディッシュ・ユーロスポーツだ。もちろん私は結弦くんのファンではあるけれども、そういうことを抜きにしても、やはり何か考えさせられるコメントだった。
ブリティッシュ・ユーロスポーツの4CCフリー、Hope & Legacyの解説、演技終了後の振り返り
“ I felt that the commitment to the program and interpretation wasn’t as good as Shoma’s.” と言われていたかと思う。
日本語に訳すと、
「プログラムに対する“コミットメント”や“解釈”がショーマ(宇野選手)ほど良くなかったと感じた。」となるだろうか。
“commitment”という単語は日本語にするのが非常に難しい。日本語でも最近よく「コミットメント」とそのまま使われていることが多いように思う。次の説明が少しわかりやすいかもしれない・・・。
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commitmentの訳語は「約束、公約、献身、傾倒、義務、責任、関わり、投入、委託、収容」など。文脈によって日本語ではいろいろな訳語となり、その実体をとらえにくいですが、中心的な概念は「決意」です。簡単に言えば、「やる!」ということでしょう。両こぶしを握って決意するイメージです。何かに「責任を持って取り組むと決意(して約束する・実行)すること」です。
出典:http://bookclub.japantimes.co.jp/act/Word.do?id=129
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海外の解説はよく「お茶の間解説」と称されて、日本の解説より面白いと感じられることが多い。
しかし、今回のブリティッシュ・ユーロの結弦くんのフリーの解説については、解説者の「個人的な音楽の嗜好」と「選手個人の表現力に対する評価」がごっちゃにされた発言だったと私には感じられる。
フィギュア・スケートのプログラムの評価には、技術面でのスコアと芸術面でのスコアがある訳だけれど、こうしたコメントを耳にすると、ジャッジもTES専門とPCS専門に分けて、それぞれの分野の専門家が別々に評価した方がよいのでは?という極論にまで、私などは至ってしまう。
自然との共生を選んで生きて来た日本の家屋の造りは、木や紙、土などを使用するのが伝統的だ。一方、欧米の建物は堅牢で、自然と人との間に分厚い壁を築く。
ちょっと極端な例え話かもしれないけれど、秋の夜長に聞こえてくる虫の音を「風流」と感じるか、「雑音」と感じるか、といった感性の違いのようなものが、フィギュア・スケートのジャッジにも現れるのかもしれない・・・。
昨年と同じプログラムを使用している選手や、自分の得意な方面の音楽を使用している選手は比較的、芸術的評価を受けやすい、ということは実際ないのだろうか。
ジャッジウケや万人ウケする音楽、つまり音楽そのものが場を盛り上げるようなプログラムの方が、芸術的な評価が高まる傾向というか・・・。
シロウトの計算なので、こんなところに書いてよいのかちょっとためらいつつ・・・(あまり真剣に受け止めないでくださいね、軽く流してください。)
GOEをプラスで比較すべきか、マイナスで比較すべきか、わからないけれど。
【4CCのフリー、GOEのマイナス合計点】
結弦くん - 0.06
ネイサン - 3.66
宇野君 - 6.54
パトリック - 10.34
結弦くんのGOEのマイナスはわずか0.06点、1点に満たない唯一の選手でダントツの出来栄え。
GOEが実際PCSにどのように、どれくらい影響するのかわからないけれど・・・
【PCSの比較】
結弦くん 94.34
パトリック 92.58 (結弦くんとの差 - 1.76)
宇野君 91.08(結弦くんとの差 - 3.26)
ここでイタリア解説を引用
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M:演技構成点で何点出るか見てみよう
宇野昌磨は91点だった
この2人の間にはデフォルトで5-6点の点差はあるだろう
出典:「惑星ハニューにようこそ」のミラノ在住さんの翻訳による
*デフォルトとは「通常時」という意味です。
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ここで私が言いたいのはジャッジに対する文句ではなくて、選曲による有利・不利というものがあるのか、また、あったとしたら、それが実際の評価に影響があるのかどうか、という疑問なのだ。
肉汁の滴る分厚いステーキに、ガッツリフォークを差し込んで赤ワインと一緒に堪能する類のプログラムと、自然の彩りを添えた美しい皿に盛られ、箸をつけるのもためらわれるような繊細な日本料理を味わう類のプログラムは背景が全く異なり、明らかにその・・・それに評価を下すジャッジ側にも、かなり高度な芸術への理解力と審美眼が求められるような気がする。
(ここではプログラムの優劣を言っているのではありません。)
近年、「美味しい、素晴らしい」と和食の評価は世界的に高まっているけれど、そうは言いながら、実際本当にそう思っている欧米の方々ってどのくらいいるのだろう。
接待で高級な和食の店に連れて行かれ、触れれば壊れてしまいそうなその儚い美の世界に触れてさえも、「やっぱり味付けの濃いステーキをガッツリ食べる方がうまい。」と心の中で思っている人々は案外多いのではないか。
ソチ後の結弦くんの挑戦は、本当に大変なものだったと思う。
SEIMEIも最初は訳のわからない音楽だと受け取られていた向きもあった。それでもシーズン後半には確固たる評価を勝ち得たのは、一重に結弦くんの努力が実を結んだのだと言える。
Hope & Legacyは非常にアジア的な音楽で、アジア圏外の人々には耳馴染みがなかなかしにくいものだろう。
日本のファンは熱心で、フィギュア・スケートのプログラムに選手が込めた意味だとか背景だとかをよく勉強し、真面目に「鑑賞」する人が多いけれど、北米では巨大なポップコーン・バケツを腕に抱えて観戦する、といった光景は珍しくないようだ。
結弦くんは決して、他の選手達に比べてプログラムに対するコミットメントや音楽的解釈が劣るとは思えない。むしろ逆である。
彼ほど多種多様な音楽に素晴らしい解釈と順応を見せ、音楽と一体化できるスケーターは本当に稀有な存在だ。
SEIMEIやHope & Legacyといったプログラムを、他の男子スケーターが滑る場面が私には想像できないが、その逆はできる。
だから、今季、結弦くんのPCSがイマイチ盛り上がりをまだ見せていない背景には、まだ完璧なものが見せられていないということもあるかもしれないけれど、それでもこうした文化的な背景の違いというものもあるのではないかと感じている。
ただ、そこを乗り越えていくことを結弦くんは目標としているのであって、自らイバラの道を歩もうというその選択に、最後は大きなご褒美が待っていることを期待している。
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ここで振付師のシェイ=リーンさんがHope & Legacyについて語ってくれている。
「これはユヅルが心から滑りたいと思った曲。1998年の長野パラリンピックのテーマ曲。この年にぼくはスケートを始めたと話してくれた。彼の人生における様々な経験、彼が氷に足を踏み入れた瞬間からこれまでに、彼自身が経験してきた旅を、そのままプログラムの中で描きたいと思った。」
「オリンピックで金メダルを勝ち取った後、新しい夢を追って、自分を信じ、いかに困難に打ち勝ち、良い時も悪い時も進んできたのか、その旅路を描きたいと思った。」
「プログラムの最初の部分は静かな始まり。しだいに彼は氷を知り、自分自身を開放できるようになる。本物の旅が始まる。上がったり下がったりのジェットコースターのような旅。それをフットワークを通して表現している。」
振付で両掌を見つめるシーンについては、
「ユヅルは鏡の中の自分自身を発見する。多くの場合、自分の最大の批判者は自分自身。でも、次の瞬間、彼は鏡を壊し、進み続けようとする。」
そして最後、閉じた両手を観客に向かって広げるシーン
「彼は勝利と夢を独占しようとはしない。一度抱きしめると、腕を開き、心を開いて、希望とインスピレーションを世界中の人たちと分かち合う。」
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これが結弦くんのプログラムに対する「コミットメント」である。
ただ、こうした背景を、日本のフィギュア・スケート雑誌を読んでいるはずもないブリティッシュ・ユーロの解説者や、ジャッジは知らないだろうし、たとえ知っていたとしても、やはりそこには虫の音を「雑音」ではなく「風流」と感じる情緒がなければなかなか理解が難しいところかもしれない・・・(ちょっと言い過ぎかもしれないけれど)。
ただ、
「自分の中でできてると思っていたことができていないと言われて、すごく悔しいんですけど、でも、できてないと言われることによって、『もっときれいにできるんだ』って思えるんです。」
(蒼い炎Ⅱより)
と結弦くん本人も語っていたので(結弦くん、君はいったい何という人なんだ!!)、Hope & Legacyの伸びしろにはまだまだ期待できる。
若い選手たちのPCSが上がってきているのは、選手としての成長もあるとは思うけれど、一方で、自分の得意な分野、ジャッジに受け入れられ易く、フィギュア・スケートに合った音楽、というものを選曲している、という戦略も効いているように思う。
ただしかし、ブリティッシュ・ユーロのようなコメントは、来年のピョンチャン五輪の選曲の参考にもなるかもしれない。
今季、レッツ・ゴー・クレイジー、Hope & Legacy、ノッテ・ステラータと全くジャンルの異なる3つのプログラムに挑戦したことは、結弦くんの音楽の解釈の力と表現力の成長を印象づけるのに良い選択だった。
五輪向けの選曲については、ジャッジ側の様々な背景も考えつつ、自分が感情移入できるベストな音楽を、ブライアンや振付師、関係者の方々の意見などに耳を傾けつつ、選んでもらえたらよいなと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=gWUpAuyyKKA
個人的には「カルミナ・ブラーナ」を私は予想している。
ソチ五輪の選曲で「ロミオとジュリエット」と共に最後まで選択肢の一つとして、結弦くんが残していた曲だったとどこかで読んだことがある。
誰もが演じられるものではない壮大な世界観。元々彼はこうした劇場型のプログラムが得意である。
ソチ後、細部の表現力を高めるために旅に出た彼は、そろそろ原点へ回帰してもよいような気がしている。
つまり、機は熟しつつある。17歳のロミオの旅とその帰還を見てみたい。
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フィギュアの採点、審判はどこを見ているか 日経新聞(1/4ページ)2014/1/23 7:00
曲の解釈は音楽の持つ雰囲気や情感を選手がどれだけ出しているか。「滑りそのものが音楽だ」となってくると高い得点が出る。たとえば浅田、鈴木明子(邦和スポーツランド)はそれを感じさせる選手だ。経験が浅い選手には情感を出すことは難しく、年齢が左右する部分でもある。(杉田氏の記事です。)
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO65539700Z10C14A1000000/?df=4
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杉田氏の言われる「年齢」と「経験」。
今度の五輪では、これが結弦くんの最大の武器ともなる。
結弦くんはソチでは成長の途上で金メダルを手にした。
でもそれは、金メダルを獲った後の使命を神様から託されていたという意味での金だったように思う。
つまり、ソチの金は彼自身のため、というよりは、大震災で傷ついた日本の人々のための希望の金メダルだった。
結弦くんはまだ・・・自分のための金メダルを獲っていない。
五輪という舞台は、アスリートがそのキャリアにおける技と経験のすべてを集大成させる舞台だと思う。
4年に一度しか巡ってこないのにはそのような意味がある。全てのアスリートがそこを目指すのはそうした理由からだと思う。
ソチの金は皆のためだった。
結弦くんがピョンチャンで手にする金は、結弦くん自身のためであってほしい。
誰よりも重い荷物を背負い、険しい道を進むことを自ら進んで選択し、ソチ後の日本に勇気と希望を絶えず与えてくれた一人のアスリート。
彼が今度は自分のために獲得する、ピョンチャンはそんな五輪本来の金メダルになってほしい。
その前にヘルシンキのワールドだけれど、さらに洗練された演技を心から期待している。