究極を目指して・・・ | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

「プロフェッショナル ~仕事の流儀~」
2016年5月2日NHK放送を振り返って

牛田くんのテレビ出演は本当に久しぶりです。インタビュアーも松岡修造さんということで、楽しみにしていました。

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【感動の往来】

松岡修造さんのインタビューの中に「表現力を出すとはどういうことか」という質問がありました。それに対して牛田くんはこんなことを答えていました。

「自分らしさは紙一重だと思う。気をてらってはいけない。『どうだ、俺にしかできないだろう』というのはお客さんにも嫌われてしまう。そうではなくて、その人が100%感動できる、その感性をお客さんにも共有してもらいたい。」

結弦くんもこんな発言をしていたことがありました。

「無理矢理押し付けるのではなく、皆さまが何かを感じ取っていただき、またそれを大切に思っていただければいいと思う。」

結弦くんと牛田くんの表現に対する共通の思い・・・。「押し付けるのではなく、共有したい」。「天と地のレクイエム」の作曲者、松尾泰信さんもおっしゃっていた「感動の往来」のステージ。

私が思い描くイメージは「アーティストと観客というプラスとマイナスの電極がつながって電流が流れ、強烈な光が生まれる」というものです。

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そこで流れた電流は、演じる側にも観客側にも、生きるための強大なエネルギーをもたらす・・・。二人とも十代の頃から、表現者として最も大事な資質を持ち合わせていたということではないでしょうか。

【幼い頃から本物を目指してきた】

牛田くんも結弦くんも幼い頃から頭角を現し、それ故、過熱する人気とどうつきあいながら自分の目標へ向かって成長していくかという葛藤があったと思います。番組の中で牛田くんは、

「ピアノが弾ける子役、タレント・ピアニスト的な印象を持たれている自覚はある。演奏を聴きに来ていないお客さんもいると思う。タレント・ピアニストになる気はさらさらない。演奏で『ああ、この人は本当のクラシック・ピアニストなのだ』と思ってもらえる演奏をしたい。」と言っていました。

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結弦くんも度々、「ぼくはアスリートですから!」と発言することがあるように、二人とも冷静に客観的に自分を見つめながら、置かれた状況と対峙し、技術を磨いてきたのだなと思います。

自分の演技や演奏で本物を目指したい、またそれを証明したいという相通じる想いがあるのではないかと。しかし同時に、ファンの皆さんを思いやる優しさを決して忘れることもない。お二人の対談が本当に実現してほしいなと思います。

【唯一無二の表現】

結弦くんが幼い頃からプルシェンコ氏に憧れてきた話は有名ですが、結弦くんは彼のようになりたいのではなく、「彼のような唯一無二の存在になりたい」と言っています。

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先日ブログに挙げた美輪明宏さんのコメントにもありましたが、メダルや評価はそれを目指して獲られるものではなく、最高の自分の表現を達成した結果、後からついてくるものだという考え方が重要だと。究極のオリジナリティの追求です。

お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩いて天と地を指さし、『天上天下唯我独尊』と言われた、という伝説がありますが、これは「自分が一番エライのだ」という事ではない訳です。

「一人ひとりの存在が、誰も代わることのできない尊い存在である」ということ。

人としてこの世に生を受けたからには、一人ひとりがそれぞれの最高を目指して生きようということではないでしょうか。結弦くんにとってそれはスケートであり、牛田くんにとってそれはピアノなのでしょう。

【個性を伸ばす育て方】

結弦くんも牛田くんも、幼い頃に本当に素晴らしい指導者の方々に出会っています。そこにある共通点は子供の個性をつぶさないよう、それを伸ばそうという考え方のようです。

牛田くんの恩師金子勝子さんは、牛田君が楽しんで弾くと、その隣で踊り出したとか。そうして牛田君は自分らしく弾くことの喜びを見出していったそうです。

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金子さんは
「正しく弾くだけでなく、表現力豊かに、楽しんで弾きなさい。自分だけ楽しんでいてもしょうがないが、自分が楽しくないものは人に楽しみを与えることなんて絶対にできない。まず自分が楽しくないとだめ。」
と幼い牛田くんに言い聞かせてきたとか。

牛田くんの言葉で印象的だったものがあります。
「この演奏はある意味で、嫌うお客さんも必ずいる。でも、好きとも嫌いとも言ってもらえないような演奏はしたくない。」

結弦くんも
「万人に評価されることは難しい。その事実を受け入れた上で、どんな方が見ても素晴らしいと思ってもらえる演技を目指したい」と言っています。

万人に評価されることは難しいけれど、自分の目指すものを極めることで、それをも乗り越えて行こうという二人の若いアーティスト。

究極のオリジナリティの追求こそ、優れた表現者に求められる資質なのかもしれません。

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結弦くんが昨シーズン挑戦したSEIMEI。彼はまさに「和」のテーマで世界に認められるオリジナリティを発揮するという難題を乗り越えてみせました。

右手の主旋律だけではなく、楽譜を研究することによって思いもかけず発見できた魅力的なメロディー、隠れたエッセンスにも光を当てたい・・・という牛田くんの楽曲に対する独自の解釈。

万人に評価されることが難しいという事実を受け入れた上で、これを極めることによって、この難題を乗り越えたいという思い。

結弦くんのSEIMEIへの挑戦と成功は牛田くんを大いにインスパイアしたのではないでしょうか。


【優れた表現者は崖っぷちを目指す】

当時17歳だった結弦くんが、ニースで開催された世界選手権で演じた「ロミオとジュリエット」は不朽の名演技となりました。

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それを皮切りに今日に至るまで、結弦くんは様々なアクシデントに見舞われては驚異的な精神力を発揮し、後世に語り継がれる素晴らしい演技の数々を私たちの記憶に残してくれました。

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牛田くんも印象的な言葉を残しています。
「追い詰められると音楽に没頭できる。音楽以外に逃げ場がないから、音楽に自分のすべてを注ぎ込める。そういう緊張、そういう環境を作らないと、全てのエネルギーを曲に込めることができない。」

その日、島根県のコンサート・ホールで牛田くんはリハーサルに参加していました。演目はショパンのピアノ協奏曲第1番。

リハーサルを始めてすぐに牛田くんの顔が曇ります。ホールの音の響き方が、今までのものとは違うことに気が付いたのです。

「あのホールの響きに慣れない。細かいパッセージが(オーケストラの)響きに紛れて埋もれてしまい、ホールの後ろまで届かない。ちょっと大げさに弾かないと届かないかもしれない。明日までに何とかします・・・。」

リハーサル後、牛田くんは一人で修正を始めました。響きを確認しながら、弾き方を変えてみる。あえて高い所から指を振り下ろし、一つ一つの音にアタックを入れることにします。これなら、ホールの隅々まで届くと考えて。

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しかし、こうすることでテンポは狂いやすく、ミスタッチをするリスクも高まります。それでも、牛田君は貫きました。

「本番はすごく怖い。だけど、そこに多少リスクがあったとしても『危ない橋』でも渡ります。」

そして迎えた本番。牛田くんは弾き方を調整することで響きの違うホールに対応し、満場の喝采を浴びて見事に協奏曲を弾き終えました。

それでも彼は「4割もできていないかもしれない。」とまだ満足していない様子です。

牛田くんは言います。
「緊張がないといい演奏が生まれない。普段と同じで緊張しないでやっていたら、お客さんはエネルギーをもらうことができないと思う。演奏家が自分を追い込んで、本当にぎりぎりの崖っぷちの所まで行って、『もうだめだ!』というところで生まれるものをお客さんに届けないと、お客さんの心に入って行くことができないと思う。」

結弦くんも崖っぷちで勝つことにこそ、大きな達成感が生まれることを知っています。

「ぼくは昔から、誰かが悪い演技をした時に勝つのはすごく嫌。全部出した上で、それでも俺が一位なんだよって、そこまで自分を追い詰めたい。」

乗り越える壁を作ってもらった。こんなに楽しいことはない。」

究極を目指して崖っぷちに向かう二人。
「もうだめだ!」というところでパーッと視界が開け、生死の境目から一気に「生」へと転じる瞬間。宇宙に向かって自分の花を開花させる瞬間。

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それこそ、表現者と観客というプラスとマイナスの電極に電流が走り、強烈な光が生まれる瞬間です。

その電流を生きるためのエネルギーに変える・・・。表現者にとっても、観客にとっても・・・。芸術とはそのためにあるのかもしれません。

【コトバとしてのピアノとスケート】

牛田くんにとってのピアノは、コトバと同じものかもしれません。

「音が人に与える影響はすごく大きい。音によって幸せになっていただくこともできれば、音によって不幸にさせることもできる。ピアニストになるのであれば、その音によってエネルギーをもらうとか、音によって何かから救われるとか、そういう音を届けたい。」

結弦くんにとってのスケートもまた、コトバに代わるものなのでしょう。

「振付よりも、何を伝えたいか、何を表現したいかを考えていた。自分が滑ることによって、皆さんに感動していただければ、皆さんが行動するきっかけになればと思いながら滑らせていただいた。」

聞く人が、見る人が幸せになれるような、前を向いて歩いて行こうと思うエネルギーになるような演奏や演技。

二人の表現から伝わる何ともいえない優しさ、癒しとも呼べる感覚は、こんな気持ちが表現に滲み出ているところから来ているのでしょう。

【戦士を見守るかわいらしい戦友たち】

演奏会の度に「ちょっとヤバいな」というところまで自分を追い込んでいるという牛田くんは、本番でもピアノの上にそっと小さな猫の縫いぐるみを置いていました。

結弦くんのプーさんのように、緊張で張り詰めた牛田くんを見守る猫ちゃん。

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「逃げ場がないので助けになる。願掛けじゃないけど、うまく行っている時はいいけど、深みに入ってしまったり、泥沼の中に入って行ってしまう時がたまにあって、ふっと見るとそれで一旦リセットされる。」とか・・・。

プーさんが結弦くんの戦友であったように、牛田くんにもかわいらしい戦友が付き添ってくれていてよかったです。

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天才は天才を知る・・・。幼い頃から結弦くんをリスペクトしてくれて、大いに刺激を受けてきただろう牛田くん。若干16歳ながら、もう一人前のピアニストとしてさらに成長した姿を見せてくれました。

今、結弦くんと牛田くんが対談する機会やアイス・ショーでコラボする機会を持つことは、お互いにとって大変素晴らしいことになるのではないかと思います。

幼い頃から人気者だった二人は環境という面で共通点も多いし、表現者として目指す方向性も理解し合えるものがあると思います。

結弦くんの名前こそ出てこなかったけれど、コンサートの本番でピアノの上にそっと置かれた小さな猫ちゃんや、いつも身につけているファイテンのアース・カラーのミラー・ボール・・・。もうそれだけで十分、伝わってくるものがありました。

牛田くんのような若いピアニストまでもが、小さい頃から今も変わらず結弦くんをリスペクトしてくれて、大いに刺激を受けている。

きっと本番へ向けての孤独な戦い、プレッシャーとの付き合い方、表現、いろいろ参考にしながら励みに感じてくれているのだろうなと思いました。

2020年に開催される次回のショパン国際ピアノ・コンクール。牛田くんは年齢制限の問題をクリアしていますよね。出場してほしいです。そして、2018年のピョンチャン・オリンピック。

大きな大会を前に、二人の対談が実現してくれるといいなと切に願っています。

最後に「プロフェッショナルとは…」という質問に対する牛田くんの答えです。

「自分のすべてを犠牲にしてでも、音楽に没頭して、そういう姿勢を持ちたい。持っていきたい。持てるようになりたい。」

今週の木曜日の深夜0:10から再放送があるようです。見逃してしまった方はぜひどうぞ。

プロフェッショナル 仕事の流儀 番組HP

http://www.nhk.or.jp/professional/

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