Sportymags さんより 「ユヅル・ハニュウ:これはラスト・セイメイか?」 | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

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羽生結弦選手を応援しています。

ワールドに行かれたSportymagsさんの新しい記事です。書きたいことがあり過ぎて、少しずつアップするそうです。こちらでは画像は掲載しませんので、ぜひ、本家のブログへ行ってみてくださいね。

また前記事で「外国人は基本的に謝らない」とちょっとカゲキな文章を書いてしまい、特にどなたかからお叱りのコメントをいただいた訳ではないのですが、自分で読み直してみてやはり、「外国の人は日本の人のようには謝らない」の方がよいなと思い、訂正いたしました。私たち、ほんとによく謝りますよね・・・(笑)

Yuzuru Hanyu: Is this the Last of Seimei?

https://sportymags.wordpress.com/2016/04/05/yuzuru-hanyu-is-the-last-of-seimei/

「ユヅル・ハニュウ:これはラスト・セイメイか?」

ワールド
2016は今、歴史の1ページに刻まれた。Seimeiの歴史もそうだろうか?私はそうは思わない。NHK杯とGPFでパーフェクトなSeimeiを見るというスリルの後、私はワールドに行って、ライブでパーフェクトなSeimeiを見ることを望み、夢見てきた。皆の期待は明白だった。そしてユヅがスターティング・ポジションに入り、しんと静まり返った瞬間はシュールであった。

最初のクワド・サルコウで着氷がぐらついた後、私にはユヅがいつもの元気を持っていないように見えた。彼のいつもの軽くはねるようなステップはちょっと不確かでほとんど苦しそうだった。プログラムのほころびを見て、私は奇妙な感覚に陥った。アリーナは茫然となった。ユヅが滑り終わった後、誰もがどうしたらよいのかわからなかった。観客の受けたショックは耳をつんざくようなものだった。それはまるでエイプリル・フールの狂ったジョークのようだった。だがしかし、それはジョークではなかった。

ユヅのことはがっかりしてしまったけれど、一方でキスクラに茫然として座っている彼に私は同情した。私には彼がどう感じているかを想像することしかできない。彼はパーフェクトの味を知っている。彼は自分にはそれが可能だということを知っている。ユヅは自分自身への期待という重圧とスケート界からの重圧、そして国民全体からの重圧をその肩に背負っていた。私たちは忘れがちだが、彼はまだ21歳なのだ。

ロング・プログラムの後、ユヅは自分の演技に対してどんな言い訳もしなかった。ユヅは怪我のことも言わなかった(私たちは後になってそのことを知ることになるのだけれど)。彼はコーチを悪く言うこともなかった(私はブライアンが間違っていたというファンの疑心には同意しない)。彼は準備ができていないとは言わなかった。彼はただ神経質になっていたと言っただけだ。ユヅはあの夜、
4分半の間に彼のスペシャルなSeimeiのマジックを使うことができなかっただけだ。ユヅのコメントの一言がすべてを物語っている。「今日、ぼくはSeimeiになれなかった。」

ソース: https://www.facebook.com/Pj-Kwong-160862723932173/?ref=ts&fref=ts

何が起きたのかについて、様々な推測がある。なぜ、なぜ、なぜ?私たちはユヅに理解を示し、ただ、彼はあの日ついていなかったのだと考えることはできないだろうか??これはどのスポーツのどんな素晴らしいアスリートにも起こることなのだから。悪いパフォーマンスの後のインタビューで、アスリートたちが「アイム・ソーリー」と言うのを私たちはしばしば目にするが、彼らはそんなことを言う必要はない。彼らには謝ることなんて何もないのだから。ユヅはベストを尽くした。そして
4月のあの金曜日の夜、思うようにならなかっただけのことなのだ。

メディアの記事を読み、ユヅの敗北の後に巻き起こったソシアル・メディアの狂乱とパニックを追いながら、私はアイス・ホッケーの世界選手権とオリンピックで金メダルが獲れない時に、必ず巻き起こるカナダの集団パニックと比較してみた。どんな金メダルの喪失でも数分以内に、私たちの国の人々は皆パニックになり始め、カナダのホッケーの状況について心配をする。「分析麻痺=
Paralysis by Analysis」が始まる。(注:心理学の世界でよく使われる言葉。「考え過ぎてしまい行動に移せなくなること」を意味するようです。←ショピン調べ)人々はなぜなのかを知りたがり、どんな小さな詳細も分析する!時々、ただ答えが見つからないということだってあるのだ。それはスポーツというものの性質だから。勝つ時もあれば負ける時もある。おそらくユヅはこれからも、もっともっと勝つだろう。ここで私が言っているのは来季のあらゆる大会のことだ!

ユヅにかかる期待は測り知れない。メディアは情け容赦がない!
ユヅへのプレッシャーは信じがたいほどだ!! 人間が常に完璧であることは不可能だ。私たちはこのことを思い出さなければならない。ユヅの繰り返されたパーフェクトな演技は私たちを甘やかしてしまった。

疑問:彼はケガをしていたのか、彼とデニスの間に認知された対立が要因だったのか、その週の間、彼はストレスをためていたのか、疑問を挙げたら枚挙にいとまがない。結局のところ、重要なのはユヅが学習するための経験としてこれを見ていて、次のシーズンにこれまで以上にさらに強くなって帰って来るだろうということだ。私たちは皆、彼を見習うべきだ。

私は、ファンたちが自分自身を彼の立場だったらどうなのか考えてくれればよいと思う。一挙手一投足を写真に撮られ、あれこれ詮索されるというプレッシャーに、あなたは対処できるだろうか?私には絶対に無理だ。しかし、ユヅは相変わらず品好く、威厳をもって対処する。がっかりしたフィニッシュの直後、彼が微笑もうとしているのを見るのはとても辛い事だった。しかし、彼は誇りと優美さをもって自国を代表した。彼は本当に驚くべきスケーターであり人物である。

Seimei
に対する私の希望に戻る。これは私が恋に落ちたプログラムだ。私の願いは、Seimeiをユヅが2018年のオリンピック・シーズンで再び演じてほしいというものだ。少し休ませた後、古いプログラムを再びスケーターが使用するということは前にもあった。時々、スケーターを決定づける「スペシャルな」プログラムというものにめぐりあうことがある。私は本当にSeimeiがユヅにとってそのプログラムだと思っている。ここにSeimeiの完全版を見る前に私が書いたSeimeiに関する記事へのリンクをご紹介したい。

https://sportymags.wordpress.com/2015/06/27/yuzuru-hanyu-seimei-a-defining-program/

自分本位の意見ではあるが、私はこれで
Seimeiを終わりにしてほしくない。ブライアン・オーサーは「ボルト」でこれをやったのだ。彼はその音楽を見つけ、それを「スペシャル」だと考え、1988年のオリンピック・イヤーまでしまっておいたのだ。私たちが既にSeimeiを見たという事実は、私にとっては重要なことではない。実際、それは予告編のようなものとなっている。だから、ユヅ、もしあなたがこれを読んでくれるようなことがあったなら・・・どうか、Seimeiをもう一度やって!

たとえカナダでパートタイムで練習し、暮らしていても、ユヅは本当に心底日本人だ。日本のプログラムが海外の観客にきちんと解釈され、理解されるのか、多くの人々が疑問に思っていた。だが今シーズンの観客とファンの反応から判断すると、それは十二分に好評であった。傑作なのだ!実際、それはとてもユニークで美しく振付されているために、ユヅをとても際立たせている。シェイリーンとユヅ、素晴らしい仕事をしたと思う!!

頑張って、日本。ユヅは来季カムバックするだろう。ワールドを制覇する準備を整えて!!彼の負けん気と意志の強さが彼を新たな高みへと導くだろう!!スコアボードが何点を示そうと、ユヅは私の心の中で今なおナンバーワンだ。ゴー・ユヅ・ゴー!ドキドキ!!

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Sportymags
さんの「ユヅルとユカイな仲間たち」増えてます。今、特に、左端にある作品が・・・本当にかわいいです。

https://www.instagram.com/won0066/

Seimei・・・どれほど海外のスケート・ファンに愛されているか、ご本人は知っているのかな。私も、ぜひ次のオリンピックで完成形が見たいです。結弦くんそのものですよね、あのプログラム。

強さと優しさと激しさと静けさ、人間の持つすべての感情が盛り込まれたような・・・まだまだ洗練させていく余地があるというか・・・

だから神様はワールドであんなことをされたとしか思えないんですが・・・。