不思議なチカラ | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

※過去記事に加筆修正した再公開です。

【運命のチカラ】

この世の中に、どうにも説明のつかない不思議な事象は多々あり、結弦くんの不思議さもそのひとつです。

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世の中には素晴らしいスケーターがたくさんいて、その演技に感動できるのは人生の楽しみでもあります。でも、素晴らしい演技を観ながら思うのは・・・

プル様は何を滑ってもやはりプル様の顔をしている。パトリックだって、ハビエルくんだって、何を滑っても素晴らしい。けれども、やはり、パトリックの顔であり、ハビエルくんの顔に見えます。

どんなに違うジャンルの曲を滑っても、やはりスケーターの顔はその人ならではのものなのですよね。それは、人間だから、ある意味当然のことなのですが・・・。

ただ、結弦くんはどこか不思議・・・。プログラムによってはまるで別人となって氷の上に現れる。そして、氷から降りた素顔もまた別人のようです。

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いろいろな表情が彼の中からあふれてくるのは、彼が「ありとあらゆる感情を理解する能力」に長けているからなのではないかと思うのです。

結弦くんの不思議さをずっと考えていたのですが・・・ふと、思いつくのは・・・(私は宗教を信仰している訳ではありませんが)、昔読んだ瀬戸内寂聴さんの本に書かれていた観音様のことなのです。

観音様は如来様より恐れ多い存在ではなく、救いを求めている人がいたら、すぐそこへ飛んで行き、慈悲の心で救済してくださる、と言われています。

救いを求める人たちの救済に現れる時、観音様は多くの姿をとるのだそうです。男性でもなく、女性でもないと言われる観音様は、見かけは女性的ですけれど、口ひげがあったりして両性具有。

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女性になったり男性になったり、あらゆる姿になって悩める人を助ける存在なのだとか・・・。観音様の中性的なところも、結弦くんの雰囲気と重なります。

結弦くんのスケートを言葉で言い表す時、私は時々「ヒーリング・スケート」という言葉を使いますが、それは淡い色の衣装をまとって氷の上で演技する結弦くんから、「慈悲」の二文字を感じるからです。

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結弦くんが神様だとか観音様だとか、そんなことを言いたいのではないのですが・・・、結弦くんだって人間ですから、私たちと同じように、きっと恋をしたり、失恋したり、怒ったり、泣いたり、いろいろな感情を持っているでしょう。

ただ、私はこんなにも表情が豊かな人を、この人生で見たことがないので・・・不思議でたまらないのです。

そして、事実、結弦くんの演技で、どれほど多くの人々が癒されていることか・・・。何か不思議な力を持ってこの世に生まれて来た人って、いるのだなあと思います。

結弦くんは1994年12月7日生まれで、数秘術の「運命数」はそれらの数字を全部足すと「33」になる・・・。

そして今回、彼自身が名付けたプログラムのタイトル「SEIMEI」も数字に変換すると「33」になるなんて、何か特別なものを感じますよね。

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この33という数字・・・。33という数字は観音様にとって、とても重要な数字です。西国三十三箇所とか京都の三十三間堂というのは、この数字から来ており、観音様は33の化身になって、一切衆生を救われるのだそうです。

結弦くんには世界中からたくさんの手紙が届いていると聞きます。彼は・・・聞いているのだと思います。世界中の人々の心の声を・・・。

彼が演技を通してやろうとしていることは・・・もちろん、自分の夢を叶えるためでもあるけれど、でも一方で、とても観音様に近いことなのではないかなあ、と思ったりしています。

【清冽な水のように・・・】

結弦くんの持つ透明感・・・。彼を見て清冽な水を連想する方は少なくないと思います。

仏教で言う自然界の五大元素「地・水・火・風・空」の中で、観音様は水の化身です。だから手に水瓶を持っています。

雨、雪、水蒸気・・・あらゆる形に姿を変えながら、いつも人に寄り添う水の化身。

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「水」で少し脱線しますが、私の好きな日本酒の中に「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」というお酒があります。

水とお米の美味しい新潟県魚沼の白瀧酒造のお酒です。日本酒が苦手な方も飲みやすいお酒だと思います。

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「雪解け水のように清らかで、どんな料理にも合う」というコンセプトは、中国の老子の思想「上善若水(じょうぜんじゃくすい)=上善は水の若(ごと)し」から来ているそうです。

「上善若水」は中国の思想家の「老子」の八章にある言葉です。
上善は水の若(ごと)し・・・「最良の人物は水のように生きる人」ということです。

「水のように生きる」ってどんなことなのでしょう・・・。老子の現代語訳で見てみます。

新井 満「老子 自由訳」より

やわらかいといえば
水ほどやわらかく弱々しいものはないよね
しかも決して争おうとしない

丸い器に入れれば丸くなり
四角い器に入れれば四角になる
形にとらわれず、自由自在だ

ところが形を持たないからかえって
どんな小さな隙間にも入ってゆき
どんな巨岩をも粉々にしてしまう

即ち水とは
柔らかく弱々しいことに徹して
何よりも強いと言える

上善若水

水のように生きるのが
最高の生き方なのだよ


加島祥造 「タオ―老子」より

水ってのは
すべてのものを生かし、養う。

それでいて争わず、威張りもしない。
人の厭(いや)がる低いところへ、先に立って行く。

加島さんの「求めない」という本は以前、御紹介させていただいたことがありますが、ここにある「タオ」は「道」のことで、中国語のDAOダオ→タオ→日本に入ってドウ(道)となり、道中、柔道、茶道などに使われる「道」と関係があるそうです。このあたりは加島さんの書かれたものでどうぞ・・・。

雪解け水のような結弦くんの透明感は、水の化身の観音様や、道教の「水のように生きる」思想を連想させます。結弦くんの柔らかいジャンプの流れも、流れる水のようですよね。

先日はテレビで晴明神社を訪れて、晴明公が念力により湧出させたという井戸の水に触れていました。五芒星も、元は道教と関係があるもののようです。

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http://www.seimeijinja.jp/
 
悲しく辛い津波の記憶・・・。それでも私たちは海の恵みなしには生きてはいけない。全てを受け入れて流れてゆく水・・・。

全てを受け入れて水のように生きている、それが結弦くんの生き方・・・。

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【音を感じる不思議なチカラ】

観音様の話に戻りますが・・・、結弦くんが素晴らしい「耳」の持ち主であることが、先日、テレビでも放送されました。「観音」という漢字には「音」という文字が入っています。

楽器は弾かないのでしょうけれど、彼が絶対音感の持ち主であることは間違いないでしょう。

周囲の人の気持ちに敏感なのは、この「音」を聞き分ける能力と関係があるのかもしれません。

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「音を観る」と書いて、観音様。
観」=人間の主観、心、自分自身
「音」=人間の客観、世の中のすべて

観音さまは、「音」を観じることで、人が抱える苦しみを救おうとされているのだとか。見えるもの、聞こえないものも自在に見聞きし、救いの手を差し伸べてくださっている・・・。

そういえば、結弦くんはロッテのインタビューで「氷の上でエールは聞こえていますか?」という問いに対して・・・。

「特に関係なく、声に出そうが拍手だろうが、無音でも、視線だけで応援したいというキモチを感じる。心の中で頑張って欲しい、と願うキモチこそが自分の原動力になっている。」と答えていました。

氷の上に立つとき、私たちの想像をはるかに超えるレベルで、彼はあらゆる「音」を感じているのだろうなと思います。その音を感じる際立った能力に、私もまた特別な何かを感じます。

もうすぐNHK杯、今、彼はどんな「音」を感じているのでしょう。聞こえない音も、目に見えない視線も、氷の上ですべて感じ取ってくれる結弦くんに、私も精一杯、応援の気持ちを送りたいと思います。

小さな五芒星を背中に背負って、氷の上で、ひとり戦う結弦くん・・・。

君と一緒に滑ってあげることはできないけれど・・・。

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君から勇気をもらった世界中の人々の、「結弦くんを守ってあげたい」という優しい気持ちがオーラとなって、氷の上の君の背中を後押ししてくれるでしょう。

その素晴らしい耳を澄まして、見えない声を力に変えて、思う存分戦えますように・・・。



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photo : newscom, gettyimage, zimbio