そろそろブログを辞めようかなあと思っていると、読者の方からメッセージをいただくことがある。
今年のアイス・ショーのシーズンの頃、「結弦くんの動画を見ると頑張ろうと思えるんです。」という方がいらした。
幸運にもアイス・ショーのチケットを手に入れることができ、入院中の身ながら病院を抜け出し、必死な思いでアイス・ショーの会場へ足を運んだのだという。
その方のメッセージに「瞬きするのも惜しくて一生分見ました。本当に幸せでした。」とあった。私は涙が止まらなくなってしまった。
フィギュア・スケートというスポーツは、お爺さんになってもできるスポーツではないだけに・・・(結弦くんがお爺さんになったところなど、想像できないが・・・)
「今しかない」という思いが、ファンの間で加速していくのか、チケットを巡る争奪戦はますます激しさを増しているなあと実感する。
「自分だっていつ観に行けなくなるかわからない、だから、今行くのだ」という思いが、人々の間に蔓延しているのかもしれない。
しかし、現実に将来のことではなくて今現在のこととして、様々な事情で観に行くことができない方々がたくさんいる。
被災地や病室で、結弦くんを応援しながらも、それどころでない方々が、それでも心の中で彼に声援を送っている。
ブログを書いていると、時に、見知らぬ方からこうしたメッセージをいただくことがあり、それは、思わずはっとさせられる瞬間なのである。
滅多に手に入らないチケットを幸運にも手にすることができたとき、同時にこうした方々のメッセージを思い出し、複雑な思いに駆られてしまう。ありがたさと申し訳なさの板挟みのような気持になっている。
そんな時思い出すのは、ソチで勝った結弦くんのパトリックを見る目のやるせなさなのだ。
ちょっとこの画像が見当たらなくで残念なのだが、ライバルとして戦ってきたからこそわかるパトリックのそれまでの努力、敗れた悲しみ・・・。
自分の勝利への嬉しさと、自分の勝利が相手の心に生じさせた敗者の悲しみ。嬉しいのか悲しいのかわからないようなやるせない顔をしていた結弦くん。
今年の上海のワールドでハビエルに負けた時、結弦くんは「初めて今までのハビエルの気持ちがわかった。僕が勝ったことを喜んでくれていた彼の気持ちが、負けて初めてわかった。」というようなことを言っていたかと思う。
彼は今までだってそういう他者の気持ちをわかっていたはずだが、改めてその気持ちをかみしめたのだろう。
負けた者の悲しみを知るから、結弦くんは王者の中の王者なのだと思う。
ただ強くて、勝利に酔いしれるだけの王者ではないから、彼は愛される絶対王者なのだと思う。
だから彼は、会場に足を運べないファンの気持ちも、氷の上で、超能力者のようにいつも感じてくれているのではないだろうか。
幸運にもチケットが舞い込むようなことがあったら、忘れないようにしたい。観に行きたくても、様々な事情で観に行くことができない人々が、たくさんいるのだということ・・・。
チケットの争奪戦はますます激しくなり、そうした中に身を置くと、ふと、追い求めすぎて、大切なものが見えなくなったり、誰かを傷つけたり、何かを失ったりしてしまっているのではないかという気持ちに駆られる。
マイペースで・・・行きたいと思う。あと何回行くことができるのか、できないのか、わからないけれど。彼を応援し続ける気持ちに変わりはないのだから・・・。
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求めない。
すると心が静かになる。
求めない。
すると心が広くなる。
求めない。
すると悲しみが消えて行く。
求めない。
すると待つことを知るようになる。
求めない。
すると自然の流れに任すようになる。
求めない。
すると冷静に見る目になる。
求めない。
すると自分を客観できるんだ。
求めない。
すると自分の時計が回り出す。
求めない。
すると人から自由になる。
求めない。
すると人との調和が起こる。
求めない。
するとユーモアの心がはたらきだすよ。
求めない。
すると心が晴れてくるのを感じるよ。
求めない。
ほんとなんだ。
求める自分ってつまらないが、
求めない自分って、
いきいきしていて、
とても面白い人間なんだ。
求めない。
すると前より人や自然が美しく
見えはじめる。
ほんとうだよ、試してごらん。
求めないものの
美しさが見えてくるんだ!
求めない。
すると
自分のなかのバランスが
回復しはじめるのを
感じるよ。
求めない。
すると笑いがこみあげてくる。
求めない。
すると
しばしば求めたら来なかったことが
やってくるよ。
(ただし、すぐにではない。あなたの忘れた頃にだよ。)
求めない。
すると
自分の別の顔が見えてくる。
それは柔らかな顔をしている。
どうも最近、自分は求め過ぎてて苦しいなあ、と感じる時、この本を読むと笑いが込み上げてくるから不思議である。