復活祭と永遠の魂 | 粗土ログ

復活祭と永遠の魂

今年は、4月16日の日曜日がキリスト教の復活祭(イースター)となる。

十字架にかけられ処刑されたイエス・キリストが、三日目に復活したことを記念する日。

クリスマスよりも重要で盛大に祝われる日なのだけれど、日本ではあまり馴染みがない。



「復活」とは、キリスト教の教義を成す原理。

イエスの死と復活はユダヤ教の過越祭の時期にあり、旧約聖書で預言されたキリストの死と復活の意味が強調される。

キリスト教は「愛の宗教」と思われがちだけれど、この「復活」こそが教義の中心である。



ここからは、僕の勝手な考えも入る。

「復活」とは魂の永続性を伝えることに主義がある。

すなわち、死は肉体が滅ぶだけであり、魂(命)は永遠であるということ。



永遠の魂(命)、その存在を証明することがキリスト教の命題である。

イエスは、ユダヤ教の経典に預言されている事実を世に証明するために死して復活したのだということ。

末法の世に、身を挺して法を説いたのだと思うのだ。



30歳代であったといわれるイエスの、二三年余りという何とも短い期間の宣教。

この短期間に駆け抜けるように死へと向かった姿には、痛ましさというよりも自分の運命に誠実に生きる聖者の情熱を感じる。

この情熱の源泉にこそ、僕ら凡夫には理解できない大いなる真の愛がある。



現代の形骸化された宗教の中でも、重要な儀式として残る行事には沢山の意義が含まれている。

歴史の遺物とせず、たとえば今回の復活祭においては「永遠の魂」の意味などについてしっかりと考えたい。

探しても探しても見つからない人生への回答への導きが、思ったよりも身近にあることに驚愕できる可能性がある。



(sodo)







    
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