ターミネーター:新起動/ジェニシス | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

 

2015年 アメリカ

アラン・テイラー 監督

原題: Terminator: Genisys

 

 

この期に及んでまだ作ったか、大丈夫なのか?のターミネーター5作目。観るのは今回が初めてでした。シュワちゃんが12年ぶりのターミネーター復帰ですが、それ以外には対して意味も見いだせないような・・・。やっぱりターミネーターはT2で完結、T4は単独スピン・オフ、以上!で、よかったのではないかと改めて感じた作品。これ、構想の段階ではジェームズ・キャメロンも協力したらしいのですが、どれほど彼の意向を活かせたんでしょうか。シュワちゃんターミネーターがサラの守護者として寄り添う設定とか未来からのタイムトラベルによって未来の時間軸が変化する解釈とか、アイディアそのものは悪くはないと思うのですが何故か絶対的なガッカリ感が・・・。

 

物語は、2029年の未来、ジョン(ジェイソン・クラーク)が母親サラ・コナー(エミリア・クラーク)を守るために部下のカイル・リース(ジェイ・コートニー)を時間転移装置で送り出すところから始まります。そう、シリーズ原点である「ターミネーター」の世界に繋がるのです。1作目でお馴染のシーンをなぞるのを見ながらどういう展開なのかな、といぶかしんでいたら、初代悪玉ターミネーターのシュワちゃんを、シュワちゃんが待ち構えていて「待ちくたびれたぜ」との台詞と一緒に破壊。そして誰かに向かって親指を上にあげるあの馴染みのサイン・・・。

 

この引き込み方は、すごく上手いと思ったんです。1984年に既に味方のシュワちゃんが待ち構えている!彼はどの時代からやってきて、どういう経緯でこの待ち伏せに至ったんだろう、サインを送る相手は誰なんだろう・・・ってすごく気になるし、ワクワクします。

 

そもそも、根本的にキャスティングが絶対的ミステイクなんですよねぇ。まぁ、1984年に舞台を戻すにしても、リンダ・ハミルトンやマイケル・ビーンを再登場させるわけにはいかないから別の役者に置き換えなければならないのは仕方ないですが・・・他にいくらでも選択肢はあったろうに、なぜこの顔ぶれになったのか・・・。

 

世界一キライなあなたに」でも好演だったエミリア・クラークちゃんは、可愛いけれどサラのイメージ変わりすぎ?でもまぁまぁ・・・本作では9歳(か10歳)の時にT-1000に襲われたサラ。そのサラの守護者として送り込まれたのがT-3000型シュワちゃんで、以来ずっと、守護者として寄り添ってきたシュワちゃんと二人きり、逞しく生きてきたということで1984年まで平和に過ごしていたリンダ・ハミルトンのサラとはイメージが全然違っても、なんとか納得することはできます。可愛いし( *´艸`)。


でも、T2で美少年時代のエドワード・ファーロング、T4でクリスチャン・ベイルを見せられた後でのジョン=ジェイソン・クラークは、ちょっと納得がいかない・・・。


さらにもっと納得がいかないのが、カイル=ジェイ・コートニーの図式。これはダメです。ただの元気なマッチョ男になっちゃったΣ(゚Д゚)。カイル・リースが漂わせているべき、ピュアネスと詩的な繊細さが1ミクロンもなくなっちゃった・・・こんなカイルいやだよぉ(T_T)。

役者さんたちそれぞれには文句はありませんけれども。皆さん実力の伴ったいい役者さんだし、それぞれの役もきちんとこなしている。これまでのイメージにとらわれず新しいターミネーター世界を作ろうとする制作側の意欲も感じられます。でもねぇ。イメージ刷新するには、それまで前作のイメージを引きずった続編を作り過ぎたし、偉大なる初期2作の功績が実際偉大すぎたのだと思います。

1984年に未来のことも戦闘のことも何もしらないか弱いウエイトレスのサラを助けにきたつもりのカイルが出会ったのは、妙に戦闘能力の高い強気な女の子。聞いていた話とあまりに違いすぎるし謎のT-3000はいるし混乱するカイルに「もう、その1984年は存在しないの」と告げるサラ。そして、サラとシュワちゃんは1984年に時間転移装置を作っていて二度びっくり。これで、サラとカイルをJudgment Day直前の1997年に飛ばしてスカイネットの起動を阻止しようという作戦。タイムワープできないシュワちゃんは、その準備をしながら1997年で二人の出現を待つことに。

時間軸が2028年→1984年→1997年と移り変わり、その度にその過去と未来に影響が及ぼされたり、ワープ中のカイルが時空の歪みの出来事を垣間見たりするのも面白いアイディアではありますけれど。ちなみにT2ではスカイネットを開発するのはサイバーダイン社の研究員ダイソンでしたが、今回の時間軸ではダイソン社というのが出来ていて、ダイソンの息子が開発者に。T2で父を亡くした息子が成長して父親の研究を引継いだのか、それともT2の出来事とは関連がないのかは不明。T-1000の液体金属もすでに実用化の段階に。

※一旦アップした後で、いやまて。そういえば、いざ1997年に行こうぜ!とサラとシュワちゃんが言うのを、Judgment Dayは1997年ではない。歴史は変わったんだ、2008年(だったっけ)だと訂正するカイルとでいざこざしたシーンがあった気がする・・・と思い出しました。すると、T2ありきの「ジェニシス」で、やっぱり父ちゃんダイソンの死後、息子ダイソンが開発に成功したという流れですかねー。


シュワちゃんを無理なく出演させるために、T-3000型は本当の人間のように時間経過とともに外見が老化して見せるという苦肉の設定。T2での少年ジョンとの間に見いだせた心の交流のカケラのようなものが、サラの父親、守護者としてより強い結びつきとなって描かれるのはよかったです。ぎこちない笑顔もブキミで可笑しいし(笑)。機会と人間との心の交流って、やっぱり人間側のロマンティシズム的希望として根強いですよね。


この作品で何が一番よろしくなかったかというと、よりによってジョン・コナーがスカイネットに取り込まれてダークサイドに堕ちてしまうこと。まぁ、本物の人間ジョンは死んでしまって、ジョンの皮を被った機械になっているからジョンではない、ジョンが変わったわけではないという理解も可能ですが・・・。T4の感想でも書いたように、どんなに陳腐でもどんなに大変でも、ジョン・コナーは彼を人類の希望とするために沢山の人や人間側ターミネーターの想いと犠牲の結晶なのだから、あくまでも希望であり正義であるべきだと思うのです。彼らの努力と犠牲の結果が暗黒ジョンだなんて、あまりに酷すぎるし、全てが台無しな気分になりました(-"-)。

代わりに、死ぬはずのカイルは生き残って、サラと新しい未来を作れることになって、そしたら暗黒ジョンも登場しなくてよい未来への希望がそこにある、と言いたいのでしょうが・・・どうもねぇ。腑に落ちません。同じ時間軸に子供時代のカイルと未来からきたまま留まるカイルが同時に存在し続けるのもなんだかナンセンスだし。


そういえば、1984年にT-1000に襲われそうになったところをカイルとサラに救われた警察官が、その時の体験で「きっとあれは未来から来たものに違いない」と解釈し、1997年に1984年とまったく同じ姿の2人と再会しその推測を確信するオブライエン刑事(J.K.シモンズ)も、せっかくのベテラン俳優をキャスティングしていかにもキーパーソンぽいキャラクターなのに、存在理由がいまいち中途半端なままだったのも残念至極。

エミリアちゃんverのサラと守護神シュワちゃんの絆と掛け合い、それにところどころ垣間見える前作へのオマージュ的ワンポイントは楽しめましたが、1回観てもう満足。この先、T1、T2、T4はまた観返す機会はあっても、この作品は間違いなく二度と観ないかな・・・観たくないというのではなく、再鑑賞する積極的な理由が何も見つからないという感じ。とはいえ、気にはなっていたのでこれで無事にシリーズコンプリートできて(T3はうっかり消去で飛ばしちゃいましたが^^;観たことはあるのでヨシとします)満足しました^^。バイバイ、T5。