前編では、数学上の世紀の難問ポアンカレ予想が一体どんな問題なのか、というところまでお話しました。(前編をまだ読んでいない方はこちら)
さて、後編ではポアンカレ予想と天才数学者たちの戦いの歴史を振り返ってみようと思います。
約100年間にわたって数々の天才数学者たちを苦しめてきた超難問がどのようにして証明されたのか?
前半でお話したようにこの問題は1854年生まれの数学者アンリ・ポアンカレによって出された問題でした。
ポアンカレがポアンカレ予想を提唱したのが1912年でした。ここから数学者たちの戦いが始まります。
最初は問題を考えたポアンカレも証明するためこの問題に取り組みましたが、証明にいたることはできませんでした。
問題の内容があまりにも斬新だったため、その後この問題に取り組む数学者はしばらくの間現れませんでした。
問題への挑戦が本格化したのは1950年代に入ってからのことだったそうです。
そんな中、ギリシャ出身の数学者クリストス・パパキリアコプーロスという数学者(通称パパ)がポアンカレ予想の証明への足がかりとなる3つの重要な定理を証明しました。なかでも「デーンの補足」と呼ばれる難問を証明した論文は、美しい解法は高く評価されました。
最初にポアンカレ予想を証明するのはパパだ、と誰もが思っていたそうです。
パパのポアンカレ予想に対するこだわりは非常に強く、人生の大半をポアンカレ予想の研究に費やしていました。
しかし、なかなかポアンカレ予想の証明にはいたりませんでした。
ある日、そんなパパに憧れて自分もポアンカレ予想の研究をしているという1人の青年がパパを訪ねてきました。
青年の名はウルフガング・ハーケン。
ハーケンは後に世界的に有名な難問「四色問題」を解決する数学者です。
ハーケンの登場により、2人は激しくしのぎを削ることになる。
そんな中、ハーケンが
ポアンカレ予想を証明した!
と宣言したのである。
その宣言を聞いたパパは激しいショックを受け、次第に人前に姿を現さなくなってしまった。
後日、ハーケンは論文に大きな間違えがあることを発見し、証明を訂正するのですが、この時点でパパの精神はもはや崩壊寸前でした。
自らの生涯をささげた研究が全て無駄になったのだ、という激しいショックで数学界から姿を消してしまうのです。
このパパをモデルにした小説がギリシャでベストセラーになった「ペトロス伯父とゴールドバッハの予想」(詳しくはこちら)なんです。
この失敗でダメージを受けたのはハーケンも同じでした。
論文の修正をしようと焦り、過食症に陥ってしまいます。そして、パパのように精神が崩壊してしまう前にポアンカレ予想から手を引き、別の問題に取り組むことにしたのでした。
結果的にはこの選択が功を奏し、四色問題の解決へとたどり着いたのでした。
1960年代に入ったアメリカでは
微分幾何学なんてもう古い!これからはトポロジーの時代だ!
という空気があり、トポロジーの研究者が非常に多かったそうです。
ポアンカレ予想の研究も盛んに行われました。
この頃、ポアンカレ予想に挑む数学者たちを悩ませていたのが
回収するロープが絡まってしまい、うまく回収できない
という問題でした。
まぁ、宇宙を一周するような長いロープですからね、そりゃ絡まるでしょう。
このロープの絡まりを解決できなくて数学者たちは悩んでいたのです。
そんな中、ロープの絡まりを解決するべくポアンカレ予想に奇襲作戦を決行した人物が登場します。人呼んで
次元の壁を破った男!スティーブン・スメール!!
この異名みたいなんかっこいいですよね~。次元の壁を破った男!!ですよ。
スメールはロープの絡みを解決するため、ロープが絡みにくい高い次元からポアンカレ予想に挑む、というアイデアを出します。
三次元空間の問題であるポアンカレ予想を、四次元、五次元から攻めようとしたのです!
三次元では絡まってしまうロープも高い次元では絡まないというんです。
一体どういうことでしょうか?
例えばこのジェットコースターを見てください。
三次元空間ではレールはぶつかり合うことはありません。
しかし、下に映った影はどうでしょう?
二次元である平面世界では奥行きがないので、このような複雑なレールはぶつかってしまいますよね。
つまり、次元を上げれば、ぶつからないから絡まらない。ということになります。
このような考えから、スメールは高い次元でのポアンカレ予想に挑戦します。
このアイデアは高く評価され1966年のフィールズ賞に輝きます。
そして、ジョン・ストーリングが「七次元以上の宇宙」でのポアンカレ予想を証明。
さらに、イギリスのE・C・ジーマンが「五、六次元の宇宙」でもポアンカレ予想を証明しました。
さらにさらに、マイケル・フリードマンが「仮に宇宙が四次元空間だとすれば、やはりロープは絡まず回収できる」ことを証明。
七次元→六次元→五次元→四次元ときました!
次はいよいよ三次元宇宙でのポアンカレ予想の証明だ!というところまできたのです。
しかし、四次元以降は進展はなく、またもポアンカレ予想の研究は行き詰ってしまうのです。
完全に行き詰ったかに見えたポアンカレ予想の研究でしたが、1人の天才の登場でまったく新しい道を切り開くことになります。
その天才の名は
マジシャンことウィリアム・サーストン!
サーストンはこう考えました
もし、宇宙が丸くないとしたら一体どんな形がありうるか?
ポアンカレ予想では、ロープが回収できれば宇宙はだいたい丸い形をしている。という予想でしたね。
しかし、世の中には、丸いものよりも、丸くないものの方が多いじゃないか!
そう考えたサーストンは10年以上の研究の末、ある驚くべき結論に達します。
それは1982年に発表された論文「三次元多様体、クライン群、そして双曲幾何」の中であるひとつの壮大な予想を述べているのです。
宇宙がたとえどんな形であろうとも、それは必ず最大で8種類の異なる断片から成り立っている
というあまりにも壮大過ぎる大胆な予想でした。この予想は
サーストンの幾何化予想
と名付けれらます。
この幾何化予想によると、宇宙がどんな形をしているにしても8種類の形が組み合わさってできている。というのです。
だって、ポアンカレ予想の宇宙は丸くないとロープは回収できません。
それ以外の形ではロープは回収できなのです。
つまり、この幾何化予想を証明すれば、それは同時にポアンカレ予想の証明したことになるのです!
サーストンは自らの予想を証明しようとしましたが、幾何化予想以降さっぱり何もアイデアが浮かばなくなってしまったそうです。
まぁ、これだけの研究したんだから仕方ない気もします。
正直に言って僕はこの問題を証明したペレリマンよりも、幾何化予想にまでたどり着いたサーストンの方が天才だったんじゃないかって思います。
どう考えたら宇宙がたった8種類の形から成り立ってるなんてところに行きつけるのか本当に不思議です。
数学者たちは幾何化予想の証明に標準を絞りました。
次に登場する天才こそ、この世紀の超難問であるポアンカレ予想を証明することになるロシア人数学者グリゴリ・ペレリマンです。
ペレリマンは祖国ソ連の崩壊によりアメリカへ渡り研究員としてニューヨーク大学クーラント数理科学研究所に赴任していた。
ペレリマンの専門分野はポアンカレ予想のトポロジーではなく、微分幾何学だったので、当初ペレリマンはポアンカレ予想には興味がなかったといいます。
ペレリマンは微分幾何学の分野で数々の業績を上げる天才でした。中でも1994年に、超難問と言われた「ソウル予想」を証明する快挙な成し遂げます。
30年間誰も解決できなかった問題をたった3ページの論文で証明してみせたのです!
ペレリマンをポアンカレ予想へ向かわせるきっかけになった出来事は、当時アメリカで話題になっていたある研究論文だった。その論文はリチャード・ハミルトンによるもので、論文の中でハミルトンはこう主張している
「リッチフロー方程式を利用すれば、サーストンの幾何化予想とポアンカレ予想を証明できる可能性がある」
というものだった。
この論文を見たペレリマンは
難問を解決できるかもしれない。
と考えるようになりました。
そして、ペレリマンは研究に集中するためアメリカを離れ祖国ロシアへと帰ります。
それから数年が経った2002年の秋、数学界に奇妙な噂が流れます。
インターネット上にポアンカレ予想と幾何化予想の証明が出ている。
というものでした。
最初は誰も本気にはしていませんでした。よくあるデマか早合点だと考えたのです。
きっと論文のどこかに論理の飛躍があるはずだ。なにかつじつまの合わない部分があるはずだ。
そう考えたのです。
しかし、論文の隅から隅まで読んでも一向に論理の飛躍などはありません。
これはもしや、本当に証明してしまったのか!?
そして、論文の著者であるペレリマンには論文の解説以来が来ます。
ペレリマンはアメリカのマサチューセッツ工科大学、プリンストン大学、ニューヨーク大学の3校で特別講義がおこなわれることになりました。
2004年4月。特別講義がおこなわれました。会場はポアンカレ予想に挑み続けてきた数学者やトポロジーの専門家で埋め尽くされました。
ペレリマンはメモを見ることもなく、淡々と講義し、全ての質問に簡素に答え、ついに難問が証明されたのです。
その証明にいたる過程でその場にいたトポロジーの専門家を愕然とさせました。
なんと、ペレリマンはトポロジーは一切に使うことなく、微分幾何学や物理学の用語などを駆使して問題を証明してしまったのです。
トポロジーの専門家たちは、
証明されてしまったことに落胆し、トポロジーが使われなかったことに落胆し、さらにその証明が理解できないことに落胆したそうです。
誰も知らない方法で、誰も解決できなかった超難問を解決してしまったのです。
これで、物語は一件落着といいたいところなんですが、この後世紀の問題を解決したペレリマンは数学界から姿を消してしまいました。
なぜ姿を消したのか、はっきりしたことはわかっていませんか、ペレリマンが言うには
自分が問題を証明したといこをみんながわかればそれでいい。
というような言葉をのこしています。
かなり、精神的に追い詰めるような研究の末、一般的な生活をしている我々には想像もつかないような世界へ足を踏み入れてしまったのかもしれません。
偉大な業績を残した数学者というのは、不幸になってしまうことが多いようです。
人間性を放棄して数学に取り組んだ結果の悲劇なのかもしれません。
これでこのお話は終わります。
最後まで読んでくださった方がもしもいらっしゃたなら、長いのにありがとうございました。
もし、この問題に興味を持たれたら、また後日おすすめの数学関連書籍を紹介しようかと思ってますので、そちらを参考に本を読んでみてください。
NHKからでているDVD「ポアンカレ予想 100年の格闘」もぜひご覧になってください。
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