私は私の価値を見出して生きている


だから私は他人との関係性でも
その人の価値をその人がどう扱っているかを
つい自然に見ていることがある
見ているだけで

良いとか悪いとか感じるわけではない


私の価値はいろいろあるけれど
つまりそれは特性のことであり
それを自分の原動力として
活かすことで価値に変わると思っている


私なら例えば、忘れっぽいところ


長い間私はこれに苦しんでいましたよ


忘れちゃダメだったから
失礼だから
バカ丸出しだから
こんな忘れっぽい私は価値がない
それを隠したい、矯正したい


とまあ、本気でそう思う45年でした


今では、忘れる才能として「ところてんしちゃった~」なんて言って表してるけれど
忘れることこそ素晴らしい、あえて忘れましょうと言ってるように思われたら、違います。


ところてんは私にとって
スキルではなく現象だから

 

逃れられない特性です

 

私の特性、それがあることを認め
愛そう

 

わたしを愛そう

 

(過去のブログより2010年)*****

自分にとって実際『忘れること』はそれほど不自由なのか?と考えてみました。

『忘れること』により
普段の頭の中は
常に容量が軽く、柔軟でいられ
得られていることがたくさんあります。

いつも心から笑え、一瞬一瞬を真剣に向き合え
そのときに100%向き合える力。
それは『忘れてしまう困り事』ではなく
まさに 天から与えられた忘れる力 なのです。

(抜粋おわり)*****

 

忘れることは才能です!

 

こわごわだけど言ってしまったら
世界に受け入れられたのです
感謝!感謝!

 

今でも
忘れてしまって
自分でもありえない…と
愕然とする時がある
その度に
わたしの忘れるという特性は相当なんだと確認する
ひどいよ、神様って、
思うわたしも消えることなく存在する

 

でももうヘコむことはない
散々ヘコんで自己否定をした45年
もう十分、お腹いっぱい

 

私が私にできることをするのた☆
大好きな私のために
私は私の価値(よさ)を見出して生きている

 

それがやさしさの解放なのです