4月16日。雨、5度。


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 変わりやすい天気が続いている。


 暖かすぎる3月が過ぎ、つぎからつぎへと異常気象の連続だなと思っていたら、4月はほぼ例年通りの不安定な天気がやってきた。復活祭の時期は寒くなり雪がぱらつくときもあるが、そこまで寒くはないにしても雨ばかりで肌寒い毎日。3月の太陽はどこへ行ったのかと思うのだが、それでも時折陽の光が差すと太陽のありがたさが身にしみる。


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 満開の藤。


 前の日記にも書いたのだが、今年になってから異常気象だけではなく、次からつぎへとやっかいな、しかも避けて通ることのできない難問がやってくる。困ったものだが、誰かに代わってやってもらえることではないので、なんとか解決しなければならない。外国人として人様の国で暮らすということは、なにやかやと面倒なことが多い。愚痴をここに書いてもどうにもならないのだが、これではいつ日本へ行くことができるのか見通しすら立たない。


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 自分で植えたのだが、花の名前を知らない。


 4月28日。晴れ、フェーン現象、28度。


 ほとんど4月いっぱい、いわゆるAprilwetter(4月の天気)といわれる変わりやすい天気が続いていたのだが、昨日27日から突然暖かくなり、今日はフェーン現象のおかげで28度にも気温が上がり真夏のような気候になった。ライラックや藤の花、そのほかの“雑草”と言われ邪険にされる花が咲き乱れ、窓を開けるとそれらの花の香りが家の中にまで入ってくる。あちこちの木々の中から様々な鳥のさえずりがきこえ、高い空からは優雅に舞うツバメの鳴き声が聞こえる。夏時間のおかげで夜は9時過ぎでも空に青さが残っている。その青さが消えるのをひきとめるようにクロツグミの歌が響いている。中央ヨーロッパの美しい季節が始まろうとしている。それなのに僕は、次から次へと避けて通れない
雑用に頭を悩ませている。なんという不条理。


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  “雑草”の花。


 愚痴を書いていても仕方がないので、思い出した若いころの夢を書くことにする。ひと月ほど前、3年かけて馬三頭と犬一匹の助けをかり、モンゴルからハンガリーまで旅したオーストラリアの若者のドキュメントを見た。そのドキュメントを見て浮かんできた光景があった。


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 ゴビ砂漠。


 1966年晩秋、僕はハバロフスクの街を流れるアムール川(黒竜江)の岸辺に座っていた。アムール川は全長4368km、世界第8位の大河だ。対岸は遥か彼方にあり、その岸辺は霞んで見える。川の中ほどを赤さびた小さな貨物船が黒煙を上げながら遡ってゆく。大河とはいえ流れは速く、貨物船は遅々として進まない。船上で働く船員らしい人影が見える。何処まで遡りなにを運んでゆくのかは知らないが、この貨物船は何十年という長い間、ただひたすらこの川を遡りまた引き返し生涯を終えるのだろうし、船員たちもその世界の中で生涯を過ごすのだろうかなどと、ぼんやり思ったことを憶えている。その貨物船が遠ざかると、僕はまた対岸を眺めた。対岸の先40kmに中国との国境があるとホテルで聞いてきたばかりだった。僕は西の方角に目をやり、霞む対岸の先にはかつての満州国の辺境があり、ハルハ川が流れているのだろうと想像した。ハルハ川は大興安嶺に源があり、いずれ僕が見ているアムール川の上流に流れ込む支流のひとつだ。日本はこのハルハ川をめぐってソヴィエト・モンゴル連合軍と、「ノモンハン事変」と呼ばれる悲惨な戦争をしたのだ。


 このハルハ川をめぐる戦争は、旧日本陸軍の参謀たちが持っていた狂気としか言えない野望によってはじめられ、多くの兵士(双方の)たちがまったく無意味に殺された。そして例によって、陸軍上層部の者たちは一切責任を取らなかった。今の日本とまったく同じことが73年前に行われていたのだ。言い方を変えれば、今の日本は73年前の“戦争”のときから何も変わっていない。


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 延々と続く荒涼とした眺め。


僕はさらに遠方へ思いをはせる。内モンゴルの草原を南西に行けばゴビ砂漠があり、そのさらに南には長安(今の西安)、そして西へ進めば敦煌がある。敦煌は漢民族の国と、僕が子供のころから憧れていた西域との境にある。敦煌の先にはタクラマカン砂漠があり、そこには“さまよえる湖ロプノール”や“幻の都楼蘭“、そしてさらに西に行けば海面よりはるかに低い街トルファンやホータン、ウルムチ、カシュガルといった、今の僕にとっても魅力的な街や自然があるはずだった。なぜ僕がそこまで西域に憧れていたかといえば、それは100パーセント父親の影響である。物心ついたころから西域やチベット、そして中国の話を聞かされて育ち、家にはそれに関した本が山ほどあった。オーストラリアの若者の冒険をTVで見て、父の本棚とそれらの本がもつ不思議で魅惑的な雰囲気と匂いを思い出し、懐かしさが蘇ってきた。


その二につづく。