発禁文章あらためて「2月14日のオセロ・チョコレート」を再録! | 曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

元『BURST』、『BURST HIGH』編集長の曽根賢(Pissken)のコラム

 

※2月(?)某日にアップし、いつのまにか、この「場所」から消されていたのを1つき前ほどにかっちゃんから聞いていたのだが、「へえ」と酔っぱらった返事をし、そのまま忘れていた。

 

が、今日酔っぱらってなぜか思い出し、確認したらば、けっこう「リキ」を入れた原稿じゃないか。

もちろん、かっちゃんも。

 

おそらく以下の「佐藤ブライアン勝彦の絵の性器表現」が、機械的に排除されたと思うが――いや、この絵の性器表現が「機械」に判断なぞできんから誰か個人なのだろうか?――よくわからんのでもう1度アップしてみる。

(1カ所かっちゃんの原稿中伏字にしてみた)

 

以下は、かっちゃんもおれも「気をいれて」表現したものだ。

あたりまえか。

また削除されたら「バカめんどくさい」ので終わり。

だから今夜中に読んでちょうだい。

 

 

 

 

 

●巻頭連載
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
[第21回]

 

「BLUE HERB」

佐藤ブライアン勝彦●作品&文

 

 

※やはり絵のアップは無理とのこと。

 

(2002/Acrylic on canvas)
――『BURST』2002年9月号増刊『BURST HIGH』より

 

 

 

 


ロス恒例の「秘密の勉強会」とは――ジェリーくん(※注――ロッキン・ジェリー・ビーン)の愛車モスグリーンのPlymouth Scamp '75に乗り込み"4Play Gentlemen's Club"へのストリップ鑑賞会!

「全裸の女性を舐める様に見、絵のモチベーションを上げていこう!」
そんな会でした。

 

メンバーは2名、日本のゴジラとキングギドラと名のってた。

ジェリーくんと知り合うきっかけはロスのグループ展。
共通の友人に紹介してもらいロスで初めて出会った。
自分は「ミルク」のフライヤーで絵を見てて、可愛い女の子描くなぁーと感心していた。
ジェリー君は俺の事を、かなり年配のおじさんだと思っていたらしい。なんで?

 

中庭にプールがある素敵なマンションだった。
お互いにヌードを描いてたので本棚にある本も同じ。それなのに、お互いに絵が全く違うところがオモロイなーなんて話をしてたっけ。
当時はジェリー君も俺も独身。
「毎日行ってるでー」
と、例のオススメのストリップへ連れて行ってもらう事となった!!

 

そこはまるでタランティーノの『フロム・ダスク・ティルドーン』のTITTY TWISTERの様なストリップ劇場だった。
お店の駐車場へ着くと、さっそく外にいた女の子から「ハーイ、ジェリー!」なんて声がかかって、「ホントに毎日来てんだ」と笑ってしまった。

 

綺麗な白人のダンサーから黒人のダンサーまでいて、2人で絵の勉強の為、かぶりつきでストリップを見ていた。
いまでもジェリー君の真剣な眼差しが忘れられないんだよな(笑)。
きっとジェリー君の可愛い女の子はここで、培われたに違いない!!

 

話を聞くと、フロアには先ほどまで踊っていた女の子がいて、好みの女の子を選んで奥の部屋でラップダンスのサービスを受けれるらしい。
で、「100ドル出すと、2階の部屋では濃厚なサービスを受けれるで~」とジェリー君に教えてもらった。

とりあえず、初めてという事もありラップダンスをチョイス。

 

女の子はシェリーだったかな。

何度か行ったけど彼女しか覚えていない。
(帰国後、シェリーをモデルに『バースト・ハイ』の裏表紙に絵を描いた――それが今回の絵)

 

奥の小さな小部屋で、椅子に座り小銭を入れるとスタート。

終了の時間がくるとブザーが鳴るらしい。
綺麗な女の子が恥部を股間に押し付けて、いやらしく腰を動かしてくる。
目の前には真っ白い綺麗な胸がふたつ!!
ついつい触りそうになり、「Don’t Touch!」なんて軽くお叱りを受けつつ。

 

で、すっかり、このラップダンスにはまった俺は、ロスへ行くたびジェリー君と遊びに行っていた。
ん!? 遊びじゃない、勉強会に。

何度目かのロス、昼食に2人でラーメンを食べていると、ジェリー君の友達のNさん一行が他のテーブルにいて紹介してもらった。

 

「夜に勉強会行くから一緒に行こうよ!」と、5人でいつもの店へ行く事となった。

Nさんが黒人の女の子を選んだのを見て、

「いやー、Nさん黒人がタイプだったとは!」と皆で驚いた。

 

僕も好みの女の子を選んで例の小部屋へ。
いつもなら追加料金、延長なんてしないのに、あまりの可愛さと気持ち良さに延長しまくってしまった。

で……なんとそこで恥ずかしながらパンツの中に――してしまったのだ。

 

「ヤバイ! どうしよ!」

このままでは帰れないと思い、終わった後にガニ股歩きでトイレへ駆け込んだ。
展覧会の為にアメリカに来て、ロスのトイレで1人パンツをティッシュで拭いてるのは情けなかったわ。
「もう30近いんだからさ……」と心の中で呟きつつ。

 

とは言っても、

「俺は10年近く彼女もいないのだからしょうがないよ」と

自分を慰めつつ。

ジェリー君の家へ戻って、

「実はさー、さっき――」と話すと大爆笑していた。

 

今では笑い話だけど、他にも色々とジェリー君には迷惑をかけちゃって。
先日メールで当時の話をしてると、ジェリー君もあの頃の事を書きたいと思ってると言っていたので、ここに書けない大失態話も、いつかジェリー君の口から聞けるかもしれません。

 

いつか、また2人で勉強会へ行きたいな。
その時は、二階の部屋の扉を開き、濃厚なサービスが何なのかを確認したいと思ってる。
(つづく)

 

 

 

 


2月14日(火)鬼子母神は快晴――断酒再開11日目。

 

昨夜10時半、同い年の絵描きN氏より電話があり、いま池袋にいるのだが今晩泊めてくれという。
酒は呑めない、と釘をさすと、甘いものを買っていくとのこと。

 

――20分後。
N氏は、ビニール袋をずしりと畳に置くと、私の前に正座し、いきなり泣きはじめた。

 

「もう、疲れたよ」
「ほう」
「おれだって、がんばったんだよ」
「うんうん」
「やっぱり若い女ってやつは、おれには手におえないよ……ティッシュある?」
「そこ」
いきおいよく鼻をかむ52歳の絵描き。寝そべったままの52歳の作家。

 

「笑うなよ」
「いや、まあ、30も年下じゃあ、そりゃあ疲れるよ」
「笑うなってば」
「ああ」
「曽根さんはさあ、女といっぱい遊んできたから、ずっとひとりだったおれの気持ちがわかんないんだよ」
「バカな、遊んでなんかないよ。で、なんでケンカしたの?」
「それがさ、ひっどいんだよ」

 

さっきまでN氏は、22歳の〈彼女〉K嬢と、池袋のなじみの寿司屋にいたそうな。
楽しく(?)呑み食いし、彼女がソフトクリームを頼んだところで(どんな寿司屋だ? ああ回転寿司屋か)、N氏はキュウリの千切りを、芽ネギのように握ってくれと頼んだという。

 

ところが初めて見る職人はできないと応えた。
いや、前の職人さんは握ってくれたよというと、いえ、握れません。
といった先から、隣の客へ芽ネギを握ったという。

で、酔ったN氏はその職人にカラミはじめた。
そこでK嬢が、N氏をたしなめた。
当然だ。が、N氏の矛先はK嬢へ向かった。

 

「ソフトクリームをペロペロ舐めながらさあ、なんであっちの肩もつんだよ!」

 

帰るぞといえば、あなたが勝手にひとり帰ればいいとK嬢。
ああ、そうかいと、勘定して荒々しく外へ出たN氏。
――寒風に身をさらし、店の前で待つこと5分。
扉を開けて中をのぞくと、
「あいつまだペロペロしててさあ!」

 

「さいですか……ところで電話した?」
私は急須の「蕎麦茶」を茶飲みにそそいだ。
「なんどもしたけど、出ないんだよ!」
「じゃあ、曽根のとこにいるからってメールだけでもしなよ」
「メール? んんん、メールの仕方わすれちゃったなあ」

 

嘘つけ。
メール後すぐに電話がかかってきた。
N氏はわざとぶっきら棒に、「おう」とか「ああ」とか答え、結局「じゃあ、10分でそっちに行くから」と言って、私へ電話を寄こした。

 

「ああ、Kちゃん。おっちゃん泣いてるよ」
「どうも面倒かけて、すみません」
「じゃあ、そっちに行かせるからね」
「ええ、すみません。お願いします」

 

「この袋のもの、みんな貰っとくよ」と、N氏へ携帯電話を返した。
「ごめんね曽根さん」と、くどくど言いかけたN氏をせかして立ち上がらせる。
そのいそいそとした背中に、「このことブログに書くからね」と放ったが、もうN氏の耳には届かないようだった。

 

満月の下の七曲りの路地を、ほどいた半白の長髪を背中になびかせ、N氏は放たれた犬のごとく駆けていった。


部屋に来て、帰るまで正味10分。
「なんでおれは、こんな目にしょっちゅうあうのかなあ」
高校時代から今まで、友人たちは女とトラブルがあるたび、なぜか私を選んで泣きごとを言いに来た。
ある一夜などは、今日妻と別居してきたという友人と、今さっき離婚届を出してきたという友人(どちらも私と同い年)が、私の部屋でかちあったことさえある。
(別居したほうはモトサヤにもどり、離婚したほうは今も独身)

 

私はこれまで、男友だちに女のことで泣き言をいったことはない(はずだ)。
そのつど、ガール・フレンドや、呑み屋の女将や、同僚の女に聞いてもらった。
女との悩み事を男にしたところで、埒(らち)が明くわけないではないか。
女はこっちの混乱した頭を、辛辣に断罪してくれるだけ、男ともだちの進言より「我に帰る」率が高い。

 

なのに、よりによって私を相談相手にするなんて言語道断だ。
自他共に認める「昼は甘えん坊、夜は赤ん坊」の私に、男女の機微などわかるわけないのだから。

とはいえ、友人たちだって、そんなことは十重承知の上で、それでも泣き言を言いにわざわざ来るのだろう。
が、その気持ちはとんとわからない。

 

ビニール袋に入ったものを、畳へ並べてみる。
切り分けられラッピングされたバウムクーヘンと、ビター・チョコレート。
胡桃(くるみ)、ブルー・チーズ、生ハム、高価なコンビーフの缶詰。
そして「ニッカ・ピュア・モルト」のボトルが1本。
(前々回のブログを読んで、この銘柄を選んでくれたのだろう)

 

蒲団を敷き、しばらく本のつづきを読んでから、灯りを消した。
途端、窓外から猫の唸り声が上がった。それに応える唸り声。次いでまた別の唸り声が重なる。
3すくみの地をとどろに震わす啼き声は、それから30分もつづき、不意に止んだ。
「ペロペロか……」
笑みを浮かべたまま眠った。

 

 

 

――午前9時起床。
ジャガイモ3つと人参1本を茹で、大皿に盛り、プランターのつまみ菜を乗せた。
皿の空きに、胡桃、ブルー・チーズ、生ハム、コンビーフを盛り、ワサビを添える。
モルト・ウィスキーと冷水を、きっかり半々に割る。

 

フォークでジャガイモを突き崩し、他の肴と混ぜて肴としながら、おずおずと酒を呑む。
及び腰なのは、やはり膵炎が恐いからだ。

がしかし、それでも呑む。

 

降ってわいたように酒も肴もこれだけそろって、朝酒を呑まずにいたらオテントサマに申し訳がない。
(こればっかしだな、おれは)

 

今日も鬼子母神の冬空は快晴だ。
窓を開き、胡坐に毛布をかけて、久しぶりのモルト・ウィスキー味わう。
ジャガイモと塩っ気の強い肴がよくあう。
とくに舶来のコンビーフは、牛肉の風味がしっかり残っていて旨い。N氏のやつ、だいぶおごったな。

 

「でも、読み肴にとぼしいなあ」
昨日借りてきた5冊はすべて斜め読みしてしまった。
カレンダーへ眼をやる。図書館の閉館日を確認するため――赤ペンで休館日を囲んであるのだ。

 

「ふむ、今日はバレンタインか」
と、およそ無感動につぶやく。
がしかし、そこは52歳でもやはり、ちと淋しい。
そして過去のバレンタイン・デーを今年も振りかえることとなる。

 

けれど、バレンタイン・デーに憶えのあることは、悪趣味なひとつ話を除いて、このブログにみんな書いてしまったような気がする。
たしか去年の今時分に書いた、某年その日、帰ると家の電気が止まっていたこととか、一昨年の今時分に書いた、某年その日、女の母親から『聖書』を貰った話だとか。

 

だいたい、バレンタイン・デーにチョコレートを貰ったことなど、片手で足りるほどしか経験がないのだから、エピソードに乏しいのはしょうがない。

で、悪趣味なひとつ話だが――。

 

皿の肴にラップをし、2杯目の酒をいっきに呑みほして図書館へ出かけた。
ものの5分で6冊の本を選び、部屋へ帰ってくる。
皿のラップをとりはらい、3杯目の酒をつくる。
そして呑みながら、借りてきた俵万智『チョコレート革命』(河出書房新社)を読みはじめた。

むろんバレンタイン・デーなので、その背表紙の文字が眼を引いたのだ。

 

ひとまず先に、チョコレートの文字をひろってみた。
歌は3首。

ちなみに歌集の初版発行日は1997年5月8日と記されてある。
(その頃まだ出版界はバブルがつづいていた)

 


チョコレートとろけるように抱きあいぬサウナの小部屋に肌を重ねて

 


コンドーム専門店
チョコを買うように少女ら群がりて原宿コンドマニアの灯り

 


男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす

 

 

 

 

 

俵万智はそのあとがきに、歌集のタイトルに『チョコレート革命』を選んだ理由を語っている。

 

「恋には、大人の返事など、いらない。君に向かってひるがえした、甘く苦い反旗。チョコレート革命とは、そんな気分をとらえた言葉だった。
大人の言葉には、摩擦をさけるための知恵や、自分を守るための方便や、相手を傷つけないためのあいまいさが、たっぷり含まれている。そういった言葉は、生きてゆくために必要なこともあるけど、恋愛のなかでは、使いたくない種類のものだ。そしてまた、短歌を作るときにも。言葉が大人の顔をしはじめたら、チョコレート革命を起こさなくては、と思う。 一九九七年 早春」

 

 

彼女はその後、40歳にして認知されない子どもを産んだが、その父親のことは決して明かさなかった。
(当時、彼女が某店のマダムをしていた新宿ゴールデン街では、ドリアン助川が疑われたらしい)
しかし、ここに歌われた多くの歌ははっきりと、妻子ある年上の男との恋歌(こいか)である。
それも女の肉体を通した、エロチックな歌ばかり。

 

さすが与謝野晶子以来、そして昌子直系の、革命的女流歌人だ。

ここでちょいとあなたにクエスチョン。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

この歌の「記念日」とは、じっさいなんの記念日であるか?

 

[ヒント]

 

●これは万葉のころよりの伝統にのっとった恋歌である(古語である「君」に注目せよ)
●つまり与謝野晶子『みだれ髪』直系。
(『サラダ記念日』と『みだれ髪』のタイトルは、通低部分で同じ意味である)
●この食事は「朝食」である。
●7月6日は七夕の前日。つまりこの歌は迎え歌である。
[最大ヒント]
●「この味がいいね」の、助詞「が」に答えの鍵がある。

 

(※答えは次回のブログにて――自信のある方は答えを私のメールまで。正解者にはセカンド・シングルを送ります)

 

 


「N氏も、30齢下にこだわるから疲れるんだよなあ」
なんて、勝手なことをほざいて酒をつくる。
で、悪趣味なひとつ話だが――。

 

以上の話とつながる話じゃない。ただその日が、たまたまバレンタイン・デーだったというだけだ。
以下は落ちのない小話である。

 

 


某年2月14日。

 

前夜から私の部屋に泊っていたライターのQと、炬燵で昼酒を呑んでいた。
女は仕事にいき、私は編んでいた雑誌の校了明けだった。
そこへ共通の友人である絵描きのXが、やはり酒や肴をもって遊びに来た。

「こんなもの見つけたから買ってきたよ」と、Xがテーブルへ平たい箱を置いた。
それは、丸く平たいチョコレートを、白と黒にラッピングした「オセロ・チョコ」だった。

 

さっそく、酒を呑みながら3人でゲームをした。
(テーブルが乱雑だったので、畳に盤を置いて対戦した。たしかせこく1番1箱の煙草代を賭けたはず)
将棋には少々自信があるが、私はオセロが極端に弱い。2人はなかなか強く、互いに勝ったり負けたりだった。

 

私とQが盤をはさんで勝負しているとき、便所からもどってきたXが、私の後ろに立ち、そのまま観戦をはじめた。

 

しばらくして、ふと思った。
「因果だなあ」と。

私の持ち手は白だった。
「これってオセロだったら、黒にめくられちゃうな」
QもXも、妻に自殺された男だった。

 

それが因果なんじゃない。
そんな友人にはさまれている自分が因果モノなのだ。

 

 


QとXとはすっかり疎遠となっているが、どちらも再婚し、子どももできたと聞く。
私はその後、当時の女に棄てられた。
それはしばらく苦しかったが、ある部分でホッともしていた。
私は女が死ぬことを――口にも顔にも出さなかったが、しんそこ恐怖して暮らしていたのだ。
死に別れではなく、生き別れでよかったと、胸をなでおろしたのである。

 

 

 

 

やはり悪趣味で、あと味の悪い小話だったな。
申し訳ない。
口なおしに『チョコレート革命』から、おいしい(またせつない)歌を紹介しよう。

『サラダ記念日』の通り、彼女は食べ物を歌にうたいこむのがうまい。
それも当時を反映して、なかなか〈バブリー〉な歌が多く、ほほえましい。

 

 


カラスミのパスタ淫らにブルネロディモンタルチーノで口説かれている

 

ベーグルパン置かれる朝の食卓に勝てぬシャンパンを冷やしつづける

 

骨の髄味わうためのフォークありぐっと突き刺してみたき満月

 

水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う

 

歌うように笑うように積み上げられてムール貝の時豊かなり

 

してもらうことの嬉しさ君が作る四分半のボイルドエッグ

 

明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる

 

もう二度と来ないと思う君の部屋 腐らせないでねミルク、玉ねぎ

 

関係はまだ決めないでおきましょう黄色いニラを炒める時間

(※これが曽根ベスト)

 

バゲットとミルク買うこの簡潔に君と二人の朝がはじまる

 

「君に食べてほしい」と言われ味わえりアイスクリームは何かの隠喩

 

 

 

 

 

「ペロペロか……」
思い出し笑いをして、N氏よりいただいたビター・チョコレートをパキリ。
うん、モルト・ウィスキーにあうな。

 

ただいまの時間、午後3時半。
最後の酒をつくろう。
それでボトルは空だ。

 

おやすみなさい。
読んでくれてありがとう。
よい夢を。