曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

元『BURST』、『BURST HIGH』編集長の曽根賢(Pissken)のコラム


テーマ:

[鬼子母神日記]

●巻頭連載
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
[第27回]

「Toilet paper」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文


(2017/collage on canvas) 





大和に越してからは、1日中絵を描いてたので、当然煮詰まってくる。
ある朝、駅を挟んだ反対側へ散歩に行ってみると、片田舎にありそうなパチンコ店があった。
朝から、近所に住むと思われるおじいさん達が、30人程並んでいる。
ここは、そんなに出るのか? と、試しに並んでみると先頭の方でなにやらクジを引いてる様だ。

いざ、自分の番にまわってくると、お祭りにでもありそうなカンカンの中に、棒が沢山刺してあった。
棒の先に赤い線が引いてあると当たりらしく、なんと確変台が貰えるみたいだ。
「すごいシステム! 当たったら勝ちをもらったも同然!」

で、ちょっとはまった僕は、暫く朝は早起きをし、クジを引くのが日課になっていった。
当たったらパチンコ。
ハズレたらアトリエへ直帰だ。
昔から、なにげにギャンブル運が強く、この時も結構当たりを引いて勝った記憶がある。

最近は、ほとんどパチンコを打たないけれど、近所のパチンコ屋さんも是非このシステム取り入れて欲しいね。売り上げアップ間違いなしと思われます。
ちなみに、震災後に制作したキティーちゃんのガスマスクは、TVドラマ『牙狼の怪人』の造形などを担当していたAさんが協力してくれました。
最後に、やっとパチンコ話と作品の話が繋がった(笑)。





6月18日(日)鬼子母神は曇りのち雨。

今日は鬼子母神恒例の古本市「みちくさ市」当日である。
私も(7度目か?)石丸元章さんと共にブースを出すことになっている。
シングル小説や『BURST』『BURST HIGH』のバック・ナンバー、そして今回より詩の生原稿を売ることにした。
(手持ちの雑誌のバック・ナンバーが少なくなったためだ)

けれど、空はどんよりと曇り、ラジオの天気予報は昼より雨をつげている。
雨が降れば当然、露店売りの「みちくさ市」は中止となる。
今日の私にとって、それは慈雨となるが、しかし何か売らねば煙草代もない。
「もちろん煙草は絶対だが、なにか食べなきゃ、このまま死んじゃうかもなあ」
顔は天井に向け、枕から眼だけ窓外へやりながら、薄ぼんやりと思った。

午前10時のブース設営時になっても、私は蒲団から起きあがれないでいた。
ゆうべのうちに米を研いで、水につけてあるのだが、まったく炊く気になれなかった。
顔のうえを1匹のコバエが飛びまわるが、手で払うどころか、口を半開きにしたまま、顔をしかめることさえできない。
まるで赤札を貼られた、餓死寸前のマラリア負傷兵だ。

(先の大戦では、軍医の看立てで、もう生きる見こみのない負傷兵には赤札が貼られ、見こみのある兵には青札が貼られたとのこと。むろん赤札組はそのままほっぽっとかれる。日本語の「診断」は、ドイツ語で「レッテルを貼る」という言葉の訳らしいが、まさか留学先のドイツで軍医をし、帝国陸軍軍医総監へのぼりつめた森鴎外の指示から生まれた貼り札じゃなかろうな)

「僕に内緒で、ひとりでドンペリなんて呑むから、バチが当たったんですよ」
昨日の午後、もはや私は薬局まで歩けず、代わりに痛み止めを買ってきてくれた隣室の兵庫くんは、そう言って薄笑ったものだ。
(※ドンペリうんぬんの話は前回のブログにて参照されたし)

雑司ヶ谷墓地で〈ドンペリ〉をひとりで空け、その後部屋で兵庫くんと呑んだ10日(土)の翌夕より、ジャブ的な膵炎を発症する。
それから口にできたものは、すりつぶしたバナナを牛乳やヨーグルトで割ったものに野菜ジュースを足したものと、チーズと卵豆腐、オリーブと干しぶどう、北海道のヤマシタから送ってもらったヨモギ茶と麦茶のみ。
つくりおきの濃いアイス・ミルクティーを飲みたかったが、私の場合カフェインはテキメンに膵炎を悪化させるので我慢した。

痛みがおさまりかけた13日の夜、やや食欲が出てきたのでバター・トーストでも食べようかと思っていたところ、同い年の編集者田原より呼出しあり。
田原側(?)の仲間が(私が喰えてないだろうと)心配してるから、鮨でもおごるよとのこと。
けっきょく鮨ではなかったが、池袋の海鮮居酒屋にて、5人前はあろうかという魚貝盛りに、鶏レバー炒め、ポテトサラダ、アジフライ盛りで、ご飯をいただく。

しかし、まさかそれらを前にして、茶をすするわけにもいかない。
「おい、呑んでだいじょうぶなのかあ、ピス?」
「ああ、なにこれくらいなら、だいじょうぶだよ」
(このときの私の笑顔が、田原かシギーのツイッターにアップされているかもしれない)
それでも(田原が呑まないので)、生ビール1杯と燗酒を2合で切りあげた。

ご推察通り、これがとどめだった。
翌日の昼、〆切のエロ漫画誌『ホット・ミルク』用の詩を書きあげ、携帯から送ってホッとしたとたん、強烈なボディ・ブロウ的膵炎発症。膝からくずれ落ちる。

それから今日の朝まで、ほとんど呑み食いできず、痛み止めばかりを齧って、蒲団から起きあがることができなかった。
本も読めず、満足に眠ることもできず、便所へは本当に這うありさま。
(この間、小便は烏龍茶色である。しかしなぜか快便はつづく)
ただし、病院へ行こうとは1度も考えなかった。
むろん銭も保険証もないからだし、けっきょくのところ膵炎は、絶飲食をして痛み止めでしのぐしかないからだ。
おそらく(身長174センチの)体重は、47キロほどまで落ちたであろう。

今日の手持ちは30円。
いまさらだが、馬鹿かおれは?
このごにおよんで、雨天中止を願っている場合か。
もう痛みはない。あとは喰うことだ。
そう我が身を叱咤し、重い荷物を肩によろよろと、薬局の隣りの「みちくさ市」本部まで歩いた。
自分のからだを背負っているような錯覚をおぼえながら。


昼前に『BURST』のバック・ナンバーを3冊買ってくれた子連れのパパがおり、2,500円を手にする。
「これで、煙草をきりつめれば5日は喰える」
ということで祝杯に、さきほどエロ本界の先輩である作家の塩山芳明さんより差しいれていただいた、エビス・ビールのロング缶をあけて呑む。
「ま、これくらいなら大丈夫だろ」

しかし、他人から見れば、やはりぜんぜん大丈夫じゃなかったようだ。
石丸さんが私を見るなり言った。
「こりゃ、ダメだ。黄疸がでてる。白目が黄色だ」
「まじ?」
私は、私を囲む仲間に顔を向けた。
兵庫くんが「ええ、黄色いです」と薄笑い、今日も詩を買ってくれた大野さんが「黄色いね」と苦笑いした。他はこわごわとうなづくのみ。
(別れたあとも「どうか病院へ行ってください」とメールをくれた大野さんは、製薬会社の新薬研究者だから、他に色々言いたいこともあったろう)

当然、黄疸症状には気がついていた。
それも3週間ほど前からだ。
肝臓のγGTPの数値が1600近くあった41歳のころも、まったく黄疸が出ず、
「よく呑めるねえ、っていうか、なんで立ってられるの?」
と、新宿ゴールデン街の中村酒店のカウンターで、健康雑誌の編集長を驚愕させた私だったが、「とうとう年貢の納めどきかあ」と、さすがにここのところブルーになっていたのだ。

「じゃあさ、ピスケンの生前葬をやろう! うん、その金で入院すればいいんだよ!」
と、石丸さんがはしゃぎ、それから皆にむかって立て板に水、具体的なプランを語りはじめた。
なのに私は軽口も叩けず、パイプ椅子に座ったまま、2ラウンドにタオルを投げられた4回戦ボクサーのように、顔をあげる気力さえなかった。
もう座っていることさえしんどくて、このままアスファルトに突っ伏してしまいたいほどのテイタラク。

ありがたいことに、そのあたりで(2時くらいか?)雨が降ってきて、撤収することができた。
テーブルやパイプ椅子等の片づけを皆がしてくれ、重い荷物も兵庫くんが部屋まで運んでくれた。
いただきモノの「TAKEO KIKUCHI」のカーゴ・パンツ(新品)とソックスを脱ぎすてると、敷きっぱなしの蒲団へ倒れこみ、皿屋敷の井戸の奈落へ落ちるようにして、がくんと眠った。


――2時間後、なにやら憑きモノが落ちたように、すっきりとした気分で目覚めた。
部屋は暗く、あけはなした窓の外では雨が強く降っていた。
その雨音の癒し効果と、涼しさが、久しぶりに深い睡眠を与えてくれたのだろう。
立ちくらみもない。
「喰いたいモノが身になるモノだ」
私は傘をさし、スーパーへ向かった。

途中の鬼子母神境内では、2店のテキヤが撤収作業をしていた。
本殿へ向かう中央の石畳みを歩きながら、ふと右手を見ると、もともとある団子屋のわきの土に、白シャツと白ズボンを身につけた、雪駄履きの短髪白髪の爺さんが、うつむけにばったりと倒れていた。
それを傘もささず、無言で見下ろす、無表情の2人の男たち。どちらも私くらいの齢か。
3人ともテキヤ衆らしい。

大柄なひとりが、爺さんの両腋に手を差しいれ、無造作に引き起こした。
爺さんは意識がなく、まるで死体のように、だらりと男の胸からぶら下がった。
境内にはちらほら参拝客がおり、みながみな傘の下から男たち見つめている。
私も本殿裏の門に向いながら、振りかえり振りかえり、男たちを見た。
男が腕の力をゆるめると、爺さんはまたずるりと、たわいなく濡れた黒土に落ちた。

スーパー内をひとわたり眺め歩いてみると、肉売り場に「忽然と」といった風に、それまで1度も見たことのなかった「ラム・チョップ」があった。
なかなか厚切りのものが2切れで600円。まよわず籠に入れた。
とすれば、あとの選びは簡単。
クレソンとレモンと新じゃが。ついでに眼についたトマトも籠へ。
それとやや値が張るがバルサミコ酢。ワイン・ビネガーは米酢でまにあわせよう。
それと、アサリが安いので2パックと、クラムチャウダー・スープの缶詰、ついでにバニラ・アイスクリームを買って外へ出た。

また裏門から鬼子母神境内を通り、七曲り荘へ向かった。
行きよりもさらに雨が強くなっていた。
まだいた。あの3人の男たちが。
それも、さっきの場所から10メートルほども移動していない。
ようやく表門の、低い石段の手前である。
爺さんを2人が、両わきからかかえている。
しかし、爺さんの足――雪駄が消え素足だった――は地面こそ踏んでいるが、5センチほども前に進まない。
ほとんど吊られている按配だ。

シャツがまくれ、血を流した背中が見えていた。
白いシャツもズボンも足も泥だらけである。
かかえるふたりの衣服も、あちこちに泥や血がついている。
むろん傘をさせるわけもなく、3人ともずぶ濡れだ。
すでに他のテキヤ衆も参拝客の姿も消え、薄暗い境内には、ザンザンとした雨音ばかりが満ちている。
よく見れば、かかえている男たちの足取りも危うく、やはり泥酔しているらしい。

おそらく、どこかに車を止めているのだろうが、男たちは無言で、3人もつれるようにして、じりじりと石段のほうへ進んでいた。
映画『仁義なき戦い』のどこかに、こんな場面があったような。
また、壇一雄が太宰治との交遊を振りかえり、
「あのころは2人、もつれるようにして生きていた」と語っていたのを思いだす。

やや離れて男たちのわきを通りすぎると、アル中の私でも息をつめたほど、安酒の悪臭が鼻を撲(う)った。
石段をおりて、しばらく進んだところで振りかえってみると、案の定もう、石段の下に男たちは倒れていた。
それでも3人はもつれあい、うごめき、けれどなぜか誰もうめき声をだしていなかった。
雨音で聞こえなかっただけかもしれんが。
濡れたアスファルトにのたうつ、泥人形のような男たちのもつれた姿は、なつかしく眼に染みた。

「おかしな野郎たちだなあ」と、ほがらかな気分でケヤキ並木の参道を歩いているうち、ふと、ある夏の夜のことが思いだされた。
いま見た3人の男たちと、手にさげたラム・チョップのせいだろう。
部屋に帰って、さっそく押入れの奥へ突っこんであった段ボール箱を引きずり出してみると、やはりその夜のことを書いた生原稿が残っていた。
もと私の舎弟分だったKの編む、月刊エロ雑誌に連載していた手書き原稿である。

PCで打ち直し、以下に載せてみたい。
少しづつ、3日もかければ打ち終えるだろう。
つまり今回のブログも、まだまだ長くなる。
ここまで読んでくれたあなた。
よけいなお世話だが、私同様、ここで休んだほうがいいだろう。
インター・ミッションだ。
私も濃いアイス・ミルクティーをたっぷり飲んで、一服しよう。




M出版発行『B・V』2011年9月号掲載
連載『すりぬけろ小便の雨んなか。』
第15回
「河原乞食の舟唄」

私の女はラム・チョップが好きで、その切りわけた厚ぼったい形状からか、
「仏陀の耳」なんぞと、バチ当たりな呼び名をつけている。
だが、先ほどデパ地下の肉屋で買いもとめてきた6切のラム・チョップは、ひと切れの厚さが4センチもあり、その法外な値段からも、女の呼び名にふさわしいブツだった。

今日8月6日は、女の37歳の誕生日である。
無職の私には、プレゼントを贈る余裕も習慣もないが、毎年この日「仏陀の耳」だけは欠かせない。
なにせ「全世界の仔羊を喰らいつくす会」の会長を、公言自認する女だ。
私の夢の中で、くちびるや頬に、血塗れた巻き毛の羊毛をこびりつかせ、
「やっぱり生がおいしい」と破顔する女だ。

ましてやここ5年、私の首を「ヒモ」で繋ぐ女の誕生日である。
今日ばかりはなんとしても、おのれの稼ぎで「仏陀の耳」を手に入れ、そいつに塩胡椒小麦粉で化粧をほどこし、ニンニク赤唐辛子で風味付けしたオリーブ油で、ワイン酢とバルサミコ酢をきかし、ふっくらと、ジューシーに焼き上げなければならない。
付けあわせは、親羊に喰わせるほどのクレソンの山と、焼きジャガイモ、それと半割のレモンをごろごろ。

柱に吊った竹筒の花瓶には、ピンク・赤・オレンジ色のハイビスカスが生けてある。それも女のために買った花だ。
私はマーガレットのような、白い単純な様子の花が好きだが、女は熱い地色の単純な花を好む。
それらに使った金は、今から3時間前の昼の2時、東京・市ヶ谷駅近くの喫茶店で、この原稿の担当編集者であるKさんから頂戴したものだ。
実をいえば、それは今あなたが読んでいる、この原稿の前払い金である。

稿料の5分の2は、いつものように別れた妻へ振りこんだ。
5分の2は女へ手渡す分だ。
残りの金で今夜の酒と食材を買った。
もうポケットには小銭しかない。さっそく明日から、またヒモ暮らしがはじまる。
女が毎昼テーブルへ置いてゆく千円札で、私はハイライトを買い、夕食の献立を考えねばならない。
(私はスーパーの馴染みのレジ店員たちから「半額さん」と呼ばれている)
ゆえに、ヒモがほどかれるのは今夜だけだ。

それにしても、原稿を手渡す前に稿料をふんだっくったのは今回が初めてだ。
(とはいえ、毎度ギャラは原稿と引換えに手渡しで頂いている)
女が帰って来るであろう10時までの5時間で、私は晩餐や風呂の用意をしながら、この原稿を書きあげねばならない。
なぜなら昼間Kさんに会った際、迎え酒の勢いで、これらの文字を書きつらねた紙束を、明日の朝8時に手渡すことを約束したからだ。
(Kさんは、この原稿を私の家まで取りに来なければならない。私はいまだに手書きだし、家にはFAXがないからだ。明後日が校了日だから彼もしょうがない)

ところで当の女とは、昨晩から顔を合わせていない。
電話やメールにも返答はない。
今夜は多摩川の実家へ帰る気かも知れない。
それでもかまわず、このまま晩餐の下ごしらえと、この筆を進めることにしよう。それしか私にはしようもない。
でも念の為、もう1度メールを送ってみよう。

「仏陀の耳と、多摩川の香魚と、亜熱帯の花と、清潔な湯を用意して御待ちしております」

薄暗い風呂場を覗くと、水の溜まり具合はあと2分といった辺りだ。
水色の風呂桶に溜まった水道水は暗く澄み、蛇口から落ちる水が、水面に次々とパチンコ玉のような泡を弾かせている。
ふと、その水道水の匂いを嗅いでみようと、前かがみになった途端、むっと自分のからだから、泥潮臭い、河水の匂いが鼻についた。
それは真夏のとろりと温かい、多摩川下流の水の匂いである。

今より16時間前の深夜2時。いわゆる草木も眠る丑満時。
1本の笛の音曲に誘われ、私は上半身裸となり、百メートルほど先の対岸へ渡ろうと、ひとり多摩川へ入った。
入水した場所は、左手に長さ4百メートルはある丸子橋と、右手に東横線の鉄橋に挟まれた、幅およそ3百メートルほどの河辺の中央だった。
右手の東横線鉄橋下には堰(せき)があるため、その辺りは水が浅く、深い場所でも大人の腹までしかない。

一緒にいた友人2人は、河へ入る私を止めもせず、身長2m24㎝の戦争カメラマンが、私へ小さなデジタル・カメラを手渡してよこした。
もうひとりの葬儀屋部長は、なぜか荒井由美の「ルージュの伝言」なんぞを口ずさんでいる。
同時刻、聞きわけのない私の振る舞いに怒った女は、練馬区下石神井のこの家へ、ひとり車を走らせていた。

女に追い出されるまで、私たちは女の実家の田園調布の酒屋で、夕方から5時間も立ち呑みを続けていた。
もちろん女の御母さんの御厚意で、店の酒(高価なベルギー産ビールとか)を片っ端からタダ呑みだ。

とうとう、ぶちきれた女に追い出された私たちは、呑み屋へ入る金もなく、多摩川駅構内のコンビニで焼酎の1・8リットル入りペット・ボトルを買うと、多摩川岸の岩山に建つ「浅間神社」の展望台のすみっこに座りこみ、終電がなくなるのもかまわず、焼酎を3人でラッパ飲みしていたのだった。

その他に私たちは、ちまたで「赤玉」と呼ばれる(赤いセロファンに包まれた)眠剤を5錠ずつ飲んでいた。
本来「赤玉」はMDMAに合わせ、キキを良くするためのネタなのだが、酒ともたいへん相性がよろしい。

そういうわけで私は、多量のアルコールと眠剤に泥酔した状態で、多摩川の黒い流れに入っていったのだ。
月も星も見えなかったが、ゆれる河面には、丸子橋の灯りが、ぬめぬめと照り映えていた。
けれど、対岸の土手下は闇溜まりとなっている。
そこから大勢の男女の笑いをふくんだ声と、おそらく竹笛(竜笛)の、糸ひくような音曲が聞こえてくる。
私はカメラが濡れないように左手を高くかかげ、対岸の声の主たちに気づかれぬよう浅い水に身を沈め、そろりそろりと生ぬるい河を歩いていった――。

「丸子橋から下をのぞいたら、白鳥に似た黒い鳥が、河を渡っているように見えたでしょうね」
昼下がりの静かな喫茶店で、担当編集者のKさんは、私が震える指で書いた「原稿料前払い金」の領収書を受け取ると、そういって眼をとじた。
まだ私は、酒もクスリも抜けていない。
領収書に書いた文字や数字は、自分でも判読不能だった。
(今も茶碗酒を呑みながら書いており、この原稿用紙にのたくる文字も、我ながら狂った仏僧の筆による経文みたいだ。はたしてKさんはこの原稿を読み取れるだろうか)

ぎょろっとEさんが眼をむいた。
「それにしても無茶ですよ。ロシアじゃこの夏、酔って河で溺れ死んだ人が、もう何百人もいるんですよ」
「そうだよなあ、俺だったら止めるよ」
「一緒にいた相手が悪かった。戦争カメラマンと、葬儀屋ですもんね」
「ああ、コソボやコンゴや、子どもを焼く釜戸の前と比べりゃ、夜の多摩川渡りなんて、春のうららの小川のひとまたぎだ」

「でも河に入って30分も戻らなきゃ、さすがに心配して探すでしょう」
「それがさ、ようやく元の河岸に帰りついたら、2人とも死んだように眠りこけてたよ。俺が昼に目覚めたら、2人とも姿を消してた」
「ほかの2人も聞いたんですか、その声や笛の音を?」
「ああ。最初に声を聞いたのが浅間神社の展望台でね。そこで呑んだくれながら多摩川に向かって叫んでたんだよ。思いのたけをさ。そうしたら突然、真っ暗な対岸から大勢の声がこたえたんだよ。まるで、合戦の鬨(とき)の声みたいに、オオーッてさ」

「大勢の声って、どんな集団なんです」
「わからない。でも、若い男女の声だった」
「……いったい、どんな文句を叫んでたんです?」
「なんでこう、何もかもうまくいかないんだ! とか。金よ降って来いとか。俺に原稿を書かせろ、とかさ。あいつらも似たようなこと叫んでたよ。おれに仕事をさせろとか、おれは有名になりたいんだ、とかね。デフレのちまたには、スモーキー・マウンテンの子供たちの泣き声が満ちているのが、おまえらには聞こえないのか、とも叫んでたな」

「悲なしいというか、わびしいというか」
「そろそろ50の墓場を迎える、おっさん3人の血の叫びだよ。それにこたえる大勢の声が返ってきたもんだから、不覚にも3人抱きあって泣いたよ」
「とっくに不惑の齢をこしてるっていうのに、神社で焼酎と眠剤でラリって泣きわめいてたら、神様もそりゃ怒りますよ。
あそこの浅間神社は小さいけど、鎌倉時代からあるんですよ。源頼朝と、その奥さんが関係してるし、亀甲山古墳につながっていますしね」

「へぇ、さすが慶應の国文科。折口信夫門下だもんな。コカインやり過ぎると、先生みたいに鼻の粘膜やられちゃうよ」
「はっ、曽根さんたちじゃあるまいし。中学まで、あのへんの沼部ってとこに住んでたんです。浅間神社の御祭神は、コノハナノサクヤヒメっていう、日本神話に出てくる女神です。もちろん『古事記』や『日本書紀』にも出てきますよ。海幸彦と山幸彦の母親です」
「俺たち女神を怒らせちゃったのか。3人でもつれて石段をころげ落ちたもんなあ。あれで頭カチ割って死んでてもおかしくないよ」

「それにしても、なんで河を渡ろうとしたんです」
「そりゃあっちでも、ラリって集団乱交してるって思ってさ。元ジャーナリストの血が騒いでな。でも、どれだけ近づいても単語ひとつ聞きとれなくてさ。あの笛の音だけは、いまも耳にまとわりついてるんだけど」
「人の姿は見えたんですか。大勢いたんでしょ」
「それがまったく見えなかった。声と同じで、そこらあたりだけ闇がもやもやと、うごめいていてな」
「本当に三途の河を、渡ってたんじゃないですか?」

「でな……もうすこしで、その岸に着くってあたりで、ごつんって、いきなり肩にぶつかってきたもんがあったんだよ。河を流れてきた、何かバカでかいもんが」
「………」
「それがさ、棺桶ぐらいある、白い発砲スチールの箱なんだ。大間のマグロとか入れるでかいやつ。ぶつかった拍子に、中からザサッて髪の毛がすれるような音がしてさ。
その時、首がぐいって後ろへ引っぱられたんだ。首から下げている、この御守がさ、引っぱったように感じたんだよ。そこでようやく、これは対岸へ上っちゃやばいって思ってな。まずい引きかえそうって。でも1発だけフラッシュは焚いたけどな」

「何が映ってたんです」
「知らんよ。カメラはSが持ち帰ったから。目覚めてから対岸を見たけど、べつに雑草が茂ってるだけで、こないだ焼いたXのベッドやらも無かったし」
「えっ! 声の聞こえた場所って、Xさん(※)の遺品を焼いたとこなんですか!」
「ああ。あそこ」
「ああ、あそこって……まったく」

(※)Xとはこの晩からひとつきほど前に、泥酔しての睡眠中、嘔吐物をのどにつまらせて死んだ私たちの友人である。
仲間のなかで、たったひとり(ガレージ・パンク)バンドを続けていた男だった。
(この前回の連載で、そのことを書いていた)
管理人に発見されるまで10日ほどたっており、腐敗がひどかった。
Kを交えた仲間7人で、誰がいいだしたか追悼式と称し、その河原でXの遺品をガソリンで焼いた。

私たちが数年前、結婚祝いに贈ったダブル・ベッド。
(そこにはシングルのシーツが貼りついていた)
エレキ・ベースばかりが5本。
(そのうちの1本さえ誰もほしいと言いださなかった)
Xが改造し、出力を500キロWまで上げたアンプのヘッドとスピーカー。
革ジャンが3着に、エンジニア・ブーツ。

そして私が、皆にかくれてブーツにさしこんだ竹笛が1本と、モノクロの写真が1枚。
その竹笛と写真の因縁こそ、おそらくXの死の心理的要因になっている思うが、ここに記すことではないので省略する。
Xの親兄弟は、遺骨以外の遺品を引きとろうとはしなかった。
(実は、竹笛と写真の因縁は、私の未発表の中編「火舌集」の話につながるものだ)

ちなみに、あとで「戦争カメラマン」へ確認したところ、私の撮った写真は真黒だったそうな。
それと「首から下げたお守り」とは、女からもらった当の浅間神社のものである。中には便箋1枚の女の手紙と、私の親不知が1本入っていた。

「土手に支流が流れこむ、大きなトンネルがあったし、土手の向こうは、広いグラウンドや駐車場が広がっていたから、遠くから声が流れて来たんだろうな」
「それにしても、棺桶みたいな箱が流れてきたなんて恐いですよ。まるで死んだオフェーリアが流れて来たようなもんじゃないですか」
「なんだ、そのオフェーリアって?」
「また知らないふりして。そりゃ『マクベス』に出てくる女ですよ。水死する女。水の精。ニンフの美少女代表です」

「へぇ、それじゃ俺は、日本神話の女神を怒らせて、三途の河を渡り、西洋の死んだ美少女に助けられたってわけか。世界は混沌としながらも、血より濃い女の涙っていう、水脈で繋がってるんだなあ」
「なにを相変わらず、キザなこと言ってるんですか。今日はMさんの誕生日でしょう。誕生日のプレゼントが、土左衛門のホトケだなんて、泣くに泣けませんよ」
「あいつのことだ、どうせ流れてきた豆腐の角にでもぶつかったんでしょ、って言うだろうな」


多摩川の匂いと汗をシャワーで洗い流し、ゆっくりと熱めの風呂につかった。
河につかっていたときと同じような眩暈を感じる。
よどんだ水商売の、浮草稼業に憑かれた思いが、きりきり舞いして湯に沈んでゆくようだ。
ふーっ、心底、疲れた。

けれど、冷蔵庫にはギネスと「一の蔵」吟醸が1升冷えている。
それと鮎が四尾。多摩川の天然物だ。
デパ地下の魚売場でそれを見つけ、高価だったがためらわずに買った。
ポップには、多摩川の鮎は幕府に献上されていた「御用鮎」のひとつだったと書かれてあった。
今夜はさすがに「仏陀の耳」だけの献上では済まされまい。そう思ったからだ。

ところで、たまに女は、私のことを「ホウイチ」と呼ぶ。
私の右の耳たぶが、生まれつき少し欠けているからだ。
つまり「ホウイチ」とは、あの、耳を「割礼」された若い琵琶法師のことだ。私の場合は「耳欠け」だが、昨夜の出来事も、話に耳をかさない「女たち」からの、警告の意味があったのかも知れない。
なんて、殊勝に思ってみたりもする。

ただ今の時刻、午後9時を少し回ったあたり。
まだ女からの連絡はない。
だが、もう指定枚数をかなり超えた。そろそろ、この酔い痴れた破戒僧の筆による、たわごとの経文を書き終えよう。
「ほら、肝心なところを書き忘れているぞ」
そんな声が方々から囁かれるが、なに、私の耳は生まれつき欠けているのだ。気にかけはしない。

女はもうすぐ帰って来る。それは確かだ。
あいつは「仏陀の耳」に眼のない女だ。
ましてや私を「芳一」と呼ぶ女だ。引き千切ってでも喰わずにはいられまい。
首から私をヒモでぶら下げ、日々を暮らすのは大変だろうが、なに、あいつの首は強靭だ。

それにしても、なぜか左腋から冷汗が流れる。
首もぬるぬるしている。
そういえば、今日8月6日は、女の誕生日でもあるが、広島で無数のいきものが焼き殺された日でもあった。
この号の発売日は「終戦記念日」8月15日か。
お盆だな。
旧暦で8月15日は中秋の名月だ。
かぐや姫が、月へ帰る晩だな。
その夜、私は月見の宴に呼ばれている。
あなたがこの原稿を読んでいる晩だ。

 
今夜、8月15日。
私は老「贋作家」の大邸宅の、竹林に面した長い廊下に座っている。
そして晴れ晴れとした気分で明月を愛でながら、ガンジャにチャラスとオピュウムを混ぜこみ、葉巻にハッシュ・オイルを塗った、太巻きのトゥー・マッチなジョイントを燻らせている。
女は取材で富山へ行っており、首のヒモが弛んでいるからだ。
あなたもこれからひとっ風呂浴びて、外へ出てみればいい。
大概のメランコリーなら、風呂につかればたやすく晴れるぜ。

金のない奴はこっちへ来いよ。
おれもないから心配するな。
ほら、空を見ろ。
真っ黒だろ。
今に嵐が、みんなぶっ飛ばしてくれるさ。

なんて了見は棄てるんだぜ。
淋しさの丸太を天地に突きたて、精一杯しがみつくんだ。
せめて嵐が、お前さんの涙を吹っ飛ばしてくれるだろうよ。
さあ、耳を澄ませ。
対岸から、あの河原乞食の舟唄が聞こえるだろう。


われらは首ふる 
ひまわりの振子
東へ西へ
種まく振子
 
見よ、燃える柘榴(ざくろ)の木に
時限の振子は吊るされたり
 
糸きり湯をたけ
つましい妹(いも)
ほうばれよ
この一握りの種
 
寒蝉のうたは
ひなたの営みに焼かれしも
 
われらは首ふる
ひまわりの振子
東へ西へ
種蒔く振子


そろそろ女が、夜道をひた走って帰ってくる。
ほら見上げれば、みごとな満月が昇っているじゃないか。
晩餐のまえに、このからだに鞭打って、おもいっきり愛しあおう。

(次号へつづく)



――今も昔も変わらず、けったいな原稿だな。
こんなもんをエロ本で読まされても困っちゃうだろう。
それにしても無茶なことをしていたもんだ。
大量のアルコールに眠剤を5錠も呑んで、深夜の多摩川をわたるなんて、無意識の「入水」以外なにものでもない。
1歩足をとられたら、あのとき確実に私はドザエモンとなっていたはずだ。

文中の、戦争カメラマンも葬儀屋も(ちょいと職業を変えてあるが)、いまも不景気に同じ仕事をし、担当編集者のKは現在、電子書籍会社のやとわれ社長をしている。
そして私は、この夜から1年半ほどして結局、とうの女から棄てられたわけだ。
で、今もこうして「耳かけ芳一」は、おのが身に猪八戒の念仏じみたデタラメを書きつらねている次第。

さて、これから「仏陀の耳」を、わが身のために焼こう。
塩胡椒をし、小麦粉をはたき、半分にしたジャガイモといっしょに、ニンニクと赤唐辛子の風味づけしたオリーブ・オイルで両面をかるく焼いたら、米酢をかけて(本来はワイン・ビネガー)、フライパンへふたをして蒸し焼きにする。
最後にバルサミコ酢をかけて焼きあげる。
つけあわせはジャガイモの他に、クレソンとトマト、半割のレモンをごろりと、英国流。
スープは、ひたひたの水からアサリを煮、それへ缶詰のクラムチャウダー・スープを入れてミルクでのばし、あとは塩胡椒するだけ。

それらを平らげたら、アイスクリームを舐めて、また寝よう。
癒しの雨音は、まだだいぶ強い。
おやすみなさい。
こんなもつれた文章を読んでくれてありがとう。
でも、たまには男とも、女とも、もつれてみるのもいいもんだよ。
うっとうしいなんて、いいっこなし。
そして人ともつれあうためには、まず自分からもたれかからなきゃならないってことを知ろう。
それは弱さじゃないし、みじめなことでもない。
いきる醍醐味だと思うよ。
そして自ら他人ともつれあうのもまた、身を投げだしてこそ、浮かぶ瀬もあるってことを教えてくれるさ。
よい夢を。



[セカンド7インチ・シングル小説発売]

●ザ・シェルビスのセカンド7インチ・シングル小説『Shigella』ジャケット写真

被写体:細菌学者(赤痢菌発見者)志賀潔
写真:土門拳

A面「親不知のしゃれこうべ」
B面「ものもらいの数珠」
限定500部/定価1,600円

●アドレス:budroll.shelvis.sy3@gmail.com

――以上へ以下のことをメールしてから、お金を振り込んでください。

◎郵便番号と住所
◎名前(口座のカタカナ読み振りも)
◎電話番号
◎ファースト、セカンドのどちらを希望するか

●1,600円(発送代込み)
●振込先――ゆうちょ銀行

◎BUDROLL
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817

※通販以外の店頭販売につきましては、もう少し下に店名があります。

P.S.

以下の作品を買ってくれる方、また、仕事をくれる方、メール下さい。
●「詩作品」(手書きした原稿用紙――1万円)
※宅配便着払い

●原稿と編集&コピーライトの仕事。
(個人誌やグループの冊子も受けつけます。アドバイス程度なら、酒と1万円ほどで)
?
●pissken420@gmail.com


[ファースト7インチ・シングル発売中]


●ファースト7インチ・シングル『The SHELVIS』
A面「八重桜」/B面「熱海にて」 定価1,600円

●以下の「ディスクユニオン」の店舗で「ファースト&セカンド」発売中。
御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター
●中野ブロードウェイ「タコシェ」にても発売中です。
●西早稲田「古書現世」にても。
●下北沢「気流舎」にても。
●南池袋「古書 往来座」にても。
●雑司ヶ谷「ジャングル・ブック」にても。
●駒込「青いカバ」にても。
(以上の場所は、ネットで調べてください)

[ユーチューブにてシングル小説A面「八重桜」のPV公開中]
●曽根自身が声と手足で出演しています。
※ガレージパンク・バンド「テキサコ・レザーマン」が全面協力!

[ユーチューブにてPISS&KEROのファースト&セカンド・ライブ放映中]
●中野「タコシェ」にてのポエトリー&サウンド5回。
●下北沢「気流舎」にて。

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:


[鬼子母神日記]

●巻頭連載
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
[第26回]

 

「The End」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文

 


(2017/ Acrylic on canvas)




ペーパードライバーの僕は、後輩に頼んで引越しを手伝ってもらった。
いざ、引越してみると、ひとり身に1軒家は大きすぎて、2階にはお風呂の時しか行かず、1階の何もないフロアーで生活していた。
1日中絵を描いて、週に2度程、恵比寿のお店に働きに行っていた。
ただ大和から恵比寿は遠すぎた。通勤に一時間半位かかったんじゃないかな。乗り換えで新宿についた時は、もうぐったりだった。

ある朝、戦闘機の物凄い轟音で目を覚ました。寝ぼけて戦争がはじまったかと思ったくらいだ。
厚木基地の騒音問題をニュースで聞いた事があったが、いざ当事者となるとこれは辛い。気にしていたらノイローゼになるのでは? と思った。
東日本大震災もそうだけど、実際経験してみないとわからない事が多い。

初めての場所なので、どんな街なのかと歩いてみると、興味をそそられる店が1軒あった。
店の前にある汚れた看板に「コロンビア・バー」と書いてある。
見た感じ昔のラーメン屋っぽい。コンクリートの床にテーブルと椅子を置いただけだ。
入り口はサッシのガラス張りでカーテンが掛かっている。

ある日カーテンの隙間から、そっと覗いて見ると床に布団を敷いて寝ている外人がいた。何なんだここは? と、ますます、興味をそそられたが、ちょっと1人では入りずらく、暫くはお店の前を素通りするだけだった。
そこで、弟が遊びに来た時にお店の話をすると「面白そうだな! 行こうぜ」と言うので週末2人で遊びに行ってみた。

どうやらパーティーをやっている様子で、陽気なラテン音楽が外まで響いていた。
中に入ると、コロンビア人や日系二世だと思われる人で溢れかえっていた。
日本人が珍しいのか、ママさんに声を掛けられ、本場のサルサの踊り方を教えてもらい、それはもう楽しい一夜だった。

その日から、ママさんとも知り合いになったし1人でご飯を食べに行く事が多くなった。
いつもコロンビアの家庭料理を作ってくれた。
チキンのソテーなんだけど、大和と聞くとあの味を思い出す。
ママの家庭や子供の悩み、コロンビアの話を聞いたりしてると、異国で生活する大変さが身に染みた。

あそこだけは日本じゃなくコロンビアだったな。
店で寝泊まりしてる男性も含め、皆悩みを抱えながら生きているんだなと。
町田も近い事もあって、仙台へ戻ってからドラマの「まほろ」(注)を見ると大和を思い出していた。
ストリートビューで見るとあのお店は、もうなくなっている様だ。
ママやお客さん達はどうしてるのかな? とたまに気になるんだよね。
あの大和市に響く轟音の下で、今も元気にサルサを踊っていてくれたら良いな。
(つづく)

(注 正しくは「まほろ駅前多田使利軒」)







6月10日(土)鬼子母神は晴れ。

午前9時起床。
カーテンをあけると、いい天気だ。
2つのプランターに蒔いたミニ・ヒマワリの種が、いっせいに芽吹いていた。
羽蟲の屍骸のように、か細く乾いた去年の種が、やはり生きていたのだ。
お祝いに、昨晩買ったパイナップル(デルモンテ・ゴールドの丸ごとパック。半額で250円)を半分食す。

他に、1房60円のフィリピン産バナナ。ちょいとおごった卵豆腐。オリーブ2粒。
カマンベール・チーズ4分の1片。
(ベルギー産280円。ベルギーは国策としてチーズ多種を安価に輸出しており、味も平均点以上なので狙い目だ)
そして、つくりおきの冷たいミルク・ティー。

ヒマワリの芽吹きにはしゃぎ、フルーツやミルク・ティーの朝食をとる、深窓の令嬢みたいな52歳男子。
おとつい銭湯で体重を量ったら、49キロまで落ちていて愕然としたばかりなのだが。
(つまり令嬢の朝食というよりも、病人の流動食に近いか)
それでも気分はいい。からだがふらつくとはいえ。

昨日はコアマガジンにて、読者プレゼントの発送作業のアルバイト(4度目)をしたので、数日は煙草代にも困らない。
社長の中澤さんに「なにしてんだ、おまえ」と呆れられたが、単純作業であれ、たまの仕事は気分を明るくする。4度ともエロ漫画誌『ホット・ミルク』編集長の高柳が仲立ちしてくれたバイトだ。
なお、その発送作業中、あのテキヤの爺さんから電話があり、7月7日の七夕祭りで、また鮎の塩焼きを売る仕事をもらった。
今度は「夜祭り」デビューである。

 



●このプランターは本来、つまみ菜用だったが、冬のあいだもずっと外へ出しっぱなしだったため、いつの間にか雑草に占領されていた。冷蔵庫のなかでカチカチになっていたカタクチイワシの丸干しを2本づつ、肥料として埋めてある。右の重ねた緑と赤のポットに、間引いた芽を1本2本と移植する予定。尚、柵の外に見える階下の木の緑は、夏になると柵の上まで伸び、窓の半分以上が緑に染まってきれいだ。名前は知らない。こんど大家さんに訊いてみよう。



午前11時、煙草を買いに外へ出たところ、大家さん(おんとし89歳の独居女子)が玄関前を掃いていた。
大家さんは私の顔を見るなり、
「あっ、曽根さん、ちょうどよかった。ちょっと、ちょっと待ってね」
と、私に挨拶もさせず家に入った。
そしてすぐ、なにやら重たげな紙袋を抱いて、おもてへ出てきた。

受取って中身をひきだしてみれば、シャンペンのフル・ボトル。それも裸の〈ドンペリ〉である。たいそう冷えている。
さすがにヴィンテージではないが、おそらく市価でも1万円前後はするだろう。
「こんな高価なもん、いただけませんよ」
「いいの、ほら、こないだの葛餅と水羊羹のおかえしよ」
「そんな、あれふたつで、400円もしてないですよ」

私は家賃を払いにいくたび、ショート・ケーキか和菓子を買って大家さんへ手渡す。
その際きまって「いつも子供だましですみません」と言い添える。
なにせ常に家賃を遅らせているのだ、菓子くらいお愛想しなければ。
(今回もひと月分しか払えず、まだ3カ月分滞納している)

「大丈夫、いちばん下の弟(フランスに50年在住)がね、ワインとシャンパンを10本も送ってよこしたのよ。ほら、あっちからだと安いでしょ。わたしワインは大丈夫なんだけど、シャンパンは強すぎてくらくらしちゃうの。ね、のんで、冷やしておいたから」
「はあ、ありがとうございます。それじゃあ、遠慮なくいただきます」

私はいったん部屋へもどった。
そして冷蔵庫へシャンペンをしまいながら考えた。
(隣室の兵庫くんの顔がうかんだが、つよく頭をふってふるいおとした)
「もう3週間は呑んでいないし、こいつならかえって、からだにいいだろう」
さすれば、肴(さかな)はどうしようか?

最初に頭にうかんだのは、内田百閒の「おからでシャンペン」だ。
次が、映画『プリティ・ウーマン』の「苺でシャンペン」。
そして3つ目が、萩野アンナの「慶應大学の学食で、もり蕎麦でシャンペン」だった。
(実際は、教授が学食でシャンペンじゃスノッブすぎるだろうと、缶チュー杯で写真を撮らせていたが、苺でシャンペン同様、おからやもり蕎麦の「マリアージュ」も、作家らしいひねったスノッブさである)

苺は10粒ほど冷蔵庫にのこってある。
学食のもり蕎麦?
「まさか学習院の学食へ、オレがもぐりこめないだろうしなあ」 
ひとまず、煙草とおからを買いに外へ出た。

煙草を買い、豆腐屋へ歩いている途中、天気がいいから外で呑もうと決めた。
するとここらへんだと、西武デパートの屋上か、雑司ヶ谷墓地しかない。
今日はなんとなく、人気のない場所で呑みたい気分だ。墓地にしよう。
すると蕎麦は無理か。それじゃあ、おからと苺の他に肴はなんにしよう?
――まあ無難にピザでいいか。ひさしぶりに食べたいし。

ここらへんではいちばん旨い豆腐屋で、調理したおからを買い、また部屋へ戻る。
銀紙でしきりをしたタッパーに、おからを3口と、苺、オリーブ(アーモンド&パプリカ入り)、チーズ、自家製のキュウリの糠漬け、おとつい煮た豚足の半割れを冷たいまま詰め、わり箸とフォークと一緒に浅黄色のふろしきで包んだ。

だいぶ以前、百円ショップで買ったシャンペン・グラスと、ドンペリをそれぞれタオルでくるみ、ふろしき包みとともに手さげ袋へ入れる。
〈読み肴〉は、先日ボスYより借りた漫画『この世界の片隅に』(こうの史代/上中下3巻)の上巻を。
携帯灰皿とウェット・ティッシュ、タバスコの小瓶を尻ポケットに突っこみ、手さげ袋を肩にかけ外へ出た。


ピザ(マルゲリータと紫蘇&シラス)を買った足で墓地へ行き、竹久夢二の墓のわきにある、低い竹垣で囲まれた、猫のひたいほどの休み場所に着いたのが12時半くらいだった。
そこには赤茶に塗られた木製テーブルと、やはり同じ色に塗られた背もたれのない2人がけの椅子が、テーブルをはさんでしつらえてある。

テーブル・クロスがわりにふろしきを開き、タッパーとピザ、箸やフォークやウェット・ティッシュを並べる。
あたりをうかがい、タオルを瓶の口にあてて、音のせぬようドンペリを開けた。
もう一度あたりを見渡し、シャンペン・グラスへつぐ。

ここは広い墓地のけっこう中ほどにあり、緑にうもれた静かな場所だが、眼の前が車も通れるほどの路となっているため、時間によっては犬連れの散歩者が多くなる。当然、夢二の墓をのぞく人もいるだろう。
(近くには夏目漱石の墓もある)
かるい飲食なら墓守もめこぼしするだろうが、むろん禁酒禁煙、堂々と酒煙草をのむわけにはいかない。
ましてやこれみよがしにドンペリのボトルを立て、シャンペン・グラスをかたむけるなど言語道断、はたから見ればキザ以前にキチガイ沙汰である。

グラスを手に、夢二の墓へあいさつに立った。
その墓は、自然石の上にのせた、やはり四角ではなく、自然石にみせて細工された黒い御影石(?)で、地面から1メートルの丈もなく、たいそうちっぽけに見える。
表示表柱がなければ、1、2度来たことのあるファンでも見つけるのに苦労するだろう。

そこに枯れた花束が2対と、ちょこんと香水の瓶がそなえてあった。
手にとって見れば、ダンヒルの香水である。持ち重りのする新品だ。
箱型で表面が、カラフルな色のついた小さな升目模様となっている。
墓石に鼻をちかづけかいでみた。
幽かに香水のにおいがする。
「ダンヒルの香水って、夢二の時代にあったのかなあ? それともたんに供えた人の趣味か?」

グラスを土台石へ置くと、左の手首に香水を吹きかけた。
そこへ右手首をこすりつけると、そのまま両手首で首の両がわをこすり、ついでにシャツをまくりあげて、腹にもこすりつけた。
柑橘系の甘味のすくない香りだった。

それから墓石のてっぺんへドンペリを半分かけた。
墓石にグラスをかるく打ちつけ、乾杯し、ゆるゆると呑みほす。
うん、旨い。やっぱり「泡モノ」はいいな。
ダンヒルの香りも合っているじゃないか。

あらためて墓石に香水を吹きかけてから、瓶をもどした。
夢二は女を片っぱしから手籠めにし、女を変えるたび絵の女も変え、それは売れに売れたが、女に恵まれたようでいて恵まれず、晩年は身内にも見放され、ひとり病院でひっそりと死んだ。
なかなか、えらい奴である。
絵もいいが、その少女趣味の甘い抒情詩も、甘さゆえに私は好きだ。
確か去年の暮れか今年のはじめに、挿絵のたくさん入った夢二詩集が、とうとう岩波文庫からでた。
1篇、 甘い甘い有名どころを紹介しておこう。



「靴下」


あなたのための靴下を
白い毛糸で編みませう。
もし靴下がやぶけたら
赤い毛糸でつぎませう。
けれども遠い旅の夜に
あなたの心が破れたら
あたしはどうしてつぎませう。




そういや、前の女の父親へ、結婚の承諾を求めに甲府へ行ったとき、その翌日、夢二記念館へ連れていってもらったな。
50号クラスの夢二式油絵(たしか油だったと思う)が良くて、おみそれしたっけ。
あそこはどこだったろう。確か、山の中腹だったような。


テーブルにもどり、苺、おから(人参しいたけネギ入り胡麻油風味)、キュウリの糠漬け、豚足煮の順でつまみ、シャンペンとの相性を確認してみる。
これぞマリアージュ! と興奮するほどじゃないが、みなほどよく合う。
(苺は「なるほど」とうなずき、おからには笑みがもれた)
豚足は八角の風味がぶつかるかな? と思ったが大丈夫だった。
まあ、そこはドンペリだもの、イカの塩辛や納豆巻きだって合いそうなものだ。

昼どきだからか、ありがたいことに人通りはない。
もう肴には手をつけず、漫画本も開かず、あたりを眺めながらドンペリを味わった。
この墓地で呑むのは、2、3年前の今時分、泉鏡花にそなえられていた「天狗舞」の吟醸を「盗み酒」した以来か。
あのときは「魔」のような女に出くわし逃げたっけ。
(2014年6月21日「深夜の雑司が谷墓地泉鏡花と魔との酒宴 」のブログを参照されたい)
「それにしても、この墓地で呑むのは、いい酒ばかりだなあ」
と、ひとりごちる。

もちろんドンペリなど、過去にそうそう呑んだことはないし、自分で金をだして呑んだことなどない。みな振る舞い酒だ。
しかし1度だけ、私が人へ振る舞ったことがある。
7年ほど前になるか。練馬の借家に女と住んでいたころのことだ。
その日、女は泊りがけで地方取材へ出かけており、ヒモの私はおおっぴらに昼間から、友人を部屋によびよせ呑んでいた。
その友人は、死体カメラマンの釣崎清隆と、暴れん坊のカンタロウくんだった。

深夜にとうとう酒がきれた。
が、買いに行こうにも3人あわせて千円もない。
しかし、10時間以上も呑んでいるのに、3人ともまだおさまりがつかない。
そこで私は意をけっして、戸袋の奥から、箱入りのドンペリを引きだした。
それも〈ピンク〉である。

氷と塩で急激に冷やしてから、各自パイント・グラスへぞんざいにそそいだ。
そいつをガブリとやると、突然3人とも一気に酔いがまわり、声をあげてはしゃぎはじめた。
その酔いの即効性は「泡」の作用だと聞くが(大家さんがワインは大丈夫だが、シャンペンだと強すぎると感じるのは、おそらくそのせいだと思う)、そこはやはりドンペリの総合力だろう。
テキーラのショット・ガンを、たてつづけに5杯もやった「あがり」具合だった。
その後の記憶がない。
まあそれまで、ビールの他に、それぞれバーボンを1本以上はあけていたのだから当然か。

そのドンペリのピンクは、私が本をだしたときに、お祝いとして2人であけようと、女が数年前から用意していたものだった。
翌日の晩、帰ってきた女とビールを呑みながら、私はドンペリの件をおそるおそる白状した。
女は硬い顔つきで「そう」と言ったっきり、黙りこんだ。
やっちゃあ、いけないことがある。
ましてやヒモが。

女に棄てられたのは2年後だが、あのときはっきりと女は、私をみかぎったであろう。
翌々日の昼、私は第1回目のアルコール性重症膵炎をひきおこし、人生最悪の激痛にのたうちまわりながら、病院へ女の運転で運ばれた。
致死率40%。
その後まったく懲りずに、1年半の間に2回、同病で私は入院することになる。
そして7年後のいまも、慢性膵炎でありながら、こうして「いい酒ならかまわないさ」と、墓場でいい気にシャンペン・グラスをかたむけたりしているのだ。
まあ、しょうがないだろう。
大家さんが、わざわざ冷やしてくれていたのだから。


ボトルをもうすぐ呑みほすあたりに、めずらしくSからメールがきた。
数日前に、アナーキーのマリさんが亡くなったことを知っているか? とのことだった。
知らなかった。
Sは高1のとき私へ、アナーキーのファースト・アルバムを貸してくれた幼なじみで、Sはアナーキーのコピー・バンドを組んでいたこともあった。

マリさんとは、『BURST』のインタビューで1度お話しただけだが(インタビューアーは確か吉田豪さんだったはず)、その人柄は、クレバーで内省的、そして宗教的なまでに他人への思いやりの深い、なにか「翳の濃い人」という印象をおぼえた。
メールで死因を訊きかえしたが、発表されていないという。
「酒のせいかなあ……」
と、勝手な憶測に沈んだ。

『BURST』を編みはじめたころ、深夜ひとり編集作業をしながら、私はよく無意識に、小声でアナーキーの「心の銃」を歌っていたものである。
30代前半の私にとって『BURST』は心の銃であり、思いかえすたび「おれは何かと戦っていたんだなあ」と面映ゆく思う。
と同時に、あの真摯な気持ちも蘇るのだ。


ボトルを呑みほしてから、ほとんど手をつけなかった肴をつつみ、七曲り荘へ帰った。
兵庫くんの戸をたたき、呑まないかと誘うと、じゃあ久しぶりに呑みますかと快諾してくれた。
食べ残した肴にそれぞれ足して皿小鉢へ盛り、兵庫くんに買ってきてもらったウィスキー・ソーダを呑みながら、ユーチューブでアナーキーを聞いた。
私は、戸袋の奥にしまっておいたアナーキーの腕章をとりだすと、喪章がわりにシャツの袖につけて呑んだ。

そうしているうち、不意に「シングル3枚目を今年中に出そう」と思いたった。
つまり、ようやく作品を書きたい気分がおこったのだ。
それも、AB両面ともに、これまでより長いものを書こう。
「読み手には悪いが、思いきって次は2段組みにしようじゃないか」と決めた。
思いたったが吉日。メンバー3人へ、その旨をメールした。

しかし、大家さんからもらったドンペリをひとりで呑んだことは、兵庫くんに最後まで白状しなかった。



●喪章がわりに「亜無亜危異」の腕章をし、わざわざ帽子をかぶってカッコつけ、兵庫くんに撮ってもらった。この腕章は第2期再結成時のもの。かなり後酩酊の様子。


おやすみなさい。
読んでくれてありがとう。
18日は前回のブログで告知したとおり、雑司ヶ谷鬼子母神「みちくさ市」で石丸元章さんとブースを出します。
ぜひ遊びに来てください。
よい夢を。



[セカンド7インチ・シングル小説発売]

●ザ・シェルビスのセカンド7インチ・シングル小説『Shigella』ジャケット写真

被写体:細菌学者(赤痢菌発見者)志賀潔
写真:土門拳

A面「親不知のしゃれこうべ」
B面「ものもらいの数珠」
限定500部/定価1,600円

●アドレス:budroll.shelvis.sy3@gmail.com

――以上へ以下のことをメールしてから、お金を振り込んでください。

◎郵便番号と住所
◎名前(口座のカタカナ読み振りも)
◎電話番号
◎ファースト、セカンドのどちらを希望するか

●1,600円(発送代込み)
●振込先――ゆうちょ銀行

◎BUDROLL
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817

※通販以外の店頭販売につきましては、もう少し下に店名があります。

P.S.

以下の作品を買ってくれる方、また、仕事をくれる方、メール下さい。
●「詩作品」(手書きした原稿用紙――1万円)
※宅配便着払い

●原稿と編集&コピーライトの仕事。
(個人誌やグループの冊子も受けつけます。アドバイス程度なら、酒と1万円ほどで)
?
●pissken420@gmail.com


[ファースト7インチ・シングル発売中]


●ファースト7インチ・シングル『The SHELVIS』
A面「八重桜」/B面「熱海にて」 定価1,600円

●以下の「ディスクユニオン」の店舗で「ファースト&セカンド」発売中。
御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター
●中野ブロードウェイ「タコシェ」にても発売中です。
●西早稲田「古書現世」にても。
●下北沢「気流舎」にても。
●南池袋「古書 往来座」にても。
●雑司ヶ谷「ジャングル・ブック」にても。
●駒込「青いカバ」にても。
(以上の場所は、ネットで調べてください)

[ユーチューブにてシングル小説A面「八重桜」のPV公開中]
●曽根自身が声と手足で出演しています。
※ガレージパンク・バンド「テキサコ・レザーマン」が全面協力!

[ユーチューブにてPISS&KEROのファースト&セカンド・ライブ放映中]
●中野「タコシェ」にてのポエトリー&サウンド5回。
●下北沢「気流舎」にて。





 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

[鬼子母神日記]

 

※今回は曽根の事情により――作品を発注するのを忘れていた――佐藤ブライアン勝彦の巻頭連載はお休みします。次回を期待してください。



4月27日(木)鬼子母神は薄曇り。

きぬぎぬの朝、眼を覚ますと、かたわらに女がいない。
どこへ? と掛け蒲団から首をのばしたところ、すっと正面の襖があいて女が顔をだした。
「おめざの用意ができましたよ」
やけに、さっぱりとした笑顔だ。
おれはこいつに十分な満足をあたえられたのか、と私はうれしく思った。
逆光なのに、そのひたいや頬のまばゆさ、くちびるの紅(べに)のつややかさが眼を引く。

立ちあがって、明るい隣室をのぞけば、臙脂のひろい座卓に、酒のお膳立てができていた。
藍色の大鉢に「土佐煮」らしき筍が盛られ、そのうえへ木の芽がひとつかみほども豪奢に盛られてある。
鉄さび色の鉢の底には、みどり鮮やかなゼンマイ状の「こごみ」がこれもひとつかみ、辛子酢味噌とおぼしき黄身がかけてあった。
しっとりと濡れたような羊羹色の大皿には、若鮎の塩焼きが30尾ほども小山をみせている。
しかし、そこらにタデ酢の無粋な色はない。
「ああそうか、鮎の塩焼きに、タデ酢など決してあしらうなと教えたんだっけ」
そう、ぼんやりと思いだす。

部屋へ歩みいる。我ながら、しゃきっとした角帯の着流し姿が勇ましい。
八畳ほどの座敷を、午前の清潔な光が靄(もや)のように満たし、庭の竹の影が、濡れ縁と、開けはなした障子と、そのあいだの畳へ、三様三墨の筆となってゆれている。
座イスの浅黄色の座布団へ、私はあぐらをかいた。
女は徳利の燗を気にしながら、私の耳もとへ顔をよせ、
「何時だと思ってるの」
と、あだっぽく笑った。そして盃をおきかけた手をとめて、
「コップのほうがいい?」
と小首をかしげた。
そのあどけない表情に、私はすこし薄気味悪さを感じた。けれど、かえってその薄気味悪さが好色の襞(ひだ)をつまんだ。
「ああ……酒のまえに、もういちど遊ぼうか?」
私はわざと、あぶに女の手をとった。素直に女はその手をにぎりかえしてきた。
途端、けたたましく戸板が叩かれ、こんどこそ本当に夢から覚めた。


10年モノの絹のパジャマ姿で引戸をあければ、名乗り通り、東京電力の作業着姿の男である。
愛想のいい40がらみ。真新しい「脚立」持参だ。
ニコニコと笑っている。
愛想がいいのも、ニコニコと笑っているのも、彼の職業上しょうがない。
ヘタに応対すれば、安アパートの暗い廊下で、愁嘆場や刃傷沙汰を引きおこしかねない仕事なのだから。

まいつき月末にひとつきぶん払えば、3カ月の滞納もこれまで見過ごされてきたのだが、今回は「黄金週間」前だからか?
2月の料金が5千円いくらもした。エアコンのせいだ。
しかし手持ちは1800円――むろん〈銀行〉にもない。
「すみません、とめてください」
この際、彼には容赦をゆるされていないのだから、明日まで待ってくれと嘆願したところでどうしようもない。
言ってみるだけ彼には酷なことだし、まして明日になれば金が畳から湧くわけでもなし。
彼にかまわず引戸を閉め、テーブルの時計に眼をやると、もうすぐ昼だった。

その後すぐ、私はバスタオルを小型冷蔵庫の床にしいた。中にはたいしたものは入っていない。
ほぼ3年ぶり(ブログを確認すると2014年11月ぶり)の停電である。
あれ以来、蝋燭(ろうそく)も懐中電灯も常備してある。
がしかし、本を読むのにそれらはむろん「蛍雪」より明るいが、14、15じゃあるまいし、50をすぎた眼には辛すぎる。
それに読みかけの本はたまたま(私にとっては)かたい本ばかりだ。
――西脇順三郎の評論集、宮崎滔天の評伝(これはやややわらかいが)、小川国夫の小説『或る聖書』。

けれど、読書をあきらめれば、夜はやはり長い。
とことんヒマだ。
で、2本の蝋燭をガラス製の灰皿2枚に立て、その炎の下で、原稿用紙にこれを書きはじめた。
ブログにあげる際、またPCに打ち直さなきゃならないのが面倒だなと思いつつ。
ときおり〈カリカリ梅〉や、甘栗や煎餅をかじり、煙草と冷たい番茶を呑みながら。

夢に出てきた「筍とこごみと鮎の塩焼き」を思いかえすと、自然と笑みがこぼれた。
まったく我ながら単純、無邪気な頭の仕組みだなあとあきれたからだ。
それら3種は、先の23日石神井公園でおこなわれた「照姫祭」で露店販売した品である。他にもう1品「鬼ぐるみ」もあった。
前のブログに予告した通り、その日私は「テキヤ・デビュー」を果たしていた。

そのテキヤの爺さんとの出会いは去年の暮のことで、身障者(精神病者含む)の仕事を斡旋するNPO法人の某所長・日下(くさか)さん――『BURST』時代から私を贔屓にしてくれている方――が仲立ちしてくれたのだ。
(つまり私も身障者と認められたということか)
別にテキヤになるつもりはなかったのだが、そこらへんの事情はこみいっているので説明は省く。

で、そのデビューにて、私が串うち塩ふった鮎(むろん養殖)を、爺さんがじっくり丁寧に炭火で焼き、1尾480円を見事300尾売りつくしたのである。
(10時開店の15分後から、売切れ午後3時まで行列は途切れなかった。なにしろ爺さん、焼くのにやたら時間をかけるのである。ただし煙草も便所も我慢して300尾を焼き上げた)
筍、こごみ、鬼ぐるみも、爺さんの奥さんと手伝いの20歳の孫(大学生)がかなり売った。
無口で偏屈極まりない爺さんは、色をつけたギャラ1万2千円をくれ、2日後には電話をかけてよこし、代を次いでみないかと誘ってきたほどだ。
(とうぜん丁重にお断りした)

爺さんは何度も塩焼きを喰ってみろと言ったが、常に脇に客が並んでいるのだ(みんな鮎の焼けるのを凝っと見つめながら)、とても手を出すわけにはいかない。
(孫は缶ビールで酔っぱらって2尾も喰いやがった)
もちろん喰ってみたかった。そりゃ、おれが串うち塩ふった鮎だもの。その塩梅を確かめてみたかった。
がしかしまあ、客が並んでまで買ってくれるのだ、諦めもつく。
それに私は、けっこう天然鮎には恵まれていて、高校生のころは友人の釣り好きが毎夏わけてくれ、20代から40前後までは、前妻の職場の〈友釣り〉マニアの社長が、やはり毎年解禁とともに、ひと夏3、4度、いっぺんに30尾ほどもくれてよこし、そのたび小さなベランダや庭においた七輪で片っぱしから塩焼きにしてむさぼり喰ったものだ。
40代になると、前の女の実家が多摩川だったので、そのむかし幕府へ献上していたという「御用鮎」をなんどか喰う機会に恵まれたこともあった。

それに、せめて残った筍とこごみを持たせてくれるだろう。そいつを湯がいて今晩の酒の肴としようじゃないか――と調理法をあれこれと考えて、鮎への気持ちをおさえていたのだ。
ところが爺さん、20粒ほどの鬼ぐるみはくれたのだが、筍とこごみの売れ残りは早々に段ボール箱に詰めてしまったのである。
からだというチューブが、よっぽどがっくりと折れ曲ったのだろう。
そのまま絞りだされるようにして、3種への「飢え」が、夢にでてきた次第と思われる。
まったく単純無邪気なもんだとは、このことだ。

ところで「きぬぎぬの女」はどこからきたのだろう?
実は夢のなかでも、誰それと特定できなかったのだ。
やはりそれも「飢え」がつくりだした「女の総体」のヴィジョンなのだろう。
あいかわらずロマンチックなヴィジョンで面映ゆいが、エロティシズムが淡いのは、心身の衰弱を反映しているようで無念である。
淫夢を淫夢として創造し味わうには体力がいるものだ、と痛感する。

ところで、夢に出てくる色彩が、妙に鮮明過ぎないかといぶかる人がいるかもしれないが、子どものころより私の夢は「総天然色」で、ヴィヴィッドな原色や、中間色やシブイ色、墨の濃淡、グラデーション、光のまばゆさ等、現実の色彩よりやや鮮やかに映るのを常とする。絵描きになろうとしていた高校生のころは、夢のなかでよく極彩色の油絵を描いていたものだ。

また、以前にもここに書いたが、当時連日朝まで絵を描き、そのまま学校へ「眠り」に行くのが1週間もつづくと、黒板やクラスメートの学生服の黒い背中がキャンバスとなり、さっきまで塗りたくっていた色彩が、そこへ鮮やかに、それも蠢いているのが見えるようになった。
5分ほどで幻視は消えるのだが、半睡半醒状態における白昼夢とはこのことかと、たいそう面白く思い、それからは幽霊や神様を見た人々の体験を、かえって信ずるようになった。

私はドラッグのなかでアシッド(LSD)がいちばん好きだが、見るものすべての色彩がシラフの状態よりも5割増しに鮮やかに映り、それもたいがい発光してうごめくのが楽しいからだ。ただし、実際にそこにないヴィジョンを見られたためしはない。
(私はドラッグを精神世界への道具として使用したことはない)
なお、感触のある夢はけっこう見るが、匂いのある夢は記憶に2度ほどしかない。どちらも私の寝ているそばに漂っていた、熟れた果実の匂いだった。
感触では、数度のくちづけが鮮烈で、あれほど甘美なくちびると舌を現実で感じたことがないのが残念であり、また性懲りもなく希望をもつ。


こうして、小さな炎のゆらめく6畳に凝っと座居していると、不思議とコドクの淋しさよりも安心を感ずる。
密度の濃い、有機体の暗闇につつまれた、我が身の浮遊感が意識される。
そう、まるで子宮内にいるような、おぼろな多幸感が指先までじんわりと染みてくるのだ。
座禅僧は、こいつが病みつきになるのかもしれない。
また――、
自ら墓穴を掘って、そこに座す快感もある。
「10年寝太郎」が誰にも知られず眼覚めている確信の、しのび笑いがうかぶ。
送電を止められた部屋にいながら、まったくもって不遜不逞な50男だと、あなたは呆れるだろうが。


大ぶりのグラスに、まだ冷えているヨーグルトと牛乳を半々、砂糖を入れかき回し、イチゴを10粒もスプーンでつぶしてから、ゆるゆると飲む。
甘く、舌にねっとりとして、旨い。
蝋燭の灯りでグラスが蜂蜜色に染まっているせいもあるか。
さて、寝よう。
吉田拓郎の歌のように、眠りがオレをきれいにしてくれるはず。
夢が濡れ布巾となって、さっとひとふき――。



4月48日(金)鬼子母神は雨。

昼過ぎ、熟考の末、ついに押入れの段ボール箱にしまってある「奥の手」を売ることを決めた。
そして、付きあいのある近くの古書店へ電話をしてから、傘をさし、ある物故作家の9枚の生原稿(随筆というより雑文)を売りにいった。
――私が編集者としてからんだ作家の原稿ではない。むろん見沢知廉や永沢光雄の原稿ではない。原稿は先輩から頂いたものだ。仕事をした作家の誰の生原稿も私は持っていない。念の為。

やはり2日もつづけて部屋が真暗なのはイヤだ。
蝋燭の灯りを風情とするのも一夜限り、俳諧師や、季節外れの「百物語」じゃあるまいし。
その生原稿を、店主は色をつけて2万2千円で買ってくれた。
その金で電気代をコンビニで払い、東電へ電話をする。
それから酒を買い、部屋へ戻った。

1時間後、電気が流れた。
さすがに冷蔵庫の下に敷いたバスタオルはぐっしょりと重かった。
けれど、氷で埋まり使用不能となっていた製氷機の霜取りができて、これからしばらくは氷をつくったり、アイスを突っこんだままにできる。

実は昼前に、北海道のヤマシタよりクール宅急便が届いた。
野菜や果物や乾物、そのなかに手作りのロースト・ビーフがあった。
それと新聞紙にくるまれた「山わさび――本邦ホースラディッシュ」が1本。
部屋へつくなり、さっそく送ってもらった新じゃがとトウモロコシとアスパラガスを茹でる。
それらを、毎週末、鬼子母神参道ケヤキ並木に立つリサイクル・ワゴンから選んだ、白磁に藍の文様のはいった大鉢(100円)に盛る。
やはり100円で買ったうぐいす色のまるい大皿に、うす切りにした10枚ほどのロースト・ビーフ2つ折りにして盛り、そのうえからすりおろした山わさびをたっぷりと振りかけた。

小鉢には、今年の頭に見つけ買置きしている大粒の(ぶどうの巨峰を楕円にしたほどの)グリーン・オリーブを盛る。
ガーリックとハラペーニョ(青唐辛子)を詰めたもので、20数粒入りの瓶詰めが「肉のハナマサ」で380円と安い。
(バーで頼めば5粒で500円は請求されるだろう)

それと、例の爺さんからもらった鬼ぐるみを小皿に。
アパートの玄関のコンクリのたたきに新聞紙を敷き、飛び散らないよう更に新聞紙をかぶせ、金鎚でかち割ったものだ。
米産に比べれば身はちっぽけだが、味は断然こっちのほうが上等だ。
子どものころ胡桃といえば鬼ぐるみに決まっていたが、東京はもちろん田舎でもとんと眼にしたことがない。やはり割るのに手間がかかるので不人気となったのか。
昔は卒中をおこした爺さんがこいつを2粒にぎり、ゴリゴリとすりあわせてリハビリにはげんでいたものだが、現在は如何?

酒は黒ビールと、冷えた「一の蔵」の4合瓶を2本用意した。
時刻は午後2時。
ラジオをかけ、まずはパイント・グラスに黒ビールをきっかりそそぎ、ゆるゆるとしかし半分ほどをひといきに呑んだ。
大きく息をはきだしてから、山わさびの雪に埋もれた、中心に向かって見事な曙色となっているロースト・ビーフに醤油をかけ、箸で山わさびをつつみ喰う。
旨し。

新じゃがもトウモロコシもアスパラも旨い。外は雨だが、早くも夏がきたように感ずる。
〈読み肴〉は、評論集ではなく、読み終えていた西脇順三郎の初期詩集選(全集『西脇順三郎コレクション 1』慶應義塾大学出版会)をパラパラとめくる。
以下に、気宇壮大で、さわやかな哀愁(郷愁)とユーモアの白雲がながれる、西脇の詩を1篇紹介しよう。


「旅人」


汝カンシャクもちの旅人よ
汝の糞は流れて、ヒベルニアの海
北海、アトランチス、地中海を汚した
汝は汝の村へ帰れ
郷里の崖を祝福せよ
その裸の土は汝の夜明だ
あけびの実は汝の霊魂の如く
夏中ぶらさがってゐる




年中、黒ビールを好んで呑んでいるが、今時分に呑めば、やはり夏の近いことが思われる。
明日から黄金週間が始まる。
ざっと10日間の「立ちん棒週間」が始まる。
黒ビールを呑みほし、冷酒8合を呑みほすころ、日は暮れるだろう。
今日は灯りをともすことなく眠ってしまうだろう。
その前に、冷たい、細いうどんをすすろう。



※「立ちん棒週間」に来てくれた方々に感謝します。



6月5日(月)鬼子母神は晴れ。

午前7時起床。
いつものように朝食は――バナナ、オレンジ、オリーブ2粒、茹卵1つ、冷たいミルク・コーヒー、ドライ・フルーツ2種(アンズとぶどう)と、昨日の残りの葛餅を半分。

今年になって、まったく味覚の嗜好が変った。
偏見を承知でいえば、中央線沿線にすむ美術系学校へ通う女子が食べるようなモノばかり、口が欲するのだ。
特に、金もないのに果物への飢えが激しい。
起きがけに食べる、冷えた、オレンジや小さなグレープ・フルーツ、リンゴや苺にスイカが、身ぶるいするほど旨いのだ。
ドライ・フルーツも同様で、つねづね「40を過ぎると男はドライ・フルーツにはまる」と言ってはきたが、もうすぐ53歳になろうとしている今になって、更にいちだんとその欲求が高じてきた。

小学生のころだって、夏のスイカは別として、果物にそれほど執着はなく、ましてや干しぶどうや干し柿なんて手にもとらなかった(レーズン・パンなど干しぶどうを棄てて食べていた)が、今はなにしろ旨くてしょうがない。

それと甘い菓子。洋菓子和菓子かまわずだ。
47歳でアルコール性重症膵炎にて死にかけるまで30年近く、毎夜焼酎なら1升呑んでいた私は、甘い菓子などいっさい口にしたことがなかった。
それがどうだ、週に3度は近所の老舗和菓子屋にかよい、そのたび葛餅、きんつば、水羊羹などをちまちま1つづつ買っては、つくりおきの冷たい番茶で味わうのを楽しみにしている。

とうとう行きつけのケーキ屋までできた。
500円ほどの各種ショート・ケーキ1つを買いに、わざわざ歩いて往復40分かけることをまったく苦にしない。
そして食べるたびに思う。
「東京のケーキは綺麗でうまいなあ。おふくろに食べさせてあげたいもんだ」
なんて、当のおふくろから引っぱった金で、小学生のように「買い食い」しているわけなのだが。

果物や菓子への欲求とくらべ、他の食物への欲求はがぜん淡くなった。
せいぜい味付けを変えたりトロミをつけた「肉野菜炒め」への偏りがでてきたくらいか。
といっても、他の料理とくらべればまあどうにか喰えるかていどであって、ますます自分でつくる料理をうまいと思えなくなった。
先日のトークライブの楽屋(というか廊下の隅に置かれた椅子)で、石丸元章さんが、
「ブログ読んでるけどさあ、納豆とか豆腐ばっかり喰ってちゃダメだよ。肉のぶあつい脂身とか喰わなきゃ」
と私をたしなめた。
確かに、長年筋トレで鍛えた石丸さんの肩肉は、私のかるく5倍は盛りあがっている。
「まあ、喰いたくなりゃ肉だって喰ってるんだけどさあ」
と私はボソボソといいわけをした。


なぜこれほどまで食の嗜好が変ったのか。
理由は簡単、慢性膵炎の病人だから。
(または糖尿病がすすんだから)
つらつら考えるに、今年になってこれまで半分の日数は、病床についている勘定だ。
酒を2、3日つづけて呑むと倒れ、1週間ほど寝こみ、その後1週間養生してようやく少し元気が出てきたころ、決まって友人が来たり、イベントがあったりで呑む。
そしてまた1週間寝こみ1週間養生したころ友人が来て呑み、また寝こむ。その繰り返しだ。
先週とうとう体重は51キロを割った。

とはいえ、飲酒欲求も往年の千分の一ほどしかなく、果物や菓子や野菜への欲求は旺盛なのだから、からだは自らこの危機を乗りこえようと奮闘していると思いたい。
私は糖尿病の食事療法を「科学的」に信じない。
喰いたいものが身になるものだ。

それに、これまでだって舌はなんども変わってきた。
15歳、21歳、30歳、40歳、そしていま52歳。
そのたびに、酒、煙草、飲食物、ドラッグ、肴、麺類、菓子等の嗜好品はがらりと変わったじゃないか。
(煙草の銘柄と酒の品種はとくに顕著に)
あの人工甘味料くさい「あけび」の実だって、いま喰えば案外うまいもんかもしれない。
なんにしろ、どれだけ体重が落ち、便所へたつのも這うようだったとしても、毎日朝の快便はつづいているのだし。
(量、質ともに見事なしろものだ)
からだの芯である空洞は、どうやらまだまだ丈夫なようだ。


先日、末井(昭)さんから2冊の新刊著書を送っていただいた。
●『結婚』(平凡社)
●『末井昭のダイナマイト人生相談』(初回限定ペーソスの特典CD付き/亜紀書房)
どちらも面白く読んだ。
末井さんへまだ手紙をだしていないので、ここには感想を書かないことにする。
しかし『結婚』を読んで、ある感慨をもったことだけ記そう。

むかし私の編んでいた雑誌『BURST』において、上司だった末井さんは社内原稿(つまりノー・ギャラ)を連載してくれていた。むろん担当編集者は私。
連載タイトルは『入楽園』。当時ベストセラーになっていた渡辺淳一の『失楽園』に対抗して、末井さんがつけた題だった。
内容は、20年以上つれそった妻と別れた末井さんが、美子ちゃん(写真家の神藏美子)といっしょになり、おたがい「嘘をつかない関係」を築こうと、下世話にいえば2人で「悪戦苦闘」する毎日をつづったものである。

連載中、夫妻はしょっちゅうヤバイ喧嘩(?)を繰り返しており、はたして「入楽園」なんぞできるものかと、口にこそださなかったが私は半分心配し、半分野次馬気分でいたものだった。
そうするうち、バーストの編集長を相棒のユージにゆずることになり、末井さんは私に義理だてたのか(それとも編集長交代で連載中止をこちらから言ったのか忘れてしまったが)、結局連載は中途で終わってしまった。

こちらの事情で連載を終わらせてしまったことを、私はこれまでずっと悔やんでいた。
(饗庭椿さんの連載小説「プラスチック・ティーン」もそうだ)
しかし今回『結婚』を読みおえ、
「ああ、連載はここに決着したなあ」
と、勝手ながら安堵したのである。
ただし、夫妻が現在「入楽園」をはたしたと言っているのではない。
それはぜひ、あなたが読んで判断してほしい。

上の感慨にふけりながら「あとがき」を読んでびっくりした。
末井さんも同様の思いがあったのだろうか、私の名前を出し、わざわざ謝辞を送ってくれていたのである。
あっ、肝心なことを書き忘れるところだった。
なんと末井さんの最初の本『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化されたのだ。
すでに撮影は終わり、公開は来春になるとのこと。
(編集者の評伝は多々あるが、映画となった編集者などかつていただろうか。宮武外骨?)
映画化にともない、絶版になっていた「ちくま文庫」の同書が再販され、現在絶賛発売中である。
以前よりずっと、末井さんの雑誌や著作のページには「ダイナマイト心中の爆風が吹いている」と私は言ってきたが、同書を読めば、その意味をあなたもわかってくれるやもしれん。


さて、これから2つのプランターに、ミニヒマワリの種を蒔こう。
サラダ菜のプランターだが、とっくに雑草が征服して数カ月がたっていた。
昨夕、雑草を根ごとすべてひっこぬき、ワリバシで土をたがやし、肥料として冷蔵庫の隅でかちかちになっていた「かたくちいわしの丸干し」を、2本づつ土に埋め、水をたっぷりかけておいた。
種は去年収穫したもので、入れといた封筒には「9月1日収穫」と書かれてあった。
種は100粒ほどもある。どうにか芽吹いてほしいものだ。


[告知●鬼子母神「みちくさ市」出店]
●6月18日(日)鬼子母神恒例の「みちくさ市」に、私も小さなブースを出展します。
シングル小説(ファースト&セカンド)や、『BURST』『BURST HIGH』のバック・ナンバー、手書きの詩原稿などを販売します。
●出店時間は午前10時から午後4時まで。
●場所は鬼子母神参道商店街(けやき並木のずっと手前)、コンビニ「ポプラ」の並び、「キク薬局」を背にして右斜め前。



だいぶ久しぶりのブログとなった。
読んでくれてありがとう。
おたがい冷蔵庫に、オレンジやグレープフルーツやリンゴを入れてから床につこうよ。
起きがけに食べる果物は「金」だというよ。
おやすみなさい。
「きぬぎぬの朝」のような、よい夢を。





[セカンド7インチ・シングル小説発売]

●ザ・シェルビスのセカンド7インチ・シングル小説『Shigella』ジャケット写真

被写体:細菌学者(赤痢菌発見者)志賀潔
写真:土門拳

A面「親不知のしゃれこうべ」
B面「ものもらいの数珠」
限定500部/定価1,600円

●アドレス:budroll.shelvis.sy3@gmail.com

――以上へ以下のことをメールしてから、お金を振り込んでください。

◎郵便番号と住所
◎名前(口座のカタカナ読み振りも)
◎電話番号
◎ファースト、セカンドのどちらを希望するか

●1,600円(発送代込み)
●振込先――ゆうちょ銀行

◎BUDROLL
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817

※通販以外の店頭販売につきましては、もう少し下に店名があります。

P.S.

以下の作品を買ってくれる方、また、仕事をくれる方、メール下さい。
●「詩作品」(手書きした原稿用紙――1万円)
※宅配便着払い

●原稿と編集&コピーライトの仕事。
(個人誌やグループの冊子も受けつけます。アドバイス程度なら、酒と1万円ほどで)

●pissken420@gmail.com


[ファースト7インチ・シングル発売中]

●ファースト7インチ・シングル『The SHELVIS』
A面「八重桜」/B面「熱海にて」 定価1,600円

●以下の「ディスクユニオン」の店舗で「ファースト&セカンド」発売中。
御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター
●中野ブロードウェイ「タコシェ」にても発売中です。
●西早稲田「古書現世」にても。
●下北沢「気流舎」にても。
●南池袋「古書 往来座」にても。
●雑司ヶ谷「ジャングル・ブック」にても。
●駒込「青いカバ」にても。
(以上の場所は、ネットで調べてください)

[ユーチューブにてシングル小説A面「八重桜」のPV公開中]
●曽根自身が声と手足で出演しています。
※ガレージパンク・バンド「テキサコ・レザーマン」が全面協力!

[ユーチューブにてPISS&KEROのファースト&セカンド・ライブ放映中]
●中野「タコシェ」にてのポエトリー&サウンド5回。
●下北沢「気流舎」にて。





AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

[緊急イベント告知]

 

来たる5月20日、高円寺パンディットにて、

『メキシコ死体合宿・大報告会』

を開催されます。

メイン登壇者は、死体カメラマンの釣崎清隆さんと、死体画家の笹山直規さん。

 

ゲストはケロッピー前田さん、石丸元章さん、福田光睦さん、わたくし曽根賢(ピスケン)、齋藤恵汰さん、中島晴矢さん、西田篤史さん、新聞女さんです。

 

尚、シングル小説、署名の上、販売します。

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

[鬼子母神日記番外編]

 

[黄金「立ちん棒」週間のお知らせ]

 

 

●ゴールデン・ウイークに雑司ヶ谷鬼子母神境内にて、シングル小説と、雑誌『BURST』&『BURST HIGH』のバック・ナンバーを、曽根が手売りします。

(その場ですべて署名します)

●また、雑司ヶ谷霊園の「文豪の墓」案内希望者には、千円にて曽根がガイドします。

 

●4月29日から5月7日までの「午後2時から3時まで」の1時間、鬼子母神本堂向かって左の小堂の前に、たとえ嵐であろうとも「毎日」立っています。

 

この時期の、鬼子母神参道のケヤキ並木と、境内の樹齢600年の大イチョウと、雑司ヶ谷墓地の緑はたいそう美しいので、ぜひ遊びがてら顔をみせてちょうだい。

 

なお、私の実家のある宮城県大崎市(もと古川市)へ先日早朝、北朝鮮より核ミサイルが飛び、市役所から「ここへ着弾の可能性がある」と、放送があったそうな。

全国放送の誤報である。

 

「色麻の自衛隊基地のそばの畑に着弾して、通行止めになって、報道管制がひかれたよ」

というデマが夕方流行っていると、幼なじみの利明よりメールあり。

「やっぱり今回も、おれを狙ったんだろうなあ」

とメールを返す。

が、利明は無言。

 

今から20年前、当時『BURST』に「朝鮮高級学校」のルポを乗せたらば、発売後数日、編集部へ電話がやりなまなかった。

その親、教師、学校OBより、非常にクールな口調での「懇切丁寧」なクレームがあった。

そのむねはこうだ。

 

(当時も今も)朝鮮高級学校の生徒は、卒業しても日本の大学受験の資格がない。そしていま、日本の国会でその「おかしさ」を検討すると会議が始まった。ゆえに、だからこそ、こんなときに、あなたがたの記事はまずいのだ。


「ネオガキ帝国」と題した長編ルポで、朝鮮高級学校の17歳たちは、さかんにエロ話をしていた。
むろん、キムなんとかには「××××」との発言多々である。
(写真は若き名越啓介、文章は寺田タイチ)

 

 

雑誌発売後3日目、朝鮮総連と、朝鮮高級学校総長の連名にて、抗議文が私へ送られてきた。

 

 

曽根賢は(北)朝鮮に対して、悪意ある思想のもと、今回の記事を捏造したと。

「おれが波打ちぎわで消えたら、けっこう奥まで探してくれ」

 

で翌日、〈テポドン〉が東北本土上空、宮城県の頭をとおり、太平洋上へ落ちた。

 

「おれを狙ったんだよ」

やはり、その日からクレームの電話は止んだ。

死んだ同い年の林文浩は、このことだけで私を「クソ」だと認めてくれた。

享年47。

おれは今日も元気だぜ。

 

 

P.S.

次回のブログは、「石神井公園照姫祭にて鮎の炭火焼きを売る」長文で。

 

 

曽根 賢(PISSKEN)

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。