曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

元『BURST』、『BURST HIGH』編集長の曽根賢(Pissken)のコラム


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[鬼子母神日記]

 

2月18日(土)鬼子母神は快晴。

 

起床11時。
ひどい二日酔いである。

 

昨日の昼すぎ、編集者のTが酒をもって部屋にあらわれ、そのご兵庫くんも交えて3升も呑んだせいだ。
(落語好きのTは「看板のピン」と、私のリクエストで「野ざらし」の2席をぶってくれた。野ざらし――と上方の「骨釣り」は、セカンド・シングルA面B面共の裏モチーフである)

 

どうにかバナナを1本腹に入れ、熱い煎茶を飲みながら、田村隆一のエッセイ集を読んでいたところ、偶然にも、二日酔いの治療法と予防法の書かれた『二日酔よ、こんちわ』という本――田村いわく奇書が紹介されていた。
(タイトルはサガンの『悲しみよ、こんにちわ』のパロディ)
著者はハッソルト・デイヴィスという世界的旅行家らしいが、初めて聞く名だ。
田村が発見し、自ら訳したこの本も、日本ではまったく売れなかったそうだ。

 

その奇書よりの引用文に、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の特別欄寄稿家ハイ・ガードナー氏なるものの、ニューヨークのバーテンダーと常連客に訊いた、二日酔いの予防と治療方法の調査報告があった。
かなり長いが「呑み助のあなた」のために、私もここへ引用してみよう。
(※以下、読みやすく改行し、漢数字を英数字に直した)


「シオドア」のバーテンダー、マックス君は、ヨーグルトと卵入りの麦芽乳を推奨している。
「チャイルド」では、酩酊(めいてい)したお客が、どろどろのトマト・シチューをかけた炒り卵を注文して、ウースター・ソースをたっぷりふりかけて食べている。
「ル・リュバン・ブルー」ですすめる防止法は、卵の白身入りの熱いエール(英国産のビール)だが、良薬とあらばせんかたなしというところ。

 

『ニッキイ・ブレアハウス』では、コーヒーのかわりにヴァニラ・アイスクリームを食べてから、トルコ風呂に入ることをすすめている。
ピガール広場の「チャーリー」は、簡単な万能薬をすすめる――1パイントのミルクに茶さじ1杯の食塩を加えたもの。
ジョー・ルイス君ののたまわくには、「最良の策は、もっと酒を飲むべし」――いずれ、意識不明になるんだから、というわけ。

 

エディ・デイヴィス君は、52番街の南で実行されている「南海即効薬」というやつを、しきりにすすめる。まず、新鮮な、大きなパイナップルに小さく穴をあけて、果汁をすっかり出してしまう。それから、そのあとにイエロー・ジンをたっぷり注ぎこんで、氷の上に、1時間のせておく、そいつを薄切りにして3片ほど食べる。これがいわゆる「南海即効薬」。

 

「シンガポール」のトミー・チェン君は、二日酔をノックアウトするには、ヤト・カ・メイン・スープにかぎると言う。これは、ハードボイルドのゆで卵と焼豚が入っているうどんで、醤油をかけて食べるのだ。
マイアミ海岸の「モンテ・カルロ」にいるジョニイ・ブルックス君は、ブラック・ベリー・ワインを2、ウォッカを1の割合でまぜて、レモン・ジュースを少量加えるといいそうである。
ビル・ミラー君がリヴェラで好んで用いたのは、ブランディ半オンスに、コップ1杯のトマト・ジュースを加えて、レモン・ジュースをたっぷりきかせたもの。

 

酒宴のはじまるまえに、1オンス半の純オリーブ油を飲んでおけば、翌朝、二日酔の心配はまずない、というのが飲み助どもの一致した意見である……。

 

ほかに私(曽根)が憶えている、二日酔いの予防法や治療法も似たようなもんだ。
予防法としては、まあ誰でも知っているだろうが、呑むまえに牛乳を飲んだり、チーズやヨーグルトなどの乳製品を腹に入れとくというもの。
友人の絵描きの西牧徹は「お茶碗1杯のとろろ芋」を呑んでおくといいという。
ケロッピー前田プロフェッサーから聞かされて、なるほどなと感心したのは、
「外人はねえ、呑むまえにがっつりとステーキを喰らうんだよ。それからガンガン呑むんだ」。

 

※このさい「いちばんの予防法は飲酒を少量に控えることだ」なんて、チンケな寝言こそ控えるべきである。

 

治療法としては、壇一雄と開高健らがすすめる「梅干入りの熱い煎茶」がポピュラーか。
ブコウスキーの「チリ・パウダーをかけた茹で卵2つ」。
山口瞳の「ビールの小瓶1本」。
西牧さんは「セロリの葉を浮かべた風呂に浸かる」と、シャレたことを教えてくれた。
(風呂なしの七曲り荘では実行できんが)

 

私オリジナルとしては「回転ずし屋で鮨を5かん」。
まあ、これは私の腹が「鮨はベツバラ」であるからだろうが、〈シャリ〉の酸味が喉を通りやすく、ビタミンCの豊富な生の魚肉がきくような気がする。
(これまた現在の所持金120円の私には実行不可能であるが)

 

で、以下はまた他人の書いたものからの引用になる。
タネ本は丸谷才一のエッセイ「二日酔ひの研究」より。
(丸谷もまた、英国本の『二日酔ひのハンドブック』と、キングズレー・エイミスの『酒について』をタネ本としている)
以下は二日酔いの治療法だ。
(丸谷の歴史的かな使いは今風に直した)

 

●「酒と女を楽しみ、大浮かれに浮かれよう。翌朝は自分に訓戒を垂れ、ソーダ水を呑もう」(詩 人のバイロン)
●「前夜にビールの栓を抜いて置き、翌朝、気の抜けたやつを飲め」(アメリカ)
●「ツバメのクチバシを砕いたものをスプーン1杯と、スプーン1杯の没薬(もつやく)をまぜ、ペー スト状にして、水で飲み下す」(アッシリア)

 

●「牡鹿のフィズ(シャンペンとオレンジ・ジュースを半々)を引っかけてから、美術館へゆけ―― 頭を静めるにはオランダ派の絵画にまさるものはない。フェルメールの絵があんなに盗まれる のはもっともなことだ」(ニューヨークの伊達男)
●「前夜飲んだ酒びんのコルクにピンを13本刺す」(ハイチのブーズー族)
●「レモンを2つに切って、腋(わき)の下をこする」(プエルトリコ)
 (これはなんとなくききそうだ――曽根注)

 

そして、丸谷はびっくりしているが、極めつけがキングズレー・エイミス(英国作家)のアドバイス。
よく噛みしめて読んでほしい。
訳者は作家の吉行淳之介である。

 

「もし君の細君あるいはほかのパートナーが君の傍にいる場合は、そして(もちろん)厭がらない場合にかぎり、できる限り猛烈に性的行為を行うこと。
この運動は君によい効果があり――君がセックスを好むと仮定しての話だが――情緒的にも高揚を感じることができて、君の形而上学(けいじじょうがく)的二日酔にたいして正面から戦いを挑む前に、ヒット・エンド・ラン風の奇襲を加えることができる」

 

「猛烈に」ってとこがキモだね。
だが、この治療法を読んで丸谷は愕然とした。あまり衝撃を受けたので、吉行淳之介に会ったとき聞いたそうだ。
「あれにはびっくりしました。二日酔いのときそんな気が動く奴、いるはずないじゃないか」
すると吉行のほうがびっくりして、
「え? 君は二日酔いの朝、したことがないの?」

 

これを読んだ30代半ばの私も少々面食らった。
それが治療法になるとは思わなかったが、二日酔いの朝ほど、あれはしたくなるもんじゃないのか? と。
それは52歳になっても変わらない(はず)。ただ、かたわらに女がいないだけだ。

 

私は20代のころより、あれは朝いたすのが好きだし、それは理にかなっていると思う。
酒を呑み食事をしたあとに、あれをするのは、その快楽の半分以上をだいなしにしている。
(酒も他のドラッグも催淫剤であるが、実際の感度はシラフのほうが数等上だ――詳しい説明は割愛)

1日の終わりに、あれだけエネルギーを使わねばならないことをするなんて、若かろうが(いや若ければなおさら)全力を尽くせず、もったいないではないか。

 

二日酔いの朝は、血液中のアルコール濃度が適当で、頭もからだもそれなりにリ・フレッシュしている。
「なんで、そんなに元気なの?」
その「猛烈さ」に、驚きながらも女は悦(よろこ)ぶものである。
(嗚呼、かつての若き肉の、情欲の峻烈な美しさよ!)

 

若いころから、いろいろと二日酔いの対処法を読んだり試したりしたが、先輩たちが結論したように、結局のところ究極それは3つしかないのだろう。
ひとつは、水をがぶ飲みして、カーテンを閉めて蒲団のなかにこもること。
2つ目は、ちょいと反則だが、点滴を受けること。
最後は、決然としてまた、アルコールを血中に入れることだ。

 

なんにしろ、二日酔いの頭で、昨夜の酒を恨むなかれ。
酒に罪はなし。
どころか、酒はやはり人間――呑めない人間にとっても――絶対必要なものなのだ。
キングズレー・エイミスはこう語る。

 

「最近あるアメリカの調査団が下した結論によると、アルコールが人間をリラックスさせたり、突っかい棒になったりしてくれなかったら、西欧社会は第一次世界大戦のあたりで崩壊してしまって回復の見込みがなくなっていただろうということだ。
酒がこの人間の社会から無くなるようなことがあれば、われわれ人間もまたいなくなってしまう、というのがその意見の寓意とおもわれる」

 


朝から呑んでは、軍歌をうなり、やたらめったらケンカを売り、金が切れたら借りて呑みつづけ、友人たちから「朝酒だけはやめろ」と説教されても耳をかさず、片っぱしから女房に逃げられ、70過ぎても街のアスファルトに寝てはその背中を午前の太陽にさらし、多くの酒の詩を書いてきた田村隆一は、決して「酒を恨む」ような破廉恥漢にだけはならなかった。
金色のウィスキー『オールド・パー』を愛した詩人の、「ごろり」とした詩を1編紹介しよう。

 


 「鎌倉の枕」

 

 昼さがりの
 小町の裏道 路地がぼくは
 好きだ
 そういうときは朝から ウイスキーを飲んでいて
 路地の居酒屋に昼寝に行くのさ その店の
 小さな座布団は木綿だから
 二つに折って枕にして眠っていると
 いつのまにか毛布がかかっていて
 灯ともしごろになると
 磯の香をサカナに
 辛口でも

 

 

 

田村のエッセイ(「ボトルの方へ」)の〆はこうだ。
「18世紀初頭の賢人、オクスフォード大学、クライスト・チャーチ学寮長をつとめたヘンリー・オールドリッチ博士の輝かしきことばを――」

 

 余のつらつら思うところにあやまちなくば、酒を飲むに5つの理由あり。

 良酒あらば酒を飲むべし。
 友来らば飲むべし。
 のど、渇きたらば飲むべし。
 もしくは、渇くおそれあらば飲むべし。
 もしくは、いかなる理由ありても飲むべし。

 

――こうして、二日酔いの予防法・治療法、酒の詩や酒についての意見を書きうつしていたらば、不思議なことに二日酔いのもやもやが醒めてきた。
ただいまの時刻は午後の3時半。
これより絵描きのN氏が、酒と肴をもって部屋にやってくることになっている。

 

前回のブログ(「2月14日のオセロ・チョコレート」)を読んだN氏は、さっそく電話をかけてきた。
「あれじゃあ、おれだけが悪いみたいじゃないか!」
と。
そりゃあ、お前さんだけが悪いよ。

 

彼女のK嬢とは仲直りしたそうだが、K嬢は予定通り翌日から、実家のある沖縄へ飛んだ。学校製作のドキュメンタリー作品を撮りにいったのだという。
「でさ、淋しいわけよ。ね、だからいっしょに酒つきあって」
さいですか。

 

(※ここまで書いたところでN氏がやってきた――酒は岡山倉敷の「燦然」。肴は池袋のデパ地下より、サメの煮凝り、3種の串揚げ9本、マス鮨、ヤマメの生姜煮、山羊のチーズ。私の用意した肴は、冷奴、蕪と山芋の糠漬け)

 

 

 

2月20日(月)鬼子母神は曇り空。

 

起床11時。
ひどいひどい二日酔いである。

 

そのうえ右の尻骨が痛い。
手首の内側も赤黒く腫れている。
どこで、すっころんだのやら。

 

あれから昨夜までの2日間、N氏と兵庫くんと3人で呑みつづけであった。
(つまりN氏は泊った。愛猫を置き去りにして)
部屋で呑み、池袋のモツ焼き屋で呑み、回転ずし屋で呑み、ピザ屋で呑み、カラオケ屋で呑んだ。
(N氏は超マニアックなムード演歌を、兵庫くんはブルー・ハーツ、私は佐野元春の「ハッピー・マン」と、サザンの「いとしのエリー」と、ツイストの「宿無し」を歌ったような)

 

金はみんなN氏が払った。
ついでに私はねだって千円をもらった。
(いまさっきN氏より電話があり、私はピザ屋の出口で思いっきり転倒したそうである。店員たちが慌てて寄ってきたほどに)

 

部屋の隅には酒瓶が乱立し、テーブルの上はグラスや肴の残骸で滅茶苦茶だ。
吐き気をこらえ、膵炎に怯え、のろのろとテーブルを片づける。
昼過ぎ(0時38分)に、エロ漫画雑誌『ホット・ミルク』編集長高柳より電話あり。
ああ、そろそろ連載詩の〆切か。

 

「〆切り設定間違えてたんですよ。今月2月ですもんね」
「ああ、じゃあ明日の昼? まさか今日か?」
「ガハハハハ、今日の4時半でお願いします」
「……うん、了解」
「それと今週、読者プレゼントの発送お願いします。900通、当日とっぱらいで5千円」
「おお、ありがとう! 助かるよ。じゃあ、4時半までがんばります!」

 

で、それから1時間で連載の短詩をでっちあげ、高柳へ携帯からショート・メールで送る。
この詩人は出前迅速がモットーだ。
「千の天使がフットボールする朝に、千の天使を殺してから」
と途中、中也と田村隆一のフレーズを拝借。
(そういや中也のフレーズは、二日酔いの朝を表現したもんだったな)
詩人の言葉の引用詩は、古来より詩の世界では許されている。特に短詩においては引用によって作品がふくらむのだから。

言い訳というなかれ高柳よ。


さて、月に1度の仕事は終わった。
二日酔いだというのに頑張った、けなげな自分を褒めてやりたい。
テーブルの中央には、半分残った「トリス・クラッシック」の瓶が突っ立っている。
「睨み(にらみ)酒はおしまい」
友よ、見知らぬ友よ、女たちよ、今宵もいい酒を呑もうじゃないか。
「乾杯」

 


※この後、仕事帰りのコミネくん(『レコード・コレクターズ』ライター)が車でやってきて、毎年通り「お守り」をくれた。
(近所の〈ファミマ〉の2階の喫茶室でしばし駄弁った。コミネちゃんはコーヒー、私は缶ビールとツクネ揚げと煙草をおごってもらった)

 

その帰り、七曲りの路地の外灯の下に、茶色のガマガエルを発見。
「早起きすぎるだろう、まだ餌は飛んでないぜ。もういちど寝直しなよ」

 

おやすみなさい。
読んでくれてありがとう。
薄暗い奴らに背をむけて、のびのび蒲団にくるまろう。
よい夢を。

 

 

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◎口座番号:5133817

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●pissken420@gmail.com


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御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター
●中野ブロードウェイ「タコシェ」にても発売中です。
●西早稲田「古書現世」にても。
●下北沢「気流舎」にても。
●南池袋「古書 往来座」にても。
●雑司ヶ谷「ジャングル・ブック」にても。
●駒込「青いカバ」にても。
(以上の場所は、ネットで調べてください)

 

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●曽根自身が声と手足で出演しています。
※ガレージパンク・バンド「テキサコ・レザーマン」が全面協力!

 

[ユーチューブにてPISS&KEROのファースト&セカンド・ライブ放映中]
●中野「タコシェ」にてのポエトリー&サウンド5回。
●下北沢「気流舎」にて。

 

 

 

 

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[鬼子母神日記]

●巻頭連載
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
[第21回]

「BLUE HERB」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文


(2002/Acrylic on canvas)
――『BURST』2002年9月号増刊『BURST HIGH』より


ロス恒例の「秘密の勉強会」とは――ジェリーくんの愛車モスグリーンのPlymouth Scamp '75に乗り込み"4Play Gentlemen's Club"へのストリップ鑑賞会!
「全裸の女性を舐める様に見、絵のモチベーションを上げていこう!」
そんな会でした。メンバーは2名、日本のゴジラとキングギドラと名のってた。

ジェリーくんと知り合うきっかけはロスのグループ展。
共通の友人に紹介してもらいロスで初めて出会った。
自分は「ミルク」のフライヤーで絵を見てて、可愛い女の子描くなぁーと感心していた。
ジェリー君は俺の事を、かなり年配のおじさんだと思っていたらしい。なんで??

中庭にプールがある素敵なマンションだった。
お互いにヌードを描いてたので本棚にある本も同じ。それなのに、お互いに絵が全く違うところがオモロイなーなんて話をしてたっけ。
当時はジェリー君も俺も独身。
「毎日行ってるでー」
と、例のオススメのストリップへ連れて行ってもらう事となった!!

そこはまるでタランティーノの『フロム・ダスク・ティルドーン』のTITTY TWISTERの様なストリップ劇場だった。
お店の駐車場へ着くと、さっそく外にいた女の子から「ハーイ、ジェリー!」なんて声がかかって「ホントに毎日来てんだ」と笑ってしまった。

綺麗な白人のダンサーから黒人のダンサーまでいて、2人で絵の勉強の為、かぶりつきでストリップを見ていた。
いまでもジェリー君の真剣な眼差しが忘れられないんだよな(笑)。
きっとジェリー君の可愛い女の子はここで、培われたに違いない!!
話を聞くと、フロアには先ほどまで踊っていた女の子がいて、好みの女の子を選んで奥の部屋でラップダンスのサービスを受けれるらしい。
で、「100ドル出すと、2階の部屋では濃厚なサービスを受けれるで~」とジェリー君に教えてもらった。

とりあえず、初めてという事もありラップダンスをチョイス。
女の子はシェリーだったかな。何度か行ったけど彼女しか覚えていない。
(帰国後、シェリーをモデルに『バースト・ハイ』の裏表紙に絵を描いた――それが今回の絵)

奥の小さな小部屋で、椅子に座り小銭を入れるとスタート。終了の時間がくるとブザーが鳴るらしい。
綺麗な女の子が恥部を股間に押し付けて、いやらしく腰を動かしてくる。
目の前には真っ白い綺麗な胸がふたつ!!
ついつい触りそうになり、「Don’t Touch!」なんて軽くお叱りを受けつつ。

で、すっかり、このラップダンスにはまった俺は、ロスへ行くたびジェリー君と遊びに行っていた。
ん!? 遊びじゃない、勉強会に。
何度目かのロス、昼食に2人でラーメンを食べていると、ジェリー君の友達のNさん一行が他のテーブルにいて紹介してもらった。
「夜に勉強会行くから一緒に行こうよ!」と、5人でいつもの店へ行く事となった。

Nさんが黒人の女の子を選んだのを見て、「いやー、Nさん黒人がタイプだったとは!」と皆で驚いた。
僕も好みの女の子を選んで例の小部屋へ。
いつもなら追加料金、延長なんてしないのに、あまりの可愛さと気持ち良さに延長しまくってしまった。

で……なんとそこで恥ずかしながらパンツの中に射精してしまったのだ。
「ヤバイ! どうしよ!」
このままでは帰れないと思い、終わった後にガニ股歩きでトイレへ駆け込んだ。
展覧会の為にアメリカに来て、ロスのトイレで1人パンツをティッシュで拭いてるのは情けなかったわ。。
「もう30近いんだからさ……」と心の中で呟きつつ。
とは言っても、「俺は10年近く彼女もいないのだからしょうがないよ」と自分を慰めつつ。

ジェリー君の家へ戻って、「実はさー、さっき――」と話すと大爆笑していた。
今では笑い話だけど、他にも色々とジェリー君には迷惑をかけちゃって。
先日メールで当時の話をしてると、ジェリー君もあの頃の事を書きたいと思ってると言っていたので、ここに書けない大失態話も、いつかジェリー君の口から聞けるかもしれません。

いつか、また2人で勉強会へ行きたいな。
その時は、二階の部屋の扉を開き、濃厚なサービスが何なのかを確認したいと思ってる。
(つづく)




2月14日(火)鬼子母神は快晴――断酒再開11日目。

昨夜10時半、同い年の絵描きN氏より電話があり、いま池袋にいるのだが今晩泊めてくれという。
酒は呑めない、と釘をさすと、甘いものを買っていくとのこと。
――20分後。
N氏は、ビニール袋をずしりと畳に置くと、私の前に正座し、いきなり泣きはじめた。

「もう、疲れたよ」
「ほう」
「おれだって、がんばったんだよ」
「うんうん」
「やっぱり若い女ってやつは、おれには手におえないよ……ティッシュある?」
「そこ」
いきおいよく鼻をかむ52歳の絵描き。寝そべったままの52歳の作家。

「笑うなよ」
「いや、まあ、30も年下じゃあ、そりゃあ疲れるよ」
「笑うなってば」
「ああ」
「曽根さんはさあ、女といっぱい遊んできたから、ずっとひとりだったおれの気持ちがわかんないんだよ」
「バカな、遊んでなんかないよ。で、なんでケンカしたの?」
「それがさ、ひっどいんだよ」

さっきまでN氏は、22歳の〈彼女〉K嬢と、池袋のなじみの寿司屋にいたそうな。
楽しく(?)呑み食いし、彼女がソフトクリームを頼んだところで(どんな寿司屋だ? ああ回転寿司屋か)、N氏はキュウリの千切りを、芽ネギのように握ってくれと頼んだという。
ところが初めて見る職人はできないと応えた。
いや、前の職人さんは握ってくれたよというと、いえ、握れません。
といった先から、隣の客へ芽ネギを握ったという。

で、酔ったN氏はその職人にカラミはじめた。
そこでK嬢が、N氏をたしなめた。
当然だ。が、N氏の矛先はK嬢へ向かった。
「ソフトクリームをペロペロ舐めながらさあ、なんであっちの肩もつんだよ!」

帰るぞといえば、あなたが勝手にひとり帰ればいいとK嬢。
ああ、そうかいと、勘定して荒々しく外へ出たN氏。
――寒風に身をさらし、店の前で待つこと5分。
扉を開けて中をのぞくと、
「あいつまだペロペロしててさあ!」

「さいですか……ところで電話した?」
私は急須の「蕎麦茶」を茶飲みにそそいだ。
「なんどもしたけど、出ないんだよ!」
「じゃあ、曽根のとこにいるからってメールだけでもしなよ」
「メール? んんん、メールの仕方わすれちゃったなあ」

嘘つけ。
メール後すぐに電話がかかってきた。
N氏はわざとぶっきら棒に、「おう」とか「ああ」とか答え、結局「じゃあ、10分でそっちに行くから」と言って、私へ電話を寄こした。
「ああ、Kちゃん。おっちゃん泣いてるよ」
「どうも面倒かけて、すみません」
「じゃあ、そっちに行かせるからね」
「ええ、すみません。お願いします」

「この袋のもの、みんな貰っとくよ」と、N氏へ携帯電話を返した。
「ごめんね曽根さん」と、くどくど言いかけたN氏をせかして立ち上がらせる。
そのいそいそとした背中に、「このことブログに書くからね」と放ったが、もうN氏の耳には届かないようだった。
満月の下の七曲りの路地を、ほどいた半白の長髪を背中になびかせ、N氏は放たれた犬のごとく駆けていった。


部屋に来て、帰るまで正味10分。
「なんでおれは、こんな目にしょっちゅうあうのかなあ」
高校時代から今まで、友人たちは女とトラブルがあるたび、なぜか私を選んで泣きごとを言いに来た。
ある一夜などは、今日妻と別居してきたという友人と、今さっき離婚届を出してきたという友人(どちらも私と同い年)が、私の部屋でかちあったことさえある。
(別居したほうはモトサヤにもどり、離婚したほうは今も独身)

私はこれまで、男友だちに女のことで泣き言をいったことはない(はずだ)。
そのつど、ガール・フレンドや、呑み屋の女将や、同僚の女に聞いてもらった。
女との悩み事を男にしたところで、埒(らち)が明くわけないではないか。
女はこっちの混乱した頭を、辛辣に断罪してくれるだけ、我に帰る率が高い。

なのに、よりによって私を相談相手にするなんて言語道断だ。
自他共に認める「昼は甘えん坊、夜は赤ん坊」の私に、男女の機微などわかるわけないのだから。
とはいえ、友人たちだって、そんなことは十重承知の上で、それでも泣き言を言いにわざわざ来るのだろう。
が、その気持ちはとんとわからない。

ビニール袋に入ったものを、畳へ並べてみる。
切り分けられラッピングされたバウムクーヘンと、ビター・チョコレート。
胡桃(くるみ)、ブルー・チーズ、生ハム、高価なコンビーフの缶詰。
そして「ニッカ・ピュア・モルト」のボトルが1本。
(前々回のブログを読んで、この銘柄を選んでくれたのだろう)

蒲団を敷き、しばらく本のつづきを読んでから、灯りを消した。
途端、窓外から猫の唸り声が上がった。それに応える唸り声。次いでまた別の唸り声が重なる。
3すくみの地をとどろに震わす啼き声は、それから30分もつづき、不意に止んだ。
「ペロペロか……」
笑みを浮かべたまま眠った。



――午前9時起床。
ジャガイモ3つと人参1本を茹で、大皿に盛り、プランターのつまみ菜を乗せた。
皿の空きに、胡桃、ブルー・チーズ、生ハム、コンビーフを盛り、ワサビを添える。
モルト・ウィスキーと冷水を、きっかり半々に割る。
フォークでジャガイモを突き崩し、他の肴と混ぜて肴としながら、おずおずと酒を呑む。
及び腰なのは、やはり膵炎が恐いからだ。

がしかし、それでも呑む。
降ってわいたように酒も肴もこれだけそろって、朝酒を呑まずにいたらオテントサマに申し訳がない。
(こればっかしだな、おれは)
今日も鬼子母神の冬空は快晴だ。
窓を開き、胡坐に毛布をかけて、久しぶりのモルト・ウィスキー味わう。
ジャガイモと塩っ気の強い肴がよくあう。
とくに舶来のコンビーフは、牛肉の風味がしっかり残っていて旨い。N氏のやつ、だいぶおごったな。

「でも、読み肴にとぼしいなあ」
昨日借りてきた5冊はすべて斜め読みしてしまった。
カレンダーへ眼をやる。図書館の閉館日を確認するため――赤ペンで休館日を囲んであるのだ。

「ふむ、今日はバレンタインか」
と、およそ無感動につぶやく。
がしかし、そこは52歳でもやはり、ちと淋しい。
そして過去のバレンタイン・デーを今年も振りかえることとなる。

けれど、バレンタイン・デーに憶えのあることは、悪趣味なひとつ話を除いて、このブログにみんな書いてしまったような気がする。
たしか去年の今時分に書いた、某年その日、帰ると家の電気が止まっていたこととか、一昨年の今時分に書いた、某年その日、女の母親から『聖書』を貰った話だとか。
だいたい、バレンタイン・デーにチョコレートを貰ったことなど、片手で足りるほどしか経験がないのだから、エピソードに乏しいのはしょうがない。

で、悪趣味なひとつ話だが――。
皿の肴にラップをし、2杯目の酒をいっきに呑みほして図書館へ出かけた。
ものの5分で6冊の本を選び、部屋へ帰ってくる。
皿のラップをとりはらい、3杯目の酒をつくる。
そして呑みながら、借りてきた俵万智『チョコレート革命』(河出書房新社)を読みはじめた。
むろんバレンタイン・デーなので、その背表紙の文字が眼を引いたのだ。

ひとまず先に、チョコレートの文字をひろってみた。
歌は3首。
ちなみに歌集の初版発行日は1997年5月8日と記されてある。
(その頃まだ出版界はバブルがつづいていた)


チョコレートとろけるように抱きあいぬサウナの小部屋に肌を重ねて


  コンドーム専門店
チョコを買うように少女ら群がりて原宿コンドマニアの灯り


男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす



俵万智はそのあとがきに、歌集のタイトルに『チョコレート革命』を選んだ理由を語っている。

「恋には、大人の返事など、いらない。君に向かってひるがえした、甘く苦い反旗。チョコレート革命とは、そんな気分をとらえた言葉だった。
大人の言葉には、摩擦をさけるための知恵や、自分を守るための方便や、相手を傷つけないためのあいまいさが、たっぷり含まれている。そういった言葉は、生きてゆくために必要なこともあるけど、恋愛のなかでは、使いたくない種類のものだ。そしてまた、短歌を作るときにも。言葉が大人の顔をしはじめたら、チョコレート革命を起こさなくては、と思う。 一九九七年 早春」

彼女はその後、40歳にして認知されない子どもを産んだが、その父親のことは決して明かさなかった。
(当時、彼女が某店のマダムをしていた新宿ゴールデン街では、ドリアン助川が疑われたらしい)
しかし、ここに歌われた多くの歌ははっきりと、妻子ある年上の男との恋歌(こいか)である。
それも女の肉体を通した、エロチックな歌ばかり。
さすが与謝野晶子以来、そして昌子直系の、革命的女流歌人だ。

ここでちょいとあなたにクエスチョン。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

この歌の「記念日」とは、じっさいなんの記念日であるか?

[ヒント]
●これは万葉のころよりの伝統にのっとった恋歌である(古語である「君」に注目せよ)
●つまり与謝野晶子『みだれ髪』直系。
(『サラダ記念日』と『みだれ髪』のタイトルは、通低部分で同じ意味である)
●この食事は「朝食」である。
●7月6日は七夕の前日。つまりこの歌は迎え歌である。
[最大ヒント]
●「この味がいいね」の、助詞「が」に答えの鍵がある。
(答えは次回のブログにて――自信がある方は答えを私のメールまで。正解者にはセカンド・シングルを送ります)


「N氏も、30齢下にこだわるから疲れるんだよなあ」
なんて、勝手なことをほざいて酒をつくる。
で、悪趣味なひとつ話だが――。
以上の話とつながる話じゃない。ただその日が、たまたまバレンタイン・デーだったというだけだ。
以下は落ちのない小話である。


某年2月14日。
前夜から私の部屋に泊っていたライターのQと、炬燵で昼酒を呑んでいた。
女は仕事にいき、私は編んでいた雑誌の校了明けだった。
そこへ共通の友人である絵描きのXが、やはり酒や肴をもって遊びに来た。

「こんなもの見つけたから買ってきたよ」と、Xがテーブルへ平たい箱を置いた。
それは、丸く平たいチョコレートを、白と黒にラッピングした「オセロ・チョコ」だった。
さっそく、酒を呑みながら3人でゲームをした。
(テーブルが乱雑だったので、畳に盤を置いて対戦した。たしかせこく1番1箱の煙草代を賭けたはず)
将棋には少々自信があるが、私はオセロが極端に弱い。2人はなかなか強く、互いに勝ったり負けたりだった。

私とQが盤をはさんで勝負しているとき、便所からもどってきたXが、私の後ろに立ち、そのまま観戦をはじめた。
しばらくして、ふと思った。
「因果だなあ」と。

私の持ち手は白だった。
「これってオセロだったら、黒にめくられちゃうな」
QもXも、妻に自殺された男だった。
それが因果なんじゃない。
そんな友人にはさまれている自分が因果モノなのだ。


QとXとはすっかり疎遠となっているが、どちらも再婚し、子どももできたと聞く。
私はその後、当時の女に棄てられた。
それはしばらく苦しかったが、ある部分でホッともしていた。
私は女が死ぬことを――口にも顔にも出さなかったが、しんそこ恐怖して暮らしていたのだ。
死に別れではなく、生き別れでよかったと、胸をなでおろしたのである。



やはり悪趣味で、あと味の悪い小話だったな。
申し訳ない。
口なおしに『チョコレート革命』から、おいしい(またせつない)歌を紹介しよう。
『サラダ記念日』の通り、彼女は食べ物を歌にうたいこむのがうまい。
それも当時を反映して、なかなか〈バブリー〉な歌が多く、ほほえましい。


カラスミのパスタ淫らにブルネロディモンタルチーノで口説かれている

ベーグルパン置かれる朝の食卓に勝てぬシャンパンを冷やしつづける

骨の髄味わうためのフォークありぐっと突き刺してみたき満月

水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う

歌うように笑うように積み上げられてムール貝の時豊かなり

してもらうことの嬉しさ君が作る四分半のボイルドエッグ

明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる

もう二度と来ないと思う君の部屋 腐らせないでねミルク、玉ねぎ

関係はまだ決めないでおきましょう黄色いニラを炒める時間(曽根注 これがベスト)

バゲットとミルク買うこの簡潔に君と二人の朝がはじまる

「君に食べてほしい」と言われ味わえりアイスクリームは何かの隠喩



「ペロペロか……」
思い出し笑いをして、N氏よりいただいたビター・チョコレートをパキリ。
うん、モルト・ウィスキーにあうな。
ただいまの時間、午後3時半。
最後の酒をつくろう。
それでボトルは空だ。

おやすみなさい。
読んでくれてありがとう。
よい夢を。



[セカンド7インチ・シングル小説発売]

●ザ・シェルビスのセカンド7インチ・シングル小説『Shigella』ジャケット写真

被写体:細菌学者(赤痢菌発見者)志賀潔
写真:土門拳

A面「親不知のしゃれこうべ」
B面「ものもらいの数珠」
限定500部/定価1,600円

●アドレス:budroll.shelvis.sy3@gmail.com

――以上へ以下のことをメールしてから、お金を振り込んでください。

◎郵便番号と住所
◎名前(口座のカタカナ読み振りも)
◎電話番号
◎ファースト、セカンドのどちらを希望するか

●1,600円(発送代込み)
●振込先――ゆうちょ銀行

◎BUDROLL
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817

※通販以外の店頭販売につきましては、もう少し下に店名があります。

P.S.

以下の作品を買ってくれる方、また、仕事をくれる方、メール下さい。
●「詩作品」(手書きした原稿用紙――1万円)
※宅配便着払い

●原稿と編集&コピーライトの仕事。
(個人誌やグループの冊子も受けつけます。アドバイス程度なら、酒と1万円ほどで)
?
●pissken420@gmail.com


[ファースト7インチ・シングル発売中]

●ファースト7インチ・シングル『The SHELVIS』
A面「八重桜」/B面「熱海にて」 定価1,600円


●以下の「ディスクユニオン」の店舗で「ファースト&セカンド」発売中。
御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター
●中野ブロードウェイ「タコシェ」にても発売中です。
●西早稲田「古書現世」にても。
●下北沢「気流舎」にても。
●南池袋「古書 往来座」にても。
●雑司ヶ谷「ジャングル・ブック」にても。
●駒込「青いカバ」にても。
(以上の場所は、ネットで調べてください)

[ユーチューブにてシングル小説A面「八重桜」のPV公開中]
曽根自身が声と手足で出演しています。
※ガレージパンク・バンド「テキサコ・レザーマン」が全面協力!

[ユーチューブにてPISS&KEROのファースト&セカンド・ライブ放映中]
●中野「タコシェ」にてのポエトリー&サウンド5回。
●下北沢「気流舎」にて。


 

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[鬼子母神日記――番外編]

2月12日(日)鬼子母神は快晴。

昨日は結局ぐずぐずして、本や写真集を売りに出かけなかった。
(煙草がどうにか間にあったため)
だが、今日こそ行かねばなるまい。
と、重い腰を上げて、みつくろった4冊を手提げ袋にいれ外へ出た。
途端、玄関先で大家さんとばったり。

「おしごと?」
「はっ、まあ、そんなもんでして」
「日曜日なのにたいへんねえ」
「いえいえ、その、あのう、家賃なんですが……も少し待ってください」
「いいのいいの、気にしないでおしごとしてね」
「はっ、すみません」
「いってらっしゃい、がんばってね」
「はっ、いってきます」

顔が火照っているのを感じながら、七曲りの路地をぬけると、なんと眼の前のテーブルに、古本や雑誌、写真集が並べられていた。
西早稲田の「古書現世」の向井さんが先に気づき、声をかけてきた。
なんとタイミングのいいことだろう。今日は月に1度の「てづくり市」であったか。
さっそく、向井さんに4冊を見てもらう。
色をつけて2,000円なり。
「ありがたい。これで1週間はもつよ」

と言ったはしから、その金で文庫本を2冊買ってしまった。
●吉行淳之介訳のヘンリー・ミラー短編集『愛と笑いの夜』(福武文庫)300円
●丸谷才一エッセイ集『男ごころ』(新潮文庫)100円
安い。とくに吉行訳のミラーはずっと探していたので嬉しい。
その足で煙草を買い、ほくほくと部屋に戻ってきた。
むろん、大家さんが外にいないのを確かめて。

で、ようやく「番外編」の本題に入るが、ザ・シェルビスの「製作」メンバーであるヤマシタによると、通販では、セカンド・シングルがまるっきり売れていないという。
「……さいですか」
つまり、ファーストを買ってくれた人は、その魅力のなさに呆れ、セカンドを見限ったということか。
短編2編で、新刊本並みの1,600円という値段もあるだろう。
ブログの文章とまったく違うという声も、方々から聞こえる。
友人知人の誰ひとり、いや、メンバーでさえ作品を褒めてくれたものはいない。

がしかし、私は今回もおもしろいものを書いた。
あたりまえだ。金まで取るのだもの。
ぜひ、あなたに読んでほしい。そして仲間へ進めてほしい。いや、仲間以外にも読ましてほしい。
そこでお願いなのだが、あなたがかけあって、近所の本屋や雑貨屋やレコード屋、呑み屋や服屋にでも、シングル小説を置いてほしいのだ。

5冊以上で、条件は七掛け。10冊以上の「買い取り」なら5掛けでいい。
(この条件はディスク・ユニオンやタコシェ他もみな同じである)
ひとまず、以下の私のアドレスにメールをいただきたい。
●pissken420@gmail.com

「メリット?」
ん、まあ、なにかあるんじゃないか。
そのうち。
30年後とかにさ。

バースト時代も、編集後記でこの手のことを書いたな。
なんにしろ、ボブ・ディランの名言にある通り、
「男は――私は――女が励ましてくれることや、許してくれることしかしたことがない」のだ。
つまりこの作品出版がそうだ。
あなたが男であっても、男の腹の中には、もうひとりの「女」がいるだろう?
あなたが女なら「男気」をみせてほしいものだ。

昼は甘えん坊、夜は赤ん坊の作家を、ぜひあなたの手で、ねんごろにあつかってほしい。
シッカロールをたたいてさ。
(※)ちなみに、今日も不思議と、からだのどこにも痒みがない。


 
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[鬼子母神日記]

●巻頭連載
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
[第20回]

「Cow and Girl」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文


(2017/Acrylic on canvas)

オープニング当日は凄い人で、ギャラリー内は人で溢れていた。皆オシャレで外にはホットロッドや、50年代のアメ車がギャラリーの前に連なっていた。
日本からはジェリーくんと俺が出品していて、その時ジェリーくんは不在の為、日本人は俺一人だった。

2000年頃、日本ではまだ「ローブロー・アート」という言葉を知る人は、あまりいなかったような気がする。俺もオーナーから聞いて初めて知った位だから。
そんな日本人が珍しいのか、どこから来たの? 出品してるの? と何人かに質問された。
その中に、その後も付き合いが続いたピッズとリズがいた。残念ながらピッズは数年前にモーテルの壁に「Ozymandias」とスプレーで書いた後にピストル自殺をしてしまった。

本当ショックだった。家に遊びに行った時にドローイングをプレゼントしてくれたんだ。それは大切な思い出として大事に保管している。
リズは、ロスへ行くと週に2?3回パーティーを開いてくれた。何よりそのパーティーがブッ飛んでいて、皿を壁にぶつけて割り、その粉々になった皿を集めてオイルをかけ、火を点け皆でイェーイと両腕を天に突き上げたりして。まるで部屋の中でキャンプファイヤーをしてる感じだ。
しまいに火災報知器が鳴りだし、みんなで慌てて消したりして。

籠って遊びもせず絵ばかり描いてた俺は、あまりの楽しさに、アメリカの青春映画の中にでも入り込んでしまった様な不思議な錯覚を覚える時間だった。
あとは、いつもジェリー君の家に泊まりへ行くのが恒例行事というか、ひとつの楽しみになっていた。
その中で極めつけの楽しみに、2人の「極秘絵画勉強会」があった。
(つづく)



2月10日(金)鬼子母神は午後からときどき雪(ただし薄っすらとも積もらず)。

ラジオから……いや、テレビからだろうか?  
大滝詠一の、三矢サイダーのCMソング「Cider’73 ’74 ‘75」のライブ・メドレーが流れている。
窓の外からだ。
うららか。うららか。うららか。
もう春か……。

白菜の尻を輪切りにし……芯はぬき……そっくりと小鍋に詰め、コンソメ出汁でコトコト煮る。
その湯気をたて、くたりとした厚い一切れを箸で引きだし、シーチキンを入れたポン酢で喰らう。
煮る際、唐辛子を1本入れたほうがいいかな?
胡椒は振る?
シーチキンの缶詰の油は、当然ポン酢に入れるべきだろう。
いや、そもそもつけ汁はポン酢でいいのだろうか?
唐辛子は?
胡椒?
缶詰の油はどれくらい?
いや、そもそもポン酢でいいのか?


――そう悶々と自問をくりかえし、レシピが決まらぬまま、ゆっくり水面へ浮かび上がるようにして、夢から覚めた。
「ようやく、食欲が出てきたか」
しかし、白菜やシーチキンを買う金がない。どころか米もない。
ましてや身を起こすのがひどく大義で、8時間寝たぶんだけ疲れを感じる。そして肝心の食欲も、夢のまた夢だと思い知らされる。

時計を見ると、もう午前10時すぎだ。
蒲団を敷きっぱなしのまま、プランターのつまみ菜に水をやり、のろのろと洗顔する。
「それにしても、なぜ、サイダー73?」    
外は、今にも雪のふりそうな暗い寒空がひろがっていた。

水代わりに、前夜作りおきの冷たい「蕎麦茶」を飲み、ミカンを食べ、バナナを食べる。
小鍋に2杯ぶんのコーヒー粉をぶちこんで、そのまま湯をわかす。
ドリップ用フィルター紙を切らしたので、ティッシュで代用する。
「たいがいなんとかなるもんだ」
神蔵美子さんからもらったヒマワリの蜂蜜をマグカップに落とす。

コーヒーを飲みながら、芋羊羹と栗蒸し羊羹を食べる。
それは先日3日、22歳年下の彼女(カナちゃん)を連れて部屋へ「呑み」にきた、絵描きの西牧さんからいただいた浅草「舟和」のものだ。
(いつものように半分は兵庫くんへ。お返しに兵庫くん特製「モツ豆腐煮込み」をもらう)

「あるもんを食べてるだけだし、酒を止めているからしょうがないが、それにしても、起きがけから甘いもんばかりだな。まるでガーリーの朝食だ」
「ガーリー」のスペルも意味もあやふやなまま、ひとりごちる。
第一、ガーリーって、もはや死語か?


●2月3日(金)午後4時過ぎ、鬼子母神境内にて節分の豆まき。
部屋で呑む前に、兵庫くんを交えた4人で拾いにいく。
しつらえた紅白の幕を垂らした細長い壇上に、ずらりと今年の「年男・年女」の有名人(?)が並び、豆の入った〈ポチ袋〉をまく。
壇の裏側が子どもたち、表側が大人のひろう場所となっており、ざっと500人ほどの人群れが、みな背伸びをして歓声をあげた。

とてもその人群れに入りこむことはできず、私は後方で形ばかり帽子を宙に上げ突っ立っていた。
壇上中央、若い女に付添われた紋付き姿の唐十郎がおり、その衰えぶりにショックを受ける。もはやポチ袋を投げる力はなく、その手から真下にポチ袋は、枯葉のごとくこぼれるのみであった。
(ただしその顔つきは、血色のいい好々爺のそれであったが)

私以外の3人が4袋をひろい、そのひと袋を開けて酒の肴(さかな)とする。
(この日の肴用に、前夜から軒に吊るしていた2枚のアジの開きは、寝坊をしてカラスにかすめ取られていた)
他の肴は、冷蔵庫に取っておいた「宗八がれい」の一夜干し、飯鮓(いずし)、梅酢漬け、カブの糠漬け、割烹店「I」の惣菜店から買ってきた肉詰めナスの煮びたし、レンコンの肉挟み揚げ、丼鉢いっぱいの小アジの南蛮漬け――あとで若いカナちゃん用にハンバーグを焼いた。カナちゃん(日芸)はいっしょにご飯も食べた。

8時ころ皆で池袋のモツ焼き屋へ行き(兵庫くん贔屓の店)、わざと焼いていない豚レバーを串からぬき、胡麻油にひたし舌づつみを打った。
(いい加減「レバ刺し」を解禁すればいいのに。まあ今の方が、陰で安く新鮮なレバーが食えるともいえるが)
そのあと角打ちの「常盤」へ行ったが、着いた途端またもや膵炎発症。酒もそうだが、もつ焼きを食べたせいか。たまらず皆にあやまり1人歩いて帰る。
その後、わざわざ3人は部屋まで様子を見にきてくれたが、もう私は蒲団から起きあがることができなかった。
以後3日間、痛み止めを買う金もなく、飲まず食わずで苦しむ。


●2月7日(火)夜8時、渋谷アップリンクにて神蔵美子監督作品『雪子の部屋』を、兵庫くん、末井(昭)さん、出演者である歌手の北村早樹子さんたちと観る。
「アップリンク・ムービー製作ワークショップ」作品上映のため、20分の短縮版であった。
落ちついた華やかさを感じさせる楽しい作品で、冬枯れの「七曲りの路地」が春ランマンのように映った。
北村さんの演技がさすがにたっしゃで、とてもいい味をだしていた。

エキストラの大家さんと兵庫くんの姿(ただし後ろ姿)も映り、七曲荘のこの6畳部屋、窓辺のつまみ菜のプランター、ヒヤシンス、「雪子の部屋」と原稿用紙に書いた私の筆文字も映った(それもタイトル・ロールに)。
猫がカギとなった話なので、美子ちゃん末井さん夫妻の飼っている猫たち、七曲りの路地(猫盛りの路地)の猫たちも多匹出演。
アパート前の「七曲りの井戸」が、いつのまにやら〈パワー・スポット〉と呼ばれていることを映画で知らされ、笑みがこぼれた。

上映が終わり、美子ちゃんの短い挨拶を聞いてから、すぐ外へ出る。
「おそらく今晩中に猫が死んじゃうから、もう帰るね」という末井さんと、北村さん、そして兵庫くんの4人で渋谷駅まで歩き、構内で2人と別れる。
兵庫くんも池袋でちょっと呑んでいくというので、副都心線雑司ヶ谷駅でひとり降り、部屋へ帰った。
ひどく疲れた――すぐに蒲団を敷き、寝てしまう。
(やはりその晩、夫妻の飼猫「たび」は死んでしまったそうだ。私も何度か見ている猫だった。合掌)


●翌8日(水)の午前中、美子ちゃんからショート・メールが何本かあった。
(叱られるだろうが、首を折って以下にメールの内容を書き残す)

『雪子の部屋』は、主人公が七曲り荘で、作家として再生する物語だということ。
それは私(曽根)へ向けたオマージュだということ。
シラフで生きなければ、この世の生の世界で創作などできないこと。
「作品は不健康でいいのです。からだは無事でいてください」

読んでありがたいと素直に思った。
が、今の私には発奮する体力がない。
「いや、以前からなかったし、これからもないんじゃないか。おれには……」
するとなにやら、すーっと水のような淋しさが胸板を流れ、私は敷きっぱなしの蒲団へあおむけに倒れた。
その淋しさは、後悔のようなフシダラナもんじゃない。寄る辺なさでもない。
何か――が融(と)けたような、細かいゴミ混じりの、雪水のような淋しさだった。
「再生か」
しばらく私は、冬の蟲(むし)のように凝(じ)っとしていた。


――そして今日。
昼過ぎの七曲荘は常のように、ひっそり閑としている。
窓の外もそうだ。ひどい寒さのせいだろう。人の声も、鳥の声も聞こえない。
隣室の兵庫くんはバイトに出ている。
敷きっぱなしの蒲団にくるまったまま、私は読んでいた本を枕元にふせた。

ふと、思った。
「春までひとり、雪ふる海を眺めながら、入り江のこじんまりとした宿の炬燵で、のんびりと養生したいなあ」と。
思うと、どこかそういう場所へ行ってみたい気持ちが、どんどんつのり始めた。
「なに、あげぜんすえぜんの宿じゃなくてもいい。蒲団と炬燵があって、電気とガスが通ってて、誰にも会わずにすむ、自炊ができる小屋であれば」

そんな思いに捕われるのは、私にとってはひどく珍しいことだった。
私は若いころから「移動することを楽しめない」たちで――なにごとにも臆病なのだ――旅行も引越しも、呑み屋のはしごさえ率先したことがない。自他ともに認める「引き籠り」だ。
「病んでるものは、小さな希望にすがりつくというが、自覚している以上におれは病んでいるんだな」

読んでいた本のせいもあるだろう。
『志賀直哉小説選 三』(全4冊/岩波書店)
家を出た直後、頼んで女から送ってもらった10冊ほどの内の1冊だ。
(そういえば他に、末井さんから貰った藤枝静男の短編集『悲しいだけ』もあったな。藤枝は志賀の弟子で、この小説選の編者でもある)

昨日、図書館から借りてきた阿川弘之(やはり志賀の弟子で編者)の座談集を読んだところ、志賀についての長い評論鼎談があり(他は井上ひさし、文芸評論家の小森陽一)、興味深く、楽しんだ。
で、今日は図書館へ行くのも寒くて気がのらないので、ひとつ久しぶりに志賀を読み返して過ごそうと思ったのだ。

志賀直哉は大好きな作家――それも、ひとは嗤うだろうが一等影響を受けた作家――だが、やはりその作物には好みがある。
初期より中期以降、特に一読、随筆なのか小説なのかの判断がつきづらい、短い「私小説」が好きだ。志賀本人の言う「小説臭くない」作品が。
(志賀はまた、自分は随筆と小説の書き分けを明確にしておらず、違いはただそれに向かう気の持ち方だ。と無茶苦茶のことを平然としていう。つまり天才か)

話がそれたので、小走りでいうが、後期から晩年の作品を集めた『小説選 三』の作品は、主人公「私」がやたらと独り旅をし、その宿暮らしをつづったものが続く。
志賀は生涯に23回も転居したそうだが、旅もまた多い。
思いつけば列車に乗っている。そして宿に着けば、たいがい1週間は逗留する。
旅は志賀にとって、楽しみというよりも「気散じ」である。ウツウツとしたり、体調が悪かったり、書きあぐねたり、人づきあいに嫌気がさしたら、さっさと移動するのだ。そして実際その旅が、数々の名品を書かせたのである。
名作『城の崎(きのさき)にて』は、転地療養日記でもある。

「いいなあ、おれも今すぐ茨城のあの宿へ飛んでいきたい。炬燵から窓の外の、雪ふる平潟港を眺めていたいもんだ」
いつか惚れた女とまた、あの宿でさしむかい、鮟鱇鍋をつつきながら酒を酌(く)むのが、ここ数年のささやかな夢であるが、今はひとりっきりがいい。とても女の相手はできないし、療養なのだから酒は御法度だ。
ただ、誰とも顔をあわさず、炬燵で日がなごろごろと本を読んでいられたら……。

「ん? とすれば」
この部屋にいても同じことじゃないか。
ここ七曲り荘の部屋には炬燵こそないが、エアコンはかけっぱなし、蒲団にこうして脚を入れ、日がなごろごろと読書三昧。
酒を呑まず、誰ともあわず、お茶やコーヒーや煙草は勝手に飲み放題。
あの宿へ転地療養したところで、窓の外の眺めなど2分もすれば飽きるし、寒がりの私が散歩などするわけもなし。ましてや、図書館がないではないか。
「じゃあ、つまりこう思えばいいんだ」

――10年前の冬、ひとり、旅へ出たおれは、たまたま泊ったあの宿の未亡人女将(※むろん実際は旦那がいる)とねんごろになり、年増女の深情け「あんたは、ずっとなんにもしなくていいからね」と、うしろから丹前なんぞを羽織らせられて、炬燵でミカンをむかれ、死んだ旦那の蔵書を畳に積み上げられて、毎日が朝寝朝風呂朝酒読書三昧。たまに野菜を漬けたり、「めひかり」の干物をつくったり、鮟鱇の「どぶ汁」の味見をしたりで、あっというまの10年目。とうとう酒毒と女毒のせいで膵炎を発症。夜の相手もできなくなり、さすがの女将もブツブツ五月蠅(うるさ)く、海の眺めにも飽き果てて、ふと思いついたのが転地療養。それも東京がやたらとなつかしい。ならばと野放図に「じゃあ、ちょっくら春まで東京の風に当たって、からだから潮っ気をぬいてくるよ」と言えば、女将も「そうしなさいそうしなさい」と期待顔。で、ボスYの紹介で転地したのが、ここ雑司ヶ谷は七曲り荘202号室。早々に隣室の漫画家兵庫くんと仲良くなる。
「毎日風呂に入らなくともいいし、ヒモのおあいそ笑いもしなくていい。なにより図書館が近い。うん、春までここでごろごろしてりゃあ、本当にからだもせいせいするだろう」。


――思いこみの強いのは作家のサガか。都合のいい下世話な妄想だが、さっきまでの焦るような気持ちが、たやすく落ちついたことに我ながら失笑する。
とはいえ、米すら買う金がないことまでは、どう空想つけても腑に落ちるもんじゃない。
「やっぱり、あいつらには悪いが、売っぱらうしかないな」
2、3年前、腹を空かしているだろうとシギーが送ってくれた缶詰を、煙草代欲しさにボスYへ売ったおれではないか。送ってくれた本や写真集くらいかまやしないだろう。

だが、売りにゆくのは明日にしよう。
煙草はまだ2つあるし、買い置きの卵と、ジャガイモや人参やタマネギもある。
それに冷蔵庫には兵庫くんがくれた「モツ豆腐(1丁入り)煮込み」も残っているし、蕎麦とネギまであるではないか。それで今日は十分しのげるだろう。
そう腹が決まると、蒲団から起き上がり煙草に火をつけた。

そして、枕元のふせた本を取りあげ、膝の上で表にひらいた。
途端、ギョッとした。
左ページの真ん中に、千切った梅干のような、猫の乳首のような、直径5ミリほどの蟲がすがり、のろのろと紙を這っている。見たことのない蟲だ。
咄嗟にティッシュを引きぬき、撃つように押しつぶした。
刹那「ブシュッ」と音が聞えた気がしたほど、四方八方、右ページまで血が飛んだ。

「なんだこれ?」
こわごわ、赤く染まったティッシュを見る。
胡麻粒より小さい黒点があった。
「ノミ?」
そう、蚤だった。

「なんてこった」
私には「蚤アレルギー」がある。喰われると大きく腫れ、3日ほど微熱をだし、2週間は膿んでしつこい痒みに苦しむ。その痕は1年も2年も残り、ときどき思い出したように痒くなるのだ。

慌てて、からだのあちこちをまさぐった。
それから全身に耳を澄ました。
が、どこにも痒みはない。しかし、この血は私の血に決まっている。
まさか猫の血じゃないだろう。窓は閉め切っている。
(兵庫くんの?)
眼の中にまだ、ぶよっとした赤黒い姿があった。
蚤とは姿を変えるほど、自身の何十倍もの血を吸えるのか。

ページに飛び散った血をながめる。
どう見ても新鮮な血だが、少しずつ吸って蓄えたのだろうか。
「冬だしなあ」
不意の痒みに怯えながらも、そのとき呑気な思いが喰いついた。
ノミやダニのように、人にすがって生きているおれに、まだすがる奴がいるんだなあ、と。

「再生か……」
窓を開くと、かすかに雪が舞っていた。
かまわず蒲団と毛布を干す。
それから蚤ダニ用の殺虫スプレーを、蒲団と毛布、6畳にまんべんなくまいた。
小声で「鬼はそと、福はうち」とくりかえしながら。

そのあと、畳に寝転がり、また志賀のつづきを読みはじめる。
もはや売ることのできなくなった、選集のつづきを。
そのうち、ぼんやりと食欲がわいてきた。
卵を2つと、切り分けたジャガイモ2つと人参1本を、鍋の水に沈めた。
兵庫くんが帰ってきた音がした。
「モツ豆腐煮込みは、夜にしよう」
不思議とまだ、からだのどこからも痒みはわいてこない。


おやすみなさい。
読んでくれてありがとう。
あなたも夢で転地療養してみなよ。
よい夢を。


[セカンド7インチ・シングル小説発売]

●ザ・シェルビスのセカンド7インチ・シングル小説『Shigella』ジャケット写真

被写体:細菌学者(赤痢菌発見者)志賀潔
写真:土門拳

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●佐藤ブライアン勝彦の連載は休載です。
●ネット番組『金曜のカオス Vol.54』アーカイブ「カオスな芸術性に迫る!ビスケンのコラムとは?」

[鬼子母神日記]

※1月29日(日)の夕方、私の編んだ『BURST HIGH』の愛読者だったという北海道の漁師、田中さんよりクール宅急便で魚が届いた。
3種の鰈(かれい)が10枚と、スケソウダラ3本、カジカが1本。
とても食べ切れないので、大家さんと兵庫くんへおすそわけをする。
高級魚と聞く「宋八(そうはち)がれい」2枚は軒に吊るして一夜干しとし、「赤がれい」2枚と「浅羽(あさば)がれい」1枚は煮つけた。
以下は、その翌日の日記である――。


1月30日(月)鬼子母神は快晴。

禁酒再開9日目。
起床8時。
「1月最後の月曜日か……」
窓を開くとやけに暖かい。今日は4月中旬並みの陽気になると、タイミングよくラジオが伝えた。
水をやる2つのプランターのつまみ菜も、ペット・ボトルで水耕栽培しているヒヤシンスの厚い葉も、つやつやと光り元気だ。
ヒゲをあたってから、さっそく朝酒の肴(さかな)を用意する。
いそいそと。てきぱきと。なれたもんだ。

これだけの魚をいただき、飯のおかずにするほど野暮じゃない。
ゆうべ銭湯で体重を量ったら、57キロまで戻っていたし、深酒さえしなきゃ大丈夫だろ。
(ゆえに兵庫くんは誘わなかった。一緒に呑めば昏睡するまで呑んでしまう2人だけに。それに兵庫くんはバイトに出ているので気が楽だ)
用意した肴は以下の通り。

●炙った「宋八がれい」の一夜干し(1枚は明日の朝食用に冷蔵庫へ)
●「浅羽がれい」の煮つけ(赤がれい2枚は昨夜ぺろりと食べてしまった)
●頭を落としブツ切りにした「スケソウダラ」と、やはり「カジカ」を頭ごとブツ切りにし、ワタも一緒にぶち込んだ味噌鍋(生姜の他に野菜はネギのブツ切りのみ)
●箸休めに蕪とキュウリの糠漬け。

酒は冷やの茶碗酒(千円の1升パック)。
まずは一夜干しした宋八がれいに箸をつける。
開いた身は、眼を射るほどの、つややかな白だ。
「むっ」
なんと繊細な風味だ。我ながら干し具合も、塩梅もいい。
黒い皮は香ばしくぬめり、エンガワ部分の脂もこのうえなく上品だ。
最初に箸をつけたのは正解だった。酔った舌にこの淡い旨味は十分に味わえまい。

昨夜煮つけた浅羽がれいの冷たい身は、ほくほくじんわりと甘く、煮汁は煮凝りとなって舌にとろける。
「さて、と」
ぐつぐつと煮えた鍋をつつく。
スケソウダラの身と白子、鮟鱇(あんこう)と同じくハラワタの特に肝と胃袋の旨いカジカ。
淡白なスケソウダラの身と白子に、濃いめの味噌がよく合う。
裏返して掃除したカジカの胃袋はふくらみ、イイダコの頭のようでいて、やや硬めのはんぺんにも似た歯ごたえと味わい。
鮟鱇から比べればその肝は小さいが、アンキモのような脂臭さがなく、清澄な脂の香りに眼が細まる。
浮いた脂が朝日を反射し、ガマの金眼のごとく煌(きら)めくスープ。
茶碗の冷やを、ごくり。
まさに豪奢な「安酒」である。

〈読み肴〉は昨夜のつづき、坪内祐三の『昭和の子供だ君たちも』(新潮社)。
昭和生まれを中心とする「世代論」だ。
予科練帰り、全共闘――団塊の世代、シラケ世代、モラトリアム世代、新人類、オタク世代。
柴田翔の小説『されど われらが日々――』、大江健三郎『われらの時代』、映画『仁義なき戦い 広島死闘編』、雑誌『ぴあ』『ポパイ』『宝島』、DCブランド・ブーム、バンド・ブーム、アニメ・ブーム――。
以下に本文を引用させてもらう。

「繰り返し述べるが一九八〇年が大きなターニングポイントだった。
昭和で言うと昭和五十五年。その五十五歳というのは当時の一般企業の退職(停年)年齢だ。
戦後三十五年。ニューファミリーと呼ばれながらも団塊(全共闘)世代がサラリーマンに慣れた頃だ。
そして六〇年安保から二十年。つまり六〇年安保の年に生まれた人間が成人を迎えた(彼らがこの数年後に「新人類」と呼ばれる)。一九五八(昭和三十三)年生まれの私も驚いた。六〇年安保の記憶はないものの一九六四年の東京オリンピックの記憶は強力だ。(中略)
その一九六〇年生まれが二十歳になった一九八〇年に生まれた人たち(それは広末涼子や朝青龍や野球の松坂たちが生まれた年でもある)が二十歳になる時、つまり二〇〇〇年、そのことを印象深く受け止める人は殆どいなかった」


――坪内祐三の書くものは、あいかわらず面白い。
がしかし、はたして氏の語るとおり、1980年が戦後の一大転換期だったのか?
私は素直に肯けない。
(この際、氏の育ちの良さや教養の深さは置いといて――坪内祐三のほうが私より6歳上だが「ほぼ同世代人」であり、雑誌『東京人』編集者から作家になった氏とは状況・嗜好が私と似かよっている。そのためかえって氏の論旨が恣意的過ぎに思え、面映ゆい気持ちになるのだ。むろん評論が、そもそも恣意的なものだと分かっちゃいるが――長々と引用しといて申し訳ない)

それでも、東京オリンピックの年、1964年(昭和39年)に生まれた私にとって、1980年は私個人の、まさしく大きなターニング・ポイントの年であったことも事実だ。
――と、読んでいて初めて気づかされた。

その年の春、私は初恋に破れ、いきなり思春期へ突入した。
その年の春、私は中学を卒業し「不良とバカしかいない男子高校」へ入学。すぐさまサッカー部へ入った。
(むろんカッコはリーゼントに短ランボンタン――ただし秋に止めた)
その年の夏、私は16歳となり、酒と煙草と単車の無免許運転と、万引きをおぼえた。
(まんま夏休みデビュー)
その年の秋、山口百恵が引退し、すでに正ゴール・キーパーだった私はサッカー部を退部し、私は「絵描き」となるべく美術部へ入った。
その年の冬、ジョン・レノンがファンに射殺された。

なにより、その年の初夏に吉行淳之介の短編『鳥獣虫魚』を読み、私の前に文学の扉が開かれた。
と同時に、あれよあれよとばかり、絵画、映画、写真、演劇、ファッション、ロック・ミュージックetcが、奔流のように私の世界へ流れこみ、内臓を揉みしだくほどウズマキ始めたのであった。
1980年を境に、奥手だった私の「少年期」は終わり、ようやく「青年期」のとば口へ足を踏み入れたのである。

で、ここから80’カルチャーを振りかえる気などさらさらなく、私の1980年のもうひとつのターニング・ポイントへ話は進む。
(ちなみに私が思う本邦80’カルチャーのポップ・アイコンは、ザ・スターリンであり、戸川純だ。彼女を『BURST』で取り上げることが出来なかったことを今も悔やむ)

その年の秋、私は初めてアルバイトを始めたのだった。
誰に紹介されたか忘れたが、職種は居酒屋(当時は炉端焼き屋)の店員である。そのバイトは高校卒業まで続いた。
今もその店は繁盛しており(場所を変え大きくなった)、帰郷するたび友人たちと呑む。
「社長」がいれば話しこみ、サービスの焼き鳥なんぞを齧ったりもする。
バイトとはいえ、私の職歴で、唯一「円満退社」した仕事だ。

私は16歳から18歳まで、その居酒屋で多くのことを学んだ。
皿洗い、酔客の接客、魚貝の種類、テーブルやお膳のセッティング、ゲロの掃除――等。
そして特に1980年の秋、その後の人生に関わる、2つの決定的なことを学んだのである。

社長は、町に数人しかいない早稲田出の「インテリ」であったし、奥さんは「東京もの」だった。
(今思いかえせば、当時2人はまだ30代半ばだったのか)
2人の他に「チーフ」と、パートのおばさん(とは云え30前後)がおり、やはりパートの「お姉さん」たちが、季節季節に移り変わった。
(そのうちの24歳のお姉さんとは高3のときにデキてしまった。その女をチーフが惚れていたのを知っていたのに)

店は2階建てで、2階は宴会に使われていた。
ハウス・ボトルは「一の蔵 純米」で、ビールは「エビス」、ウィスキーは「ニッカ・ピュア・モルト」だった。
(当時「一の蔵」はまだ知る人ぞ知る銘柄で、田舎では「エビス」は珍しく、ウィスキーもサントリーの「ダルマ」が隆盛を誇っており、社長の「ニッカのほうが旨い」と断言する姿がカッコよかった。それも「モルト」。当時ニッカの工場が仙台にできたはず)

店のおすすめ肴は、大根おろしをたっぷり盛ったニシンの姿焼きと、ホヤとカキの酢のもの。
(私は毎夕10本の大根をおろし、30個のホヤを剥いた。そのため常に手にはすりキズがあり、ホヤ臭かった)
初めてマグロの「中落ち」を食べ(骨からスプーンでこそげとり)、サンマの刺身を知ったのもその店だった。

私は当然、世間知らずのバカで生意気な高校生だったが、当時の私は、まさに「紅顔の美少年」だったため(実際、両のほっぺが紅かった)、奥さんやパートのおばさん、お姉さんたちの「張りあう笑顔」に毎夜取り囲まれた。
(居酒屋の店員なのに長髪だった私は、よく酔客に女だと思われ尻を触られた。中にはナンパしてきた男もいた。が、悪い気はしなかった)

社長にも、チーフにも可愛がられた。おそらく私のバカと生意気の質が、まだ「可憐」だったからだろう。
特に、顔もからだつきも、ちょび髭をつけた「谷啓」そっくりのチーフには、皆から「~コンビ」と呼ばれるほど可愛がってもらった。
(「~」には、その時その時で、クレージーとか凸凹とか漫才とかが入り、どっちがそうなのか忘れたが「犬猫コンビ」とも呼ばれたことがある――おそらく私が猫だろう。私はその後も「おまえは猫みたいだなあ」とよく、年上の男たちに呆れられたから)

チーフは異様なほど「シャイ」で(そこが今思えばルックスよりも谷啓にそっくりだが)、童貞の私から見ても、とても女に縁のないひとだった。
が、チーフは皆に隠れて煙草も酒ものませてくれたし、なによりもすぐ、皆に隠れて私へ包丁を持たせてくれたのだ。

私は1980年の秋に、初めて「料理する」ことをおぼえた。
ヒマな時間にちょくちょくとチーフから教わった。
和食の基本の包丁の使いかたや、野菜の切りかたや魚のさばき方、煮かた焼きかた刺身の引きかた、三杯酢やからし酢味噌やドレッシングの作りかた、盛りつけ等々。

もちろんチーフが、客へ出す料理を私へまかしたことはない。あくまで「勉強」としてだ。
が、高3になると、いそがしいとき私は勝手に魚貝をさばき、焼いたり煮たり刺身を引いた。社長もチーフも奥さんも叱らなかった。
かれいも焼いたし、煮つけもしたし、干物のつくりかた、スケソウダラやカジカのワタの調理も覚えた。

1980年の秋に学んだ、もうひとつの決定的なことは、「おれは決して、社長――経営者にはなれない」ということだった。
社長の仕事ぶりを1カ月半見ての即断である。
今振り返っても、16歳にしては冷静沈着な判断だと感心する。

なにしろ社長は寝ずに働いていた。
早朝の仕入れ、昼のランチ、午後の仕込み、宴会の営業廻り、夜の本営業、深夜の接待麻雀や呑み、なんと他に仕出しまでしていたのだ。
いい店をつくろうとする意欲も旺盛で、月に1度は必ず東京へ行き、居酒屋や料理店を巡り、合羽(かっぱ)橋で器や店内装飾品を仕入れてきた。
更に経理業務があり、スタッフの指導もある。そして家族サービスまで。
(社長夫婦には小学生の息子と幼女がいた)

その姿はガキの眼に、凛々しき「正しい経営者」のシンボルに映った。
そして16歳にして「なまけもん」を自認していた私は、すかさずこう決心したのである。
「社長とおれとは資質が違うのだ。よっておれは職人となるべきだ」
と。
うん、正しい。
がしかし、そのとき目指すのがよりによって「絵描き」とは?
18歳の秋にはその夢をあっさりと捨て、ミュージシャンを目指すとは?
果ては52歳になって、ここ七曲荘に独居し、勝手に作家を名乗るとは?

つらつら考えるに、私は結局これまで「仕事」をしたのは、あの居酒屋店員の2年半しかないようだ。
上京してのライブ・ハウスのブッキング係、バンド貸しスタジオの雇われ店長、5年間の「土方」はみな、私にとっては、いわば「修行」であった。
(なんの? と訊かれてもよくわからんが)
そして雑誌編集者の20年間は、はっきりと「遊び」だった。
なにせ編んだ雑誌はエロ本と、パンク雑誌と、ドラッグ雑誌のみ。
その後ヒモを経て、現在は「無職の作家」だ。詩人だ。
ちんけな寝言をほざけば、今の私は「民衆のヒモ」でしかない。

※90年代には、店は町に3店舗、仙台にも1店舗進出した。しかし現在は町に1店舗のみとし、孫を抱いた社長は「息子は継がないし、もうおれも齢だからさあ」と笑い、孫を私にあずけて皿洗いをしたりする。


私は未だに、16歳のときと同じ、暦に背を向けた「万年文学青年」でしかないのだろうか?
――と殊勝にも詠嘆するが、まあ、好きなことしかやってないってことは、根が素直、未だ「可憐」なのだろう、私は。
「うん、ほっぺもまだ紅いし」
っていうか、顔全体が真っ赤だ。

ここまで書いて、冷や酒を1升呑み干してしまった。
かれいも、鍋もさらいつくした。
時刻はまだ昼の1時。
昼前から窓は開け放している。
さて、蕎麦を茹でて、冷たいのをすすろう。口の中が火照っている。
食ったら、すばやく蒲団を敷こう。
眠る前に水をたらふく飲んで――。

ところで最後に、谷啓そっくりの「チーフ」のその後だが、町に2店舗目ができたとき、チーフはほぼ暖簾分けのようにして、その店の店長におさまった。
が、なんとたった半年後、15歳も年上(!)のパートの人妻とともに出奔、どこへやら駆け落ちしてしまったのである。
(人妻は3人の子どもを置き去りにして)
それを社長から聞かされた28歳の私は、思わず「ガチョーン」と声をだして唸った。
さすが我がチーフ。エライ。イサギがよい。
チーフもまた「経営者」になれない身の程を知る男だったのだ。

それっきり、チーフは未だゆくえ知れずだ(人妻も)。
東京にいるような気がするんだよなあ。
それも池袋あたりの居酒屋の厨房に。
そして今夜も学生アルバイトといっしょに、溜めた大トロのはし切れを、ニコニコ笑顔でつまんでいるような。
そういや私に、かれいとヒラメの刺身の味比べをさせてくれたのもチーフだったっけ。
当時も今も、その味の違いはわからんが。


おやすみなさい。
読んでくれてありがとう。
おたがい、よい夢を。



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◎BUDROLL
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817

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