皇居勤労奉仕

テーマ:

皇居勤労奉仕団



5月24~27日で、皇居勤労奉仕団に行ってきました。



皇居勤労奉仕団とは、無償で4日間、国民の有志が団体を結成し、皇居の敷地内の掃除をご奉仕するというものです。



もちろん、交通費、食費など一切支払われません。



完全に、天皇陛下並びに皇室への敬意と善意により成り立っているものなのです。



戦後、大空襲により焼け野原になった皇居を見た宮城県の方、地元の有志を募ってご奉仕したのが始まりとなり、口コミで翌年には1万人以上の参加に。



ピーク時には、年間4万人にまで増えた奉仕団も、現在では年間6千人程度にまで落ち込んでいます。



この勤労奉仕団に、私も4日間参加してきました。



そしてなんとこの勤労奉仕の全ての団体に対して、4日間で一度だけ天皇陛下が直接ご会釈を頂き、1~2分の会話と直接のお言葉を賜れるのです。



いや、このように書くと語弊が生まれますね。



天皇皇后両陛下は、勤労奉仕の事を非常に大切に思って下さっているからこそ、わざわざ勤労奉仕団に対して無理にでもご予定を空けて下さり、ご会釈をして下さるのです。



天皇陛下は、文化勲章の授与の際でさえ、100人規模の授与者を長いテーブルに座らせて、言葉をかけることはなく、一礼をしながら通っていくだけなのだそうです。(この時、皇后陛下はいらっしゃらない)





もちろん、文化勲章と言ったら日本国民にとっては、最高の栄誉です。



授与者も奥さんも最高級の着物を揃えて、失礼のないように振舞うものです。



それに対し勤労奉仕に関しては、1~2分の会話をしてくださる事、服装は作業着のままだということを考えれば、ある意味文化勲章よりも優遇されていると言えます。



そんな、勤労奉仕に参加させていただきました。





まず、初日。5月24日は、生憎の雨。



この日は、皇居ではなく、東京は赤坂にある、赤坂御用地でのご奉仕の予定でしたが、雨のためご奉仕は中止になります。



ご奉仕する気マンマンで言った私たちですが、何も出来ず本当に申し訳ない気持ちになってしまいます。



そのまま午前中は終了し、なんと午後には皇太子殿下からご会釈賜れるということに。



何もしていない私たちに対して、何ともお優しい待遇で、申し訳なさでいてもたってもいられない感じでした。





2日目、3日目は雨に合わずに予定通りにご奉仕をし、そして4日目。



天皇皇后両陛下のご会釈のお時間を頂きました。





両陛下が部屋に入ってきた瞬間、空気の質がガラッと変わり、緊張感と安堵感に包まれました。



両陛下は、愛情と優しさと慈悲に満ちたお顔と立ち振る舞いで、一つ一つの団体にご会釈をなさり、私たちに団体にも優しいお言葉をいくつもかけて下さりました。



あまりに異世界のような空気が立ち込めたため、私も緊張の度を越してあまり記憶がないような状態になりましたが、とにかく覚えているのは両陛下のおかげで私たちが生きていられるのだという気持ちが、私たちの胸に満ちたということです。





以前、このブログでも書きましたが、私は日教組教育が激しい山梨県に生まれました。



何歳の頃だったかも覚えていませんが、いつか母親にこのような言葉をぶつけたことがあります。

『天皇って、何にもしないで豪華な家に住んでるんでしょ??ずるい!!』



母親はその時、『違うよ。天皇陛下は国民の事を一番に考えて下さっているし、決して無駄遣いなどしないで、質素な暮らしをしているんだよ』と諭してくれました。



しかし私は、ふ~んそうなのか、と解ったような解ってないような感じでした。



いくら母親とは言えど、あまりにも偏見に満ちた教育は強力で、小さくて物の分別もつかない私には、天皇陛下の素晴らしさが理解できなかったのだと思います。





しかしながら、昨日の天皇陛下にお会いした時のあの一瞬で、全て偏見に満ちた教育が吹っ飛び、両陛下が日本を支えて下さっているのだということが、身を持って理解できたのです。



どんな言葉をかけられようと説明をされようと、両陛下のお姿を見た時に、今までの自分の考えが何と失礼で浅はかでバカバカしかったのかという事が、理解出来たような気がしました。





今回、一生に一度もないような経験をさせて頂きました。



私がしたことと言えば、ちょっと草をむしって、ちょっと落ち葉を箒で掃いたくらいのものです。



それに対し、比べものにならないくらいの、大きなものを得させていただきました。



私たちの祖国、日本には、天皇陛下がいます。



どんな酷い政治家が出ようと、むごい犯罪が起きようと、天皇陛下が世の平安を祈ってくださっています。



その、重みたるや私が想像できるようなものではないかと存じますが、その片鱗だけでも感じられて、また私の人生に遣り甲斐が見つかった気がしました。

AD

雑感

テーマ:

最近感じることは、大きな事は急には出来ず、小さな事を積み重ねるしかないということ。



流行のように、日本を変える、日本を良くするとか、変革とか言いますが、良いか悪いかは別として、


ちょっとのきっかけで、ちょっとの努力で引っ繰り返るような事はないよ思う。



やはり、裏でシコシコ頑張ってる人間がいて、裏でちょっとずつの成功を積み重ねていて、そういう地道な作業が小さく小さく積み重なっていく。


そして、コップに溜まっていった水が急にこぼれるように、いつか大きな変化が起こるのだと。



表面上から見たり、傍から見たりすれば、それは急に見えるかもしれないけど、実はそうではないということ。



出来事を事実としてだけ捕えるのではなく、その背景まで見ようとすること。


もし、自分が良い思いをしたのならば、その背景まで感謝すること


もし、不満な事が起こったならば、その背景にどのような企みがあったのかまで知る事。



そんな、広い視野を持った人間になりたいと思います。

AD

自殺と情報操作

テーマ:

上原美優さんの自殺のニュースが世間を賑わせているようです。




人気タレントの自殺と言うことで、ショッキングなニュースですし、私もとても心を痛めました。




きっと、のんべんたらりと過ごしている私には、想像も出来ないような大きな苦しみを抱えていたのだろうと思います。




『貧乏という壁を乗り越えて、明るく振舞っていた・・・・』などという、月並みな言葉では言い表せないような苦しみ悩みがあったのでしょう。




こんな私には、何もかける言葉が見つかりませんが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。







さて、上原さんの件を軽んずるわけではありませんが、死者数については以前から違和感を覚えていますので、本日は、私が日頃調べた事や感じたことを書いてみたいと思います。




まず初めにお断りしたいのが、決して死者数が多ければ重大な事件だという尺度ではないと重々承知しているということでして、それを承知した上でお読み下さい。







まずは、自殺者数です。




日本の自殺者数は、1998年を境に急激に増加し、13年以上連続で3万人を超すという、異常事態です。




(ちなみに、98年から増えたのは主に男性の自殺者数で全体の約70%です。対して女性の自殺者数はほとんど変わらないのを考えると、おそらく経済的な原因でしょう)




自殺は、死因のうち6番目に多く全体の2.8%を占めます。




2010年の自殺者数は、交通事故死者数(4863人)の6.5倍に当たり、圧倒的に自殺者の方が多い状態です。




僕の古い記憶を頼りにすると、交通事故死者数は年間1万人と言われていたような気がしますが、少なくなったんでしょうか。




何にしろ、自殺者がとてつもなく多いのは解ります。




ここで私が問題提起したいのは、交通事故に関しては予防運動や取り上げられる声が大きいのに対して、(例えば、本日5月15日からは、交通安全運動が始まっています)

自殺に関してはそのような事があまり聞こえてこないのではないかということです。




交通事故はニュースになるが、自殺はニュースになりません。




まあ、交通事故予防の運動が活発なのは良いこととして、もっと抑止運動をすべきは自殺に関してだとも言えると思います




自殺の原因及び動機として、「健康問題」が15802人で最も多く、次いで「経済・生活問題」(7438人)、「家庭問題」(4497人)、「勤務問題」(2590人)と続き、この順位はほとんど変わらないそうです。




確かに、交通事故のように安全運転を呼びかけてすぐに減少させられるようなものではないとは思いますが、それでも政府の対策が見えてこないのは不安になります。




昨今、日本の自殺者多くて問題らしいということまでは、広く知られるようになったような気がしますが、交通事故死者数を取り上げただけでも矛盾を感じます。







先日の私のブログでも取り上げましたが、放射線による死者数に関しても、死者数で言えばチェルノブイリでさえそれほど多くはありません。




しかしマスコミの取り上げ方と言ったら、やり過ぎを通り越して、最早不安を煽ろうとしているかのようです。







要するに、世間の話題やマスコミの取り上げ方には偏向があるのです。




マスコミが作り出す雰囲気やブームに誤魔化されて周りと同じ話題に捕らわれてしまうと、本当に大切な事を見逃してしまう構造になっていると感じます。




上原美優さんの自殺が報じられた5月12日には、民主党が『人権侵害救済法案』を次期臨時国会に提出する方針を固めました。(人権侵害救済法案は、自公政権時代は人権擁護法案と呼ばれていたものです。)




国家を崩壊させ得る悪法が、あたかも上原さんの事件に紛れさせて、国民に気付かせないように進められているのです。




これは深読みし過ぎと言われればそれまでですが、このような事が起きる可能性を含んでいると思います。




マスコミは、重要で必要な情報を漏らさずに伝えるという機能はもはや持ち合わせていないと思ってしまいます。

AD