ガンマナイフ手術の2日前には

双子のように息がピッタリ合った専門の看護師さん達から

ガンマナイフ手術の段取りの説明を受けました。

ガンマナイフ専門のドクターには、手術の説明をしていただきました。

プロフェッショナルのコンビネーションには、安心感を覚えました。

 

 

そして

その2日後に、ガンマナイフ手術の日がやってきました。

 

 

説明では

(とは言っても、私は聞いているようでいても聞けていませんでした。

なにせ、脳いっぱい炎症していたので。ボンヤリと聞いていた感じでした。)

 

 

全く大丈夫そうな印象を受けていたので不安無く

いつも通りの気持ちと期待が入り混じったような心境でした。

(「麻酔が 結構 痛いですよ。」と聞いていたので、その点だけは心の準備をしました。)

 

 

そして、やってきた手術の当日。

点滴で体を準備をしていただきながら

「で、いったい どんな物なの?『ガンマナイフ』とは?」

「しっかり、意識して体験するぞ❗️」

「それにしても、本当に現代に生まれれて、2012年に手術受けれて良かったな~」

と思っていました。

 

 

麻酔は聞いていた通り痛かったけれど、血管の枝分かれを初めて感じました。

(神経が研ぎ澄まされていた?)

 

 

双子のような、私の目にはまるでCGに見える看護師さん二人と

パワーを必要とするときにサポートしてくれる男性が一人。

 

 

意識朦朧の全身脱力の私を、空気の流れのようにスムーズに

映画に出てくるのマシーンのようなガンマナイフのマシンの中に運んでいってくれました。

そして、意識を失いました。

 

 

それから目覚めた数時間後

病室のベッドに運ばれていたのは、うっすら覚えています。

 

 

そして、説明を受けていた通り

固定の為の金具の痛みの鈍痛は、少々あったように覚えています。

(末期ガンの痛みとは、比較になりませんが。)

 

 

よく考えると

脳を焼きたくない、でも脳腫瘍は1ミリでも焼き残したくないので仕方ないです。

 

 

すぐに、用意していた痛み止めのお薬を飲んで

再度、ぐっすりここちよく眠り目覚めた時には

全てが終了している現実を改めて噛み締めました。

 

 

外見上、手術前と殆ど変わりない姿の私だったので

狐に摘ままれたような不思議な気分でした。

 

 

思ったとおり、同室のおばあちゃん達には

手術してきたと伝えないと分かってもらえないくらい

外見的にも、全く変化なしでした。

 

━─━─━─━─━─闘病年表━─━─━─━─━─

2010年 

  2月    胸のシコリに気付く

  3月   受診(直径1cm。良性の特徴で詳しい検査無し。)

11月 乳がんと診断(トリプルネガティブ。リンパ節に転移有り。)

12月 民間療法スタート[ガン放置療法:食事療法(断食含む)]

         〈開始時 直径4cm〉

 

2011年   

  4月 代替療法スタート[ガン放置療法:温熱治療]

         〈開始時 直径11cm(壊死を始める。肺に水も溜まる。)〉

10月    手術を決意

         [標準治療選択・手術不可能]

11月 抗がん剤治療スタート

         〈開始時 陥没状態。〉

(開始2週間後、余命一ヶ月と宣告を受ける。)

 

2012年 

  3月    手術可能になる

          (抗がん剤の効果を体験。)

  4月 乳がん手術成功(全摘手術)

  5月    再発予防の術後抗がん剤スタート

  8月    再発予防の術後抗がん剤終了

         (術後治療終了後、3回の講演会)

11月 脳転移発覚(3㎝ 1個)後

           ガンマナイフ手術を受ける。

 

★この時期です。

 

2013年   

2月 脳転移消滅確認

 

2014年

11月  乳がんプチ講座再開

現在 経過観察中