ペルーで拾い物 | 南米ペルー在住、ピルセンの「ペルー雑感」

ペルーで拾い物

ペルーで拾い物

先日、空港に行った。どうも飛行機が悪天候のため前日からリレーして大混乱
しており、たくさんの乗客がカウンター付近に詰めかけて殺気立っていた。
リマの空港は国際線も国内線も同じ並びのカウンターにある。そんな中で女性
の旅人が肩からたすき掛けをしているのをみかける小型のポーチが落ちていた。
最初に外国からやってきたらしい男性が拾った。その人はポーチを拾って「おま
えのか?」って無言でわたしに差し出した。わたしは無言で顔を横にふった。

その男性はポーチをその場に置いて(捨てて)搭乗待合室に向かった。そのポーチ
をわたしはジーッと見つめていた。誰か持ち主が現れるのではと。現れなかった。
ポーチを蹴り飛ばすように旅人が行きかっている。とりあえずわたしが拾った。

かなり重い。カバンはブランド品で手長猿の人形がぶらさがっていた。
一目で貴重品がはいっているだろうと判断できた。ファスナーを開けてみると
旅券、搭乗券、スマホ、財布(現金)、クレジットカード、化粧品、薬などなど
が入っていた。搭乗券をみるとリマ=クスコでまだ出発していない。旅券は
日本のものだったが、入国カードで外国から来た、在外日本人 どうもハワイから
来た女性だと判断できた。年齢はわたしと同じくらい。別にじろじろ調べたのでは
なく、旅券持ち物ですぐに判断できた。

さて、これをどうするか? ポーチを持ち上げ腕をのばして振り上げた。だれも
気にとめない。航空会社の係員(かれから搭乗しようとする)に預けようとも
考えたが係員も混雑で殺気だっており、世話は後回しにされるし、サイフもある
ので別の心配もした。

ということで、空港警備員に預けることにした。わたしも搭乗するので時間はかけられない。
空港警備員を探していたら、米国人(英語をしゃべっていたし真冬なのに半ズボンを履いて
いたしアロハを着ている人もいた)の白人と黒人とアジア人のグループがいた。その中に
旅券の写真と似ているオバサンがいた。ので「これ、あんたのじゃ?」と英語で言ったら
「オーマイ、ゴッド」と叫びわたしに抱き着いてきた。「それそれ、わたしんだわ。もう
クスコへも行けないし、ハワイにも帰れないと思っていた」なんて、叫んでいた。

まわりの仲間たちは 「ユー ア ヒーロー」「ナイス ガイ」とか拍手をしていた。
こっちも急ぐから、「それじゃ、ハブ ア ナイス トゥリップ」とか適当な英語で
その場を離れようとしたら、本人のともだちが、パッと 見えないようにドル紙幣を
くれた。20ドルあった。もちろん「入りません」なんていわない。「オ、ヤッタ」
これで待合室でビール飲めるなんて脳が即断した。おもわず「ありがとうございまあーす」
なんて、日本語で言ったら、その人、「日本語わかるの?」って聞くから、「はあ、生まれ
も育ちも一応日本ですから」と答えてその場を離れた。おばさんには、ポーチは開けて
調べたけど、何もなくなっていないからねと「釈明する」のも忘れなかった。グループ
にはコーディネーターがいたので、携帯電話の番号を教えておいた。

後日、携帯にそのコーディネーターから電話がかかってきた。明日、空港にくるかって?
明日グループはハワイに帰るとのこと。
用事もないのに、飛行機を観るために空港にはいかないと答えた。ちょっと待たされた。
どうもそのおばさんと話しをしているらしい。ホテルに封筒を置いておくから後日取りに
きてくれとのこと。たぶん礼状だろうし、交通渋滞の中、わざわざホテルまで行くのも
面倒だと思った。数日後、通りすがりにホテルに寄ったら、封筒をくれた。

封筒の中には白い紙に手書きの日本語で「ありがとうございました。xxx子」とだけ
書いてあった。住所も電話もわからん。そして100ドル以上の紙幣が入っていた。
もちろん、「オオッ、ヤヤヤッター」と心の中で叫んだ。善行をすればそれに見合う
価値が生じるなんて諺には興味がないし、自分は善人だとも思わない。あのポーチ
の中身の金と金目のものだけ盗もうとは「思わなかった」けど、落とした旅人のこと
を心配していたわけでないし、「困っているだろうな」ぐらいにしか思っていなかった。

こんどはビールだけじゃなくて、友人とステーキ食ってワイン飲んでスタバで
コーヒーを飲んでもおつりが来てしまった。おばちゃん ありがと。