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2017年06月24日 06時40分29秒

ペルー 構造汚職 ②

テーマ:ニュース 社会

その賄賂をもらっていた国のひとつにペルーが含まれていた。その自供に基づいてペルーでも捜査され、賄賂を受け取ったとされる代理人や銀行口座が特定された。そしてペルーでもトレド元大統領夫婦らが起訴された。トレド夫妻は逮捕令がでた。外国(米国など)に在住しており、「政治的な陰謀」、「野党による政治的迫害」「司法は偏向している」などと反論し、ペルー帰国しない姿勢を示しており、ペルー政府は米国に対して逮捕送還を請求した。確認はされてはいないが自白によると2900万ドル以上の賄賂がこれまでに支払われていた。これはゼネコン1社だから、複数の会社を含めれば、あるいは明らかになっていない闇の部分も含めれば膨大な金額になるだろう。

 

ブラジルでの汚職捜査で自白の証言がどんどん出てきて構造汚職が明らかになりつつある。元大統領が涙を流して無実を訴えても多くの国民は信じなくなっている。自白的証言が続次ぎと出てくる理由のひとつは、「司法取引」、つまり容疑者が正直に白状すれば「減刑」の対象になるからだ。いわゆる「協力法」だ。これにより芋づる式に構造汚職が明らかになっていったのだ。

 

だから、ペルーの場合、ブラジルで白状された証言を裏付けるかたちで捜査されることになる。だから名前を挙げられた(賄賂を受け取った者)でも、その裏付けや証拠が出てないうちは、白(しら)を切ることになる。その典型がトレド元大統領だ。ただし、彼の場合、過去にすぐにばれる様なウソを何度もついて、そして暴露されているから、彼の言葉を信用するものは多くはない。それとペルー人と組んだというより、妻の出目のユダヤ系の人物と組んでいたため、更に信用を無くしているし、支援も得られなくなっている。

 

この「協力法」の適用には問題もある。自分の罪を逃れるために、他人に積みを擦りつけたり、ウソの証言をして無実の者を陥れる「冤罪」の可能性もでてくる。その裏付け捜査にも関わってくる。

 

ペルーでも「協力法」がある。容疑者が申請して司法の審査で認められてば適用される。汚職だけなく、脱税や麻薬関連の犯罪にも適用される。麻薬を売った者が買った者を「密告」することがあるのは、まさに罪から逃れるためだ。

 

この「協力法」が有効に機能した時期が過去にペルーでもあった。それはテロリズムの時代だ。

 

 

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2017年06月24日 06時38分55秒

ペルー 構造汚職 ①

テーマ:ニュース 社会

ペルー 構造汚職 ①

 

①  昨年から今年にかけて、主にペルー北部地方が異常気象による水害で大きな被害を受けた。被害を受けた公共インフラの復旧には数年を要するし、国内総生産にも影響を与えた。ほぼ同じ時期に公共事業の入札、施工に関しての汚職追及で逮捕者が出た。いわゆる構造汚職だ。

 

端を発したのはブラジルだ。現在も捜査が続いており、ルラ元大統領、そして罷免されたルセフ前大統領、その後任者テメル現大統領にまで捜査が及んでいる。逮捕されたゼネコン社長などが賄賂を払っていたことを告白し、ブラジルだけにとどまらず、メキシコ以南の国々やアフリカの国の公共事業を落札に賄賂を政府や地方自治体の関係者などにばらまいていたのを告白した。時の政府役人だけでなく、国会議員も丸め込み、外国(ブラジル以外)では大統領選挙キャンペーン資金を有力候補に献金していた。その献金も立場や政策の違う候補者にそれぞれ配って、将来の政府の公共事業落札に便宜を図ろうと用意周到なものだった。右派とか左派、中道とか、経済市場主義とか保護貿易自国優先主義とか社会主義とかお構いなしだ。

 

ブラジルでは270名以上の役人や政治家、企業家が起訴され、構造汚職に関わっていない政治家を探すのみ苦労するくらいだ。まるで機械の部品や潤滑油、必要経費のごとく賄賂が支払われたというわけだ。

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2017年06月19日 11時52分01秒

ペルー 銃社会

テーマ:防犯安全

ペルー 銃社会

 

ペルーは民間人でもライセンスを取得すれば、猟銃以外でも銃を所持できる。もちろん口径や銃弾の種類には制限はある。ライセンスを取得するにはいろいろな証明証が必要となる。精神状態を含めた健康証明、無犯罪証明、未決裁判証明などなど書類をそろえるだけで時間と労力と費用を要する。そして、銃の部分名称を記憶しているかどうか、安全性知識なのテストもある。そして実射のテストもある。

 

ライセンス期限は無期限ではないから、更新もしなければならない。ライセンス期限切れで更新されていない銃器が20万丁近くある。これは登録されているものだから、犯罪者が使っている銃や、闇で売買されている銃器は含まれない。

 

知人の机の引き出しには、38口径のレボルバーがいつもしまってある。もちろん人間に向かって撃ったことはないそうだ。ただし定期的に射撃場で練習はするという。ハンドバックに口径の小さい銃をしまっている女性も知っている。銀行に行くときとか銃を携行する人もいるし、タクシー運転手も強盗に備えて銃を車内に隠し持っている場合もある。

 

以前、日本のテレビ撮影チームが撮影中の強盗に襲われ、発砲を受けた事件があった。けが人はなかったらしい。日本のニュースでは空砲だったなんて報道していた。たぶん間違いだと思う。強盗が持っている銃はレボルバーであろうがピストルであろうが実弾が発射しているし、いつでも発砲できる状態にあるのが普通だ。

 

人に銃を向けても簡単に引き金は引けないなんで、日本のテレビドラマでよくあるシーンだけど、引き金は簡単に弾けるし、リマでは携帯電話をかっぱらおうとして抵抗されただけで相手に向かって発砲する事件は少なくない。

 

強盗に銃を向けられたら、抵抗しないことだ。その意思を見せることさえ、命の危険にさらされる。どんな軽微な犯罪者でも引き金を引くには躊躇はない。

 

冗談でも、たとえ弾が入っていなくても銃口を相手にけっしてむけてはならない。

 

(強盗が射殺されたケース、銃の使用の正当防衛性が問われる)

https://www.youtube.com/watch?v=KdywpPbv3HY

 

(銀行強盗 犯罪はわずか40秒)

https://www.youtube.com/watch?v=fGNm2TBTeT0

 

 

そうゆう社会に怯えながら生活しているわけではないけれど、日本とは明らかに違う。

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2017年05月01日 01時58分02秒

ペルー 20年前の4月22日 ③

テーマ:ブログ

4. 2. 3.


作詞:中島みゆき
作曲:中島みゆき

食べていくための仕事にひと休みして 私はTVをつけた
眠らぬ旅のあれこれを 生まれた街で癒そうと試みていた

明日にはこの街にも雪がちらつくだろうと
季節はずれの天気予報が流れていた
明けきった5時半の空に 目を細めて チャンネルを変えた

中継という文字 そして私の瞳に爆風が噴きつけて来た
長い間に見慣れてしまっていた白く平たい石造りの建物から
朱色の炎と石くれが噴きあがる瞬間だった
ゆらゆらと熱のかげろうはあがり
やがて白い煙から土色の煙となって建物から噴き出していた

昨日までと今日は違うものなのだと
人はふいに思い知らされるのだね

蟻のように黒い人影が走り込む 身を潜める 這い進む 撃ち放つ
どうせTVの中のことだと考えることもできず 考えないわけにもいかず
ただ私は誰が何を伝えようとしているのか
それだけに耳を傾けた それだけに耳を傾けた

大きな救急車が扉を広く開けて待ち構え続けている
担架に乗り 肩にかつがれ 白い姿の人々が運び出される

日本人が救けられましたと 興奮したリポート
ディレクターの声もエンジニアの声もいり混じっている

人質が手を振っています元気そうです笑顔ですと
リポートは続けられている
その時ひとかたまりの黒い姿の人々が担架を囲んでとび出して来る

リポーターは日本人が手を振っていますとだけ嬉々として語り続ける
担架の上には黒く煤けた兵士

腕は担架からぶら下がり 足首がグラグラと揺れる
兵士の胸元に赤いしみが広がる
兵士の肩に彼の銃が ためらいがちに仲間によって載せられる
担架はそれきり全速力でいずこかへと運び出されてゆく

日本人が元気に手を振っていますとリポーターは興奮して伝え続ける
黒い蟻のようなあの1人の兵士のことは
ひと言も触れない ひと言も触れない

日本人の家族たちを喜ばせるためのリポートは 切れることなく続く
しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか
蟻のように真っ黒に煤けた彼にも 真っ黒に煤けた彼にも

あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない
あの国の戦いの正しさを ここにいる私には測り知れない

しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故
救け出してくれた 見知らぬ人には心を払うことがないのだろう

この国は危い
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば
いくらだって冷たくなれるのだろう

慌てた時に 人は正体を顕わすね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた

4. 2. 3. …… 4. 2. 3. ……
日本人の人質は全員が無事
4. 2. 3. …… 4. 2. 3. ……
4. 2. 3. …… 4. 2. 3. ……

 

https://www.youtube.com/watch?v=LwfdnUETxzk

 

 

 

 

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2017年05月01日 01時55分55秒

20年前の4月22日 ②

テーマ:ブログ

ペルーの422 ②

 

ペルーと日本との時差は14時間、日本時間はペルー時間よりも14時間進んでいる。ペルーの午後3時30分は、日本は翌日の明け方 午前5時30分となる。

 

20年前の日本大使公邸人質占拠事件 人質救出作戦はこの時間にテレビ生中継で突然に爆発が中継された。ペルーでは422(1997年4月22日)、日本では423となる。

 

この事件が発生したのは前年1996年の12月17日。この時点で人質は72人。この時点の人質は日本大使館員や在留日系企業幹部の日本人が多かったけれど、ペルーの現役軍人幹部や警察幹部、国会議員やボリビア大使なども含まれていた。

 

事件発生、直後に老人や女性、民間人の多くが解放されている。イスラエル大使や米国の関係者も釈放されている。CNN放送は米国人が解放された時点で、取材クルーは解散した。当然、日本のメディアは舞台が日本大使公邸だし、人質の多くが日本人だから取材を続行した。日本の外務省もリマに対策本部をホテル内に設置した。当然、日本人の眼で日本人人質の話題が中心となる。テレビクルーで取材を継続的に続けていたのは、ペルーと日本。

 

事件は日本へは生中継されていたから、日本人でテレビを観ていた人は少なからずいただろう。動かない生中継の映像が続いていたとか。わたしはこちら(リマ)に居たから、連日ニュースを見聞きし続けてきた。特に詳細を極めたのが犯人側とペルー側(政府)との対話(予備的対話)の交渉だった。もちろん人質たち自身のことも話題となった。秘密裡に進められていた救出作戦が行われるきっかけとなったのは、政府側が提案したフィデル・カストロがOKした犯人のキューバ行を犯人側が拒否し、定期的行われていた人質の医師団による健康診断を犯人が認めなくなったからだ。

 

チャビンデワンタル作戦が決行され突然、テレビ画面が急襲作戦の現場となった映像をみていた日本の歌手がその時、感じたことを歌にしていた。日本人テレビレポーターは、人質の日本人が救出されたことを歓喜していたけど、担架で運ばれる兵士のことに思いをはせていた。現場での地元と日本の違和感を淡々と歌詞にして歌っている。

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2017年04月26日 22時28分39秒

ペルー 20年前の4月22日

テーマ:ブログ

20年前の4月22日 午後3時30分頃、あなたは何をしていましたか。

 

今、30歳なら10歳、25歳なら5歳。

 

そんなの覚えていない。その日、ペルーのリマでは120日以上続いていた

 

日本大使公邸人質占拠事件 の人質救出作戦「チャビン・デ・ワンタル」が

 

決行された日であり、時間です。

 

わたしは車でリマ市内を移動中でした。

 

1997年4月22日(ペルー時間)です。

 

事件が起こったのは1996年12月17日午後です。

 

当時の大統領はアルベルト・フジモリ。

 

日本は橋本龍太郎首相

 

テロリストと交渉人はシプリアニ大司教、ミニグ国際赤十字代表、

ビンセント カナダ大使

 

橋本首相とビンセント大使は故人

 

フジモリは収監され、シプリアニはリマ大聖堂枢機卿

 

人質だった方も何人か物故されている

 

https://www.youtube.com/watch?v=0kdjmZMmCSg

 

2017年04月25日 03時36分02秒

ペルーの4月5日

テーマ:備忘録

ペルーの4月5日

 

別に特別な記念日ではない。

 

20年前の4月5日(1992年4月5日)当時の大統領だったフジモリが夜テレビラジオを通じて、憲法を停止し国会を解散すると発表した。大統領自身が司法や国会の権限を無視したのだ。反政府武装勢力とか、軍隊とか、大衆が蜂起するとかで政権が倒されたわけではない。政権担当者自身がクーデターを起こしたのだ。まさに自政権の独裁化まっしぐらというわけだ。当時も今もペルーでは権力者を非合法に倒すのではなく、権力者自体が体制を非合法に変えるのだ。アウトゴルペ(自演クーデター)と呼ばれる。

 

日本ではフジモリ政権が1990年7月に誕生し、日系の大統領だとして結構、政権発足前後には日本のメディアがペルーのことを報道していた。ニュースなどで報道していた。「なに、それ?」、「フジモリ乱心か」なんて日本のスポーツ紙は新聞の見出しをつけていた。アウトゴルペの理由は大統領自身も説明しているし、国民も知っていた。経済と治安の問題を解決するのに、少数予定だったフジモリ政権は改革の法案が次々と葬り去られ、大統領の権限だけでは大鉈(おおなた)をふるえなかったからだ。

 

このアウトゴルペが起こった前、1990年に日本の入管法が改正され日系人(!?)に対して所定の手続きを経て、特別枠で在留資格認定されれば日本に「定住し」「働くこと」ができるようになっていた。だからこのアウトゴルペを日本で聞いたペルー人も少なからずいた。多くのペルー人が外国に仕事を求めて定住するのは、これ以前にもあったし続いていたけれど、その行先に日本が加わったのだ。

 

当時、ペルーはふたつの大きな問題を抱えていた。年間7000%を超すハイパーインフレ、そして農村部に跋扈していたテロリスト(外国の報道ではゲリラ)が“農村から都市へ”活動を強めていっただけでなく、テロ被害が(物心ともに)がひどくなっている時期だった。その頃、今のようにインターネットで瞬時にペルーで起こったニュースが一般人にも判るような時代でなかった。ましてや日本語もよく理解できない在日のペルー人は、どう理解しただろうか。

 

日本に来た日系ペルー人は親戚に会いにきたわけでもないし、観光旅行に来たわけでもない。「仕事しに働き」に来たわけだ。日本にやってくる理由となった経済面=ハイパーインフレ、テロによる治安の悪化を直接間接的に大きな影響を受けていた訪日ペルー人は、このふたつの課題に取り組もうとするフジモリを応援しただろう。もちろんそうでない人もいた。そしてペルー国内のペルー人も大勢がフジモリのアウトゴルペを支持していたとの世論調査結果が出ているから、同様だろう。そのころ、日本はバブル経済がまだまだ泡吹いていたのだし、現場の作業仕事を見つけるのに事欠かないから、こんなことがある、なしはあまり関係なかっただろう。単純作業の外国人労働者の受け入れの是非の議論があった懐かしい時代だ。

 

実際、日本の企業からの求人がペルーでも直接面談や斡旋業者による受け入れが盛んにおこなわれていた。アウトゴルペがあったから、日本行に拍車がかかったわけではない。米国やカナダ、スペインや欧州、オーストラリアに働きにでるのと同じように、日本がその中に加わった。もちろん、日系という限定付きだが。ちなみに、外国に働きにでる人は生活困窮とは限らない。借金もできないような貧困層は外国に活路を求めることさえできない。専門職(医師、弁護士、エンジニア、建築家、会計士、経営コンサルタントなど)といった自分の持っている能力でペルーにいる以上に高給がとれるという条件があれば外国に出ていく。専門職でも作業労働に甘んじ、ペルー帰国後の独立と更なる専門性をたかめるための資金確保のためという人もいた。

 

ただ日本の場合は他の国と違った。独立系の外国人が専門職の能力が活かせるような社会ではないからだ。英語やスペイン語で専門職の能力があっても、日本では役に立たない。だから金をためる目的で将来はペルーに戻ってその専門職で仕事するための資金確保のため、という人もいるわけだ。高学歴、専門家であった人が現場作業員として日本で働き、ペルー帰国後 その資金を元手で開業(例えば歯科医、会計士、建築家)した人がいる。また、日本で覚えた技術(パソコンソフト、経営、寿司職人や調理人、ケーキ職人)を活かしている人もいる。

 

アウトゴルペから25年経過し、形をかえて日本で就労するというのは続いている。日本に「残った人」で、高学歴者で研究者や大学教員になった人もいる。日本で起業して独立した人もいる。この前あった在日ペルー人は、定年退職するし年金ももらえるから、老後を日本で過ごすか、ペルーの実家のある街に戻るかどうしようかと考えていた。こどもたちはペルー国籍だけど日本生まれだし、スペイン語より日本語が母語だから、こどもは日本に残るだろうなんて言っていた。

 

 

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2017年04月18日 13時37分41秒

ペルーを変えた出来事

テーマ:ブログ

今から25年前 1992年4月5日 大統領自らが国会を閉鎖、憲法を停止する「自演クーデター」を

 

決行した。その後、制憲議会が制定され新しい憲法ができ、国会議員選挙も行われた。

 

クーデターといっても、軍部の支援があって軍隊が出動しメディアを占拠したり

 

したが1発の弾丸も発射されていない。もちろん死傷者はいない。

 

そして20年前 4月22日 日本大使公邸人質占拠事件 人質救出作戦が決行された。

 

DISOLVER, DISOLVER

https://www.youtube.com/watch?v=xmj4aAfLzB4

 

OPERACION CHAVIN DE HUANTAR

https://www.youtube.com/watch?v=Zg38ptNohtE

 

 

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2017年04月16日 12時10分46秒

ペルー 核戦争

テーマ:ブログ

友人から日本は大丈夫なのか、米国と北朝鮮がミサイル攻撃 迎撃の撃ち合いを

 

始めたら、最初に直接的被害を受けるのは、日本と南朝鮮(ペルーでは通常 北と南と呼ぶ)

 

だろう。のんびりしていられないでしょう というわけだ。 ペルー地元の新聞などでも

 

米国が本気で核問題にちゃんと対処しない北朝鮮に攻撃を加えるのでは

 

と報道している。ちょうど、シリアを攻撃したばかりだから。

 

いや、攻撃する前に日本の事前通告するっていっるらしいよ と返答しても

 

そんなのアテにならないし、通告があって ダメだなんて拒否できるわけないでしょ

 

というわけだ。日本人はそれで、パニックになっていないのか? と心配してくれる。

 

ペルーの大統領府のある広場に米国がミサイルを撃ち込めば、どの範囲まで

 

被害がでるかなんて、地図入りで説明している日刊紙もある。

 

いろいろな事情があるだろうけど、日本人は米国が北朝鮮を本気で

 

攻撃をするなんて思っていないのうだろうな。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=U_mnLnn2cGY

https://www.youtube.com/watch?v=7w-d-G10J_k

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2017年03月31日 22時12分47秒

ペルーとベネズエラの自演クーデター

テーマ:政治

ベネズエラの最高裁が国会の権限を肩代わりする決定をくだした。

国会の権限は無効化された。まあ強制解散だ。

最高裁の裁判官たちは、野党が多数派を占める国会勢力を決めた

選挙の前に政府に選ばれているから、当然政府寄り。政府は三権を

掌握したことになる。

 

ベネエズラの議員たちや国際ニュースはペルーのフジモリ元大統領

の「国会解散」(1992年4月5日)になぞられて、ベネズエラの大統領を

非難している。ペルーの議員たちも与野党含めて同じように、フジモリ

を引き合いにだしている。

 

すいぶん 違うところがあり比較は安易にできない。

 

ペルー政府は速攻で大使を召還した。

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