家政婦、メイド、女中 | 南米ペルー在住、ピルセンの「ペルー雑感」

家政婦、メイド、女中

職業として、家政婦の仕事がペルーにはある。法律的にも雇用主はいろいろな条件が課せられる。実際にその条件が遵守されるかどうかは別だ。家政婦がいるような生活は天国だという駐在日本人もいるし、こんな制度は差別だ、貧困の象徴だという日本人もいる。レストランで食事をする人は、給仕が腹をすかしているかどうかなど頓着しない。家政婦も仕事として、立場は当然、雇用主と区別される。



世界的に高名が著述家(マリオ・バルガス・リョサ)の娘がリマにあるゴルフ場や高級なレストランで差別的待遇を受けたとクレームをつけた。自分がそうされたわけではなく、家政婦(メイド)を連れてレストランで食事をして、自分のこども(幼児)の世話をする家政婦に対するウエターの対応が差別的だとクレームをつけた。家政婦の「制服」を着ている人は世話人であり、「お客」と同じ待遇は受けられないというのがレストラン側の主張だったが、あまりにもの剣幕に非を認めた。その娘はお客であるからだ。


レストランやリゾートホテルの顧客で、明らかにその家族の使用人を同伴している場合がある。たとえ、家族の一員ときれいごとを言ったところで、家族ではない。使用人なのだ。前述の娘(母親である)は、メイドの制服を着たメイドを連れて、レストランに食事に行った。そして、制服を着たメイドがウエターに、差別されたと怒った。制服を着たメイドが、家族と同席するのは、その家族の子供の世話をするためだ。家族の大人たちが、ゆっくりと歓談しながら食事をするために、メイドがこどもの世話をするのだ。いくらこどもがメイドになついても、それは家族愛ではない。ただ、その家族の一員として扱われるメイドもいる。それはメイドとしての仕事をこなし、信頼されているからにすぎない。階層社会のこの国では、物腰、言葉遣い、食事の仕方などで氏素性がわかる。深窓の令嬢に化粧と服装で誰でも成れるわけではない。