追憶: チェ ゲバラと遭った人々 | 南米ペルー在住、ピルセンの「ペルー雑感」

追憶: チェ ゲバラと遭った人々

チェ・ゲバラ(本名 エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デラセルナ)(1928.6.4~1967.10.9)


キューバ革命の立役者になったゲリラ戦士のひとり。彼が何をやったか知らない人でも、顔ぐらいは知っているかも。ペルーでもタクシーに顔写真のステッカーが貼って、ティシャツのデザインにもなっている。彼が学生のころペルーを含め、南米各国を貧乏旅行した時の日記をもとにして、ハリウッド映画にもなった(モーターサイクルダイアリ)。


(チェの写真、バックの音楽はチェを賞賛する歌)

http://jp.youtube.com/watch?v=SynVFM_6ezk


エクアドルで遭った知人はボリビアでチェに遭ったという。少年のころガソリンスタンドでアルバイトをしていて、車に燃料をいれにきたのがチェとその仲間だったという。もちろん、その時は誰だかしらなかったけれど、「テロリスト」ボリビア で武装蜂起しているとのニュースを新聞で見て、その時の顔写真が、自分が遭った人物を同じだったという。


チェが捕らえられたボリビアの村が ライゲラ村、ボリビア南東部のサンタクルスから何時間も車でかかる。そして、ライゲラで射殺されたチェが軍用ヘリコプターで移送されたのがバジェクランデ町。このふたつの場所に行ったことがある。チェが殺されたという学校は今、小さな博物館になっている。近くにすむオヤジが、チェはどうゆう状態だったか。農地であった時の話などをしてくれる。チェが捕まったという谷まで案内してくれる人もいる。


バジェクランデ村には、チェとその仲間たちが秘密裏に殺され埋められた場所があり、石碑囲むようにした記念館がある。チェの博物館もある。チェに最後に食事を出した少女(今は老女)とか、チェの遺体を洗ったという元看護婦もいる。周辺のルートはチェのルートとしてトレッキングコースになっており、町々にはチェに薬を売った薬局のオヤジとか、チェが泊まった簡易ホテルとかもある。町おこしの一環にもなっている。


いろいろ話をきいたけれど、一番印象的だったのは、バジェクランデ町の市職員の言葉だ。「この町は平和で静かな農村なのです。争いごとや、政争なんかとは無縁のところです。思想的なことはよく知りませんが、武装蜂起しようとした、チェのやり方は賛成できません。ここは信心深いカトリックなのです。偉大な人だったのでしょうが。。。何も観光資源もないこの地で、世界中から人々が来てくれるようになったのは、チェのおかげです。その意味では感謝してます」と。世界中にチェのファンがいるだろうし、日本にも無条件でカストロのキューバを賞賛する人もいるけれど、どうなんだろうなんて思う自分がいる。


最近、公開されたチェの映画 ふたつ、今、DVDが手元にある。内容や表現にはキューバも一応納得したとか。武装テロリストがおり、テロリストではないゲリラが実際に自分の地続きのところに潜伏あるいか活動して中で住んでみて、チェに関しても「革命戦士」と素直に賞賛できなくなっている自分がいる。


(チェの遺体、バジェグランデの病院の洗濯場で公開された。この時は戦闘で死亡したと軍は発表していた)

http://jp.youtube.com/watch?v=u55XCM55mLg&feature=related