どっこい 俺は生きている | 南米ペルー在住、ピルセンの「ペルー雑感」

どっこい 俺は生きている

今の日本であるかどうか知らないけれど、「駆け落ち」というのがあった。両親などが許さない、恋愛や婚姻で当人たちが逃亡すること。こちらでは結構そのような話をきく。両親がいない欠損家庭が当たり前のようにある中で、厳しい家庭教育を受けた家族も少なくない。金銭的に恵まれているとか、恵まれていないとかは別の場合が多い。許されない恋愛のひとつに両人の家庭の「格」が違うこと。たとえ子供が生まれてもだ。最近は中学生男子が女教師と駆け落ちした。家にあった母親のへそくりを盗んで逃亡し、金がなくなったところで発見された。


Estoy vivito y coleando

戦争などで死んだと思われていた人(行方不明になっていた人)が実は元気でピンピンしてたことを意味します。政治生命や芸能人として死に体の人が、「オレはまだ生きてるぜ、忘れちゃ困るよ」という場合にも使うそうです。

これに当てはまる政治家は、ペルーではオヤンタ・ウマラ、ルルデス・フロレス、そしてアルベルト・フジモリ。トレド前大統領はまだこの領域には入っていないようです。

古い映画ではソフィア・ローレンの「ひまわり」、ちょっと前では、トム・ハンクスの「ナウフラゴ(邦題は知りません)」。飛行機が墜落して孤島でひとりで生き延び、ともだちはボールの「ウイルソン」だけ、助けられ戻ったら、妻は再婚していた。。。。