ピラティスとは(その1)20世紀前半、戦争負傷者の健康回復のために運動指導 | 北習志野でマシンピラティス:健康美に年齢を重ねたい女性に。

北習志野でマシンピラティス:健康美に年齢を重ねたい女性に。

北習志野駅から徒歩1分(新京成線・東葉高速線)。ピラティスマシンを備えた女性専用の本格スタジオです。タワーつきリフォーマー、チェア、バレル、コアアライン完備。千葉県船橋市です。

ピラティスの歴史シリーズ です。

さて今回改めてまたピラティス氏の著書を読み返したりもしてますが、今の時代にも全くそのまま当てはまることが書いてあり、本当に先見の明あふれていたんだな、ということが分かります。

そして著書の中には、運動のことだけでなく、自然な方法で健康体を取り戻せば、皆が幸福になる、といっていて、幸福という単語が頻繁に出てきます。

(世間一般のやり方は自然な方法ではない、と言っているのです)

そしてもちろん、ボディとマインド両方が大切なんだとも。

最初にピラティス哲学みたいなことを書いてしまいましたが…

まずはピラティスって、なんでピラティスっていう名前なんでしょう?

上でもうピラティス氏と書いた通り、実は、人の名前なんですよ。

「ピラティス」エクササイズ体系を作り上げた創始者が、ジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティス氏です。

◆幼少時代
1883年12月9日 ドイツのメンヒェングラートバッハ ウォルトハウゼナー通りで生まれました。

(文献によっては1880年生まれとなっていることもありますが、出生証明書がドイツの図書館でみつかって、正しくは1883年12月9日ということで、PMAというピラティス国際会議団体でも認定されたそうです)

父は体操選手(ボクサー、鍛冶屋もしてたようです)、母は自然療法家。

ということで、カラダのプロになっていく環境バッチリな感じですよね。

でも幼少期は病弱だったため、通ったトレーニングセンターみたいなところで色んなスポーツをやっていて、そのおかげで14歳の頃には解剖図のモデルをするほど健康体になったそうです。

そういったことも、後々自ら開発するメソッドの土台となったんでしようね。

このころ経験してたものとして、ボクシング、体操、ヨガ、太極拳、ボディビルディング、スキーなどなど…多岐に渡りますね!

◆捕虜時代
1914年、ピラティス氏34歳頃に、第一次世界大戦が勃発し、そのときイギリスにいたため敵国人として捕虜となってしまいました。最初ランカスターの捕虜施設にいて、その後マン島へ移されたそうです。

この捕虜時代が、今のメソッドの原点となっていまして、仲間の捕虜の健康回復のための活動をはじめました。

寝たきりの負傷者のためには、ベッドのスプリングを取り出して柵に引っ掛けて、今のリフォーマーみたいな運動器具を作ったりして、運動指導をしてたのです。

こうして日々エクササイズをしていたピラティス氏のいる捕虜チームは、1918年、インフルエンザ大流行のなか、このチームだけが死者を出さなかった、というのは、有名な逸話です。

長くなりましたね…

この後の話が本番なんですが、続きはまた次回!

と…その前に、ピラティスの歴史を簡潔にまとめたアニメーション動画があるのでリンク貼っておきます(英語ですが分かりやすいです)


6分くらいですので、ぜひご覧になってみてください!

しかしアニメの中でもパンツ一丁で描かれてるピラティスさん(^^;;

健康のため、太陽光を浴びてビタミンDを吸収する、という意図だったようです。

<続き>
その2はこちら
その3はこちら
その4はこちら
その5はこちら