その後志藤は夜まで外出をしていた。
7時ごろ戻ってきたと思ったら、真太郎に
「・・弟さんに、会えますか?」
と、身を乗り出して言った。
「は?」
「ちょっと会って話をしたいんです。」
「実家にいると思うんですが。 電話をしておきます。」
真太郎は頷いた。
「寝てたのにっ!!」
真太郎と志藤が一緒に北都邸に行き、真尋を呼ぶと
ものすごく機嫌悪そうに言われた。
「寝てたって・・。 今、8時だぞ。 さっきオフクロに言っておいたのに。」
真太郎は呆れた。
「夕方4時からずーっと寝っぱなし。 今日は予定なかったからさあ、」
と頭を掻いた。
「だらしね~~、」
真太郎は顔をしかめる。
「で。 なんだよ、」
真尋は缶コーヒーを飲みながら言った。
「あ・・えっと。 7月の終わりから大阪支社からこっちに転勤になった志藤さん。 クラシック事業の責任者なんだけど、」
真太郎が志藤を紹介した。
「あ~~。 この前の。」
真尋は頬杖をついてかったるそうに言った。
「志藤です。 この前はロクに挨拶もしないで。 きみはウチ所属のピアニストなんだから、今後ともつきあうようになると思うけど、」
志藤はふっと笑った。
「もー、腹減ったから、話早くしてよ。」
めんどくさそうに言われて、
「おい!」
真太郎に宥められた。
志藤は呆れながらも、バッグから大きな封筒を取り出し、
「これを。 きみにお願いしたい。」
真尋に手渡す。
「あ?」
中を見ると
「ショパンの・・・ピアノ協奏曲第1番・・・?」
楽譜が入っていた。
「北都フィルのデビュー公演のコンチェルトを・・・きみにお願いしたい。」
志藤の言葉に真尋ならずとも真太郎も驚いた。
「し、志藤さん!」
「なかなか決まらなくてね。 競演してもらう人が。 今日、指揮者に決まった甲本さんと話をしてきたんです。 甲本さんもきみのことは知らなかったけど、ぼくが説き伏せました。 きみしかいないって、」
志藤は真尋を真っ直ぐに見た。
真尋はぼーっとして楽譜をペラペラとめくり、
「ちょっと、待って~。 なんか意味わかんね~~。」
まだ寝ぼけているようだった。
「だから・・」
ため息をついてもう一度説明をしようとすると、
「志藤さん。 それはぼくとしては嬉しいですが。 真尋はまだまだ日本では知名度もないし、」
真太郎が待ったをかけた。
「もちろん。 前日のオープニングパーティーできみのミニコンサートを開きます。」
「は?」
真尋は口をぽっかりと開けた。
「もうそれで十分でしょう。 期待をしています。」
志藤は自信たっぷりに微笑んだ。
「ちょっとちょっとぉ~~~。 勝手に決めないでよ。 なんなの? あんたは、」
真尋は突然のことに大いに不満そうだった。
「真尋、」
真太郎は窘めたが、志藤は動じずに
「ぼくは。 本当は北都フィルを立ち上げるなんて仕事は今さらしたくはなかった。」
キッパリとそう言った。
「でも。 きみに出会ってしまったからには。 北都真尋が超一流のピアニストになるよう、これからもずっとずっとプロデュースしていく。」
なんじゃ
このおっさんは。
真尋はこの自信満々の笑顔に
さすがに気おされた・・・。
「そのために。 このクラシック事業部も立ち上げて、きみとともに一生をかけてやっていく仕事だと思っている。」
真太郎は
初めて志藤が
こんなにも情熱的に話をする姿を見た。
『天才』
北都マサヒロとに出会いは
もっともっと確実に志藤の運命を後押しする。
この日の志藤の言葉を真尋は忘れていませんでした・・・