「久々に見たね。 志藤ちゃんのあの怒りよう。」
南は余裕の笑いを見せた。
「あ~~もう! ほんっといちいちうるせ!!」
真尋はふてくされてドカっと椅子に座った。
「早く帰って練習しないとまた怒られますよ。」
玉田はそんな彼を諌めた。
「も~~! タマちゃんついてきてよぉ~。 一人で練習なんかできないよ~~。」
まるで子供のようにダダをこねる彼に
「わかりましたよ。 さ、行きましょう。」
玉田はため息をつきながら立ち上がった。
「でも・・本部長があんなに怒ったトコ初めて見ました、」
夏希が言うと、つかつかと近づいてきた真尋が、
「うるせーオヤジだ! ほんっとムカつく! うぜぇ!!」
と言い放ったち、夏希の本立てに隠してあったチョコレートの箱を見つけていきなりそれを食べ始めた。
「あっ! あたしのっ!!」
手を伸ばしたが虚しく、あっという間に全部食べられた。
「じゃ、行くか。」
それを食べて満足した真尋は玉田を連れて出て行ってしまった。
「あ~~! もう! 残業中に食べようと思ったのに!」
夏希は空箱を恨めしそうに見た。
「ほんま、食いもんあるとこ直感的にわかるな。」
南は笑った。
「ま・・・おれが来た時はもう、斯波さんがほとんど仕切ってたし。 あんまり志藤さんが仕事上で怒ったりってトコは見たことないですけどね、」
八神も思い出したように言う。
「今、事業部創設メンバーはあたしと志藤ちゃんとタマちゃんだけやから。 ほんまも~~、タマちゃんなんか毎日打ちのめされるくらい怒られてたよ。 真尋だって志藤ちゃんと知り合った頃はまだ学生やったし。 ほんまよう二人ぶつかってケンカしたし。 決まってた公演、キャンセルになりそうなこともあったし。」
南が昔を思い出して懐かしそうに言う。
「え? そんなに?」
「二人ともコレと思ったら負けへんもん。 志藤ちゃんなんかあの通り、口がめちゃくちゃ達者やろ? 機関銃みたくバーっとしゃべって相手に何も言わせへんねん。 タマちゃんとか前にいた若い子もよう泣かされた。 真尋もアホやからボキャも全然ないし。 結局、志藤ちゃんに負けてな、」
南は笑う。
「斯波さんはすっごく怖いけど。 本部長は本当に優しい人だと思ってましたから、」
夏希がそう言うと、
「今はね。 もう斯波ちゃんに任せてるから。 意図的だと思うけどほとんど口出さないから。 でも、真尋のことになると・・黙ってられへんのやろな、」
南はにっこり笑った。
「真尋さんは別格だからさあ、」
八神も夏希を見て笑った。
「・・別格、」
「真尋、ほんまにピアノはめっちゃすごかったんやけど。 頭悪いやん? ウイーンの音楽院卒業でけへんようになってしまって。 エリちゃんは首席で卒業できたんやけどな。 その頃はもう北都と契約してたから。 もうプロ一本でやっていこうって思って、途中で辞めちゃったの。 しかも・・・その留年してしまった理由がな。 酔っ払って側溝にはまって。 足の脛骨折しちゃったの。 アホやろ??」
南は眉間に皺を寄せた。
「ほんと、ですね・・」
夏希は
自分が金網によじ登って捻挫をして散々みんなに迷惑をかけたことを忘れて大きく頷いた。
「も~、志藤ちゃん、めっちゃくちゃ怒って。 おまえなんかもう知るか!って。 でも、ちゃーんと身の振り方とか考えててね。 真尋のこと買ってくれてた、学校の講師で有名なドイツ人の指揮者の人に頼んだりして。 ほんまに真尋のピアノが好きで。 どーしようもなくって。 どんなにつらい時も、嬉しい時も。 ずうっと一緒にやってきたんやもん。 もうほんまのお兄ちゃんの真太郎より真尋のこと面倒見てたし。」
なんだか
じーんとした。
あの二人が
そんな絆で結ばれてたとは・・・・。
「ま、結局。 あの二人、気が合うんですよね。 おんなじB型だし。 下ネタ大好きもおんなじだし。」
そんなしんみりとした空気を打ち破るような八神の発言に
夏希は気分を害され、ムッとした。
「せやからな。 心配することはないねん。 きっとしばらくしたらまたくっだらない話して盛り上がって笑ってるよ。」
南はお気楽にそう言った。
「こんにちわ~。 お久しぶりです。」
絵梨沙もまた帰国したので、さっそく明日から入っている雑誌の取材の仕事の打ち合わせでその夜夏希は真尋宅を訪れた。
「こんにちわ。 またよろしくね。」
絵梨沙はにっこり笑った。
少し気になったので、
「真尋さんは、」
と聞いてみた。
「ああ・・・玉田さんと夕方からずっと地下の練習室に篭ってる。 志藤さんに怒られちゃったって言って。 当たり前よね。 今さら曲目を変えてくれだなんて。」
絵梨沙はふっと苦笑いをした。
「ほんと、真尋はわがままだから。 志藤さんをはじめ事業部のみなさんに迷惑ばっかりかけて。」
夏希はすごく興味が沸いて、
「あの、外からでいいんですけど、練習見させてもらってもいいですか?」
と聴いた。
「いいわよ。 ドアはガラス張りになっていて二重になってるから、1つ目のドアを開ければ音も聴こえるし。」
絵梨沙はにっこり笑う。
夏希はここの地下の練習室に初めて足を踏み入れた。
広い・・・・。
地下であることを忘れそうなくらい明るくて。
「昼間は日の光が少し入ってくるようになってるの。 地下でも窓があるでしょう?」
絵梨沙はそう説明してくれた。
「ホントだ、」
地下、というより半地下だった。
大きなガラス窓の外にちょっとしたスペースがあって植木が植えられており、その上を覗き込むと地上が見える。
「真尋、閉所恐怖症なの。 狭くて暗いトコが嫌いなんですって。」
クスっと笑った。
「へえ・・・」
ガラス越しに
真尋が懸命にピアノを弾く姿が見える。
玉田が後ろからじっと彼の背中を見据えるように座って聞いている。
1枚目のドアを開けるとウソみたいに音が溢れてきた。
わぁ・・・。
思わず言葉がこぼれそうになる。
「ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』よ。」
絵梨沙にそう説明されたが。
正直
『ラベル』さんも
知らなかった。
だけど
あの時と同じように
体中が何かに感電したように
痺れていた。
真尋と志藤のケンカを目の当たりにして驚く夏希でしたが・・