「てるてる家族」(再放送)第6回 | 日々のダダ漏れ

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「てるてる家族」 第6回

夏子はペニシリンを打ってもらい回復に向かう。
岩田家はその費用8千円という大金をなんとか
やり繰りし、春男(岸谷五朗)がパン工場での修
業を終えるとともに大阪の池田に戻った。やが
て岩田製パン店が開業、委託製パンという制度
もあって結構繁盛する。昭和28年春、次女・夏
子の小学校の入学式を迎え、春男、照子そして
春子、夏子、秋子、そして四女の冬子の明るい
笑い声が、岩田家に満ち溢れていた。

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夏子姉ちゃんは、何とか、
ペニシリンを打ってもらえました。

夏子姉ちゃんは、九死に一生を得て、
その後、順調に、回復していきました。

ペニシリンを使った治療費は、
お父ちゃんが米軍のパン工場で
働いている事も考慮されてか、
覚悟していたほど、
大きな金額ではありませんでした。

それでも、預貯金を全部はたいた上に、
両方の親戚から借金をしなければなり
ませんでした。

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照子) また一から出直しですね。
春男) 何言うてんねんな。借金が
    あるさかい、マイナスからや。
照子) そやね。
春男) そうや。
照子・春男) ハハハ…!

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お父ちゃんが、
佐世保のパン工場での修業を終えて、
一家で大坂の池田に戻ったのは、
昭和23年の、夏の事でした。

お父ちゃんたちは、実家を改造して、
パン工場を作り、
岩田製パン店を開いたのです。

その頃、小麦粉はまだ配給でしたが、
その配給制度が逆に幸いし、
岩田製パン店は、委託製パンをして、
結構繁盛したのです。

委託製パンというのは、
人に頼まれて、
パンを作ってあげる事です。

小麦粉と加工賃を受け取って、
それに見合う分量の、パンを渡すのです。

お父ちゃんのパンは、
一応アメリカ仕込みの、
本格派という評判をとりました。

その年、お母ちゃんは、予告通り、
秋にまた、女の子を出産し、
秋子姉ちゃんが生まれました。

そして、いよいよ翌年の、
昭和24年、冬。

お待たせしました!
私、冬子が誕生しました。
パンパカパ~ン!

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さて、その翌年の、昭和25年。
岩田製パン店にとって、
一つの転機が訪れます。
小学校の、パン完全給食が、
実施されたのです。

岩田製パン店は、給食用のパンを
納める工場として、申請を出し、
認可されたのです。

お父ちゃんは、
他の職人さんたちと一緒に、
夜中の三時から仕事をし、
二つの小学校に納めるため、
一日千個ほどの、パンを作りました。

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さて、それから3年後。
物語は、昭和28年の春へと移ります。

私と、秋子姉ちゃんです。
秋子姉ちゃんは、
この頃から私の面倒を、
よく見てくれました。

春子姉ちゃんです。
今度小学校の2年生です。

そして、夏子姉ちゃんも、
もうじき、小学校の入学式です。

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春男) 夏子のちゃうで。
喜介) はっ?
春男) 照子の服買いに行くんや。
   去年和服やったから今年は洋服にするん
   やて。夏子の入学式やから、夏子に母親
   の服選ばしてやんねんて。どういう理屈か、
   俺もよう分からへんのやけどな。

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さて、ようやく、勢ぞろいした岩田家の面々。
これから、一体どんな事が起きますことやら。

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ペニシリンを打ってもらえて、元気になってよか
ったね~夏ちゃん! そして、ペニシリンの代金
が覚悟していたほどじゃなくなってよかった~。
とはいえ、借金でマイナススタートの岩田家。マ
イナススタートのはずなのに、照子のおかげか、
悲壮感はなく、むしろ明るく感じるから不思議w

佐世保でお世話になっているおうちに、戦争に
行っていた旦那さんが帰ってきて、岩田家も大
阪に戻ることに。春、夏、秋、冬と、宣言通りに
子作りするって、すごすぎる! しかも年子で!

娘の入学式の服を買いにいくというのに、娘が
着る服ではなく、母親が着る服を買いに行くと
いう、入学式の当事者に、母親の着る服を「選
ばせてあげる」という理屈はホント、意味不明。
でも、そういう理屈を通す人って…いるよね~。
岩田家の娘たちが全員そろったところで、来週
からが、家族の物語としては本番。楽しみ~♪