サワディクラップ!!
本日もKAZのブログにお越し下さいまして有難う御座います!!
此方タイに住んでいますとどうしても季節感が希薄、気がつけば12月も残り10日あまり、いよいよ今年も残り僅かとなりましたね。
タイに住んで5年半、平々凡々な日々ながらも年々充実した日々を過ごせるようになって来たのはこの地の生活に慣れたと云う事なのか?それとも諦めの心境になってきたのか?(笑)
さて来年はどのような一年になるのか?今から楽しみなこの頃です(笑)
さて表題の件、日本からの知人のアテンドも無事に終わりました翌日は・・・
そう~去る10月13日に崩御されましたラマ9世、プミポーン・アディヤデート国王様へ最後のお別れに行ってきました。
亡くなられてから15日後の10月29日から王宮内の「デゥシット・マハ・プラサート宮殿」にて一般弔問が始まって以来、連日1万5千人近くの弔問客が押し寄せておりましてTVのニュースでも6時間ほど並ばなければ入場出来ないと聞いてはおりましたが・・・・
タイ人の女房は何時間並んでもお別れがしたい・・・・との気持ちですし、KAZも偉大な国王に少しでもお近付きになりそのお心に触れてみたいと、女房から相談された時には二つ返事で「うん、行ってみよう」でした。
当日は・・・・
午前2時半に起床・・・・
いつものように栄養剤を流し込みまして・・・・(笑)
午前3時20分にホテルを出発。王宮周辺には車を停めるスペースはありませんのでTAXIで向かいました。
通常この時間のスリウォン通りに居るTAXIはメーターを使わずやや法外な料金を吹っかけてくる輩も多いのですが「王宮に行く」と云いましたら何事も無くメーターを倒す(笑)
3時50分、現地到着です。
王宮周辺には一切立ち入ることが出来ませんのでまずは王宮への弔問用入場門が設置されております「Atsadang Rd」側でTAXIを降車。
入場門はまだ閉じられておりますが既に弔問客の列は2キロは有るでしょうか?(アセアセ)
列の先頭の方の方々は前日の晩から並んでいるのでしょう、道路にビニールシートを敷いて横になっています(笑)
これ午前4時前の様子ですよ~~(驚)
10月29日以来、現在も引き続き同じような状況なんですよ。いかにプミポーン国王が国民から愛されていたのか判りますよね。
自撮り!!(笑)
みんな近くの方と自己紹介したり世間話しをしたりとタイ人特有の打ち解けモード全開!!
KAZが日本人だと判ると「KOBORI~KOBORI~」といつも通りの反応(爆笑)
午前4時に「Atsadang Rd」から封鎖されてますサナームルアン(王宮前広場)に続く道路「Ratchadamnoen Nai Rd」への入場門が開門。
バックの中身を見せた後に空港のX線検査器のようなゲートを通過、更に身体を直接触って危険物を持ち込んでいないかの確認、驚くほど厳重な警備です。
「Ratchadamnoen Nai Rd」に入りますと行って戻ってを繰り返す長い列(汗)
中には途中ですっと横の列に入る・・・そう横入りするようなズルイタイ人も居ますが・・・
タイ人って普段の生活でもこのような狡賢いような人間を許してしまうんですよね。
「因果応報」・・・悪い行いをすれば必ずその報いが有ると信じていますので「勝手にすれば」状態なんです(汗)
午前5時、「Ratchadamnoen Nai Rd」を行ったり来たりしていよいよサナームルアンに入場です!!
この附近では列の両側に屋台がありまして弔問に来た方々に無料で食事や飲料水を提供してくれます。
これはロンターンと云うタンブン、自らの費用で王様の逝去式典にお手伝いしたいと云う方々の善意で成り立っているんですよ。但し・・・・KAZ達が此処を通った際には時間が早過ぎてどこも開いていませんでした(涙)
弔問客用の巨大なテント群、中には椅子がビッシリと並んでいます。
そして・・・・・
午前5時15分。
やっとそのテントの中に入れました。
通信会社各社の移動局も何台も出動してまして無料でWiFiが使用可能。
勿論此方も通信会社からの弔問客へのロンターンです。
テントに入ってしまえば取り敢えずひと段落、自分の椅子も決まっていますから周囲の方に声を掛ければトイレに行ったり水を飲みに行ったりと自由に動けました。
此処で1時間半ほど待機・・・・(汗)
すっかり空が明るくなった午前6時45分頃に再び移動開始です。
いよいよサナームルアンを出まして・・・・・
王宮前の「Na Phra Lan Rd」に設置されました最後のテントに移動。
更に此処で1時間ほど待機(アセアセ)
此方のテント内では「デゥシット・マハ・プラサート宮殿」内のリアルタイムでの様子がが観られます。
一般の弔問客が弔問している時には列が少しずつ移動、途中で一般弔問が中止され王室関係者やVIPが弔問している時には当然の事ながら列はピタッと停止(笑)
もう少しで宮殿だと思うとちょっと緊張感が・・・・
そして此処での待ち時間中に全員の服装チェックが行なわれました(驚)
上下共に黒色の服装、男性は長ズボンに革靴、女性は膝下以上の長さのスカートかスラックスに黒色の履物。
男性のシャツの裾は外に出さずにズボンの中へ、当然ベルトが見えますので黒色以外のベルトは外さなければなりません。更に帽子の着用は禁止、鞄は肩から提げずに手で持つ事(要するにショルダーバック、リックサック状態は禁止)
但し、モン族やリス族の方々の民族衣装は認められていました。
KAZの少し後ろにモン族の団体の方々が居ましたがメイホーソンの奥地から歩いて山を下りバスを乗り継いで二日掛かりで此処まで来たと(驚)
詳しい事は判りませんが彼等の人権を認めてくれた事、タイ人として国籍を貰えた?と云う事でプミポーン国王にはとても感謝していると涙ながらに語っていました。
そして午前7時50分・・・・・
再び移動開始です!!
いよいよ・・・・・
王宮内に入場です!!
しかし・・・・
長い回廊の途中で何度も何度も一旦停止(汗)
最初のうちはみんな立って待っていましたが・・・・その内には座り込んで・・・・(笑)
そして午前9時30分
左の先に見えるのが「デゥシット・マハ・プラサート宮殿」です!!
残念ながら此処からは写真撮影禁止(涙)
画像右手前の小さな門の処で最終チェックを受けた後に靴と靴下を脱いで宮殿内に移動しました。
此方はテレビの画像を撮影したものですが宮殿内に御安置されております「座棺」です。
名前の通り座った状態で御安置される棺で代々の国王崩御の際に使われた棺なのですが・・・・・
御遺体をその座った状態する為にワイヤーで吊るすそのお姿があまりにも痛々しいと云う事でプミポーン国王のご母堂様でありますシーナカリン王女様の頃より此方の座棺は形式だけになり御遺体は別の場所に普通に横になったお姿の棺に御安置されているそうです。
タイでは一般的なのですが御遺体が傷まないように冷蔵庫のようなお棺だと思われます。
以下はやはりテレビの画像を撮影したものですが・・・・
入り口を入る際に弔問に対する返礼に一人一人全員に御品物を渡されます。
日本で言えば香典返しみたいな感じですかね。
一般弔問者は一度に100人程度が宮殿に入場、お坊さんの読経の中、王様へのお別れの時間は3分ほどでしょうか?
その後は全員で退場・・・・
退場する際には再び飲料水や栄養ドリンク等の飲み物が配られました。
因みに退場する際には箱が置いてありタンブンを受け付けるようになっています。
下衆な話しですが・・・大体の方は100THB、中には1000THBを入れている方も居ました(驚)
此方が頂きました御品物です。
一番左はタイの象徴、お米の入った小さな袋。
袋には王様が生前、国民に諭すように常々言われていたお言葉でタイ語で「ポーピアン」と書いてあります。意味は・・・・「足るを知る」でしょうか?
他人が持つ物を何でも欲す・・・自分が持っていない物を欲しがるのではなく今の自分に満足する事により心を豊にして幸福に生きることが出来る・・・・でしょうかね。
タイには豊かな自然がありお米も取れる、魚や果物も豊富である。それ以上何を望むのか・・・・と拝金主義になりがちな最近の風潮を諌めていたのかも知れませんね。
中央の写真は先ほどの「座棺」が御安置されております祭壇の御写真です。
宮殿の中は写真撮影禁止ですので・・・・弔問の記念なのでしょうか?
そして一番右は・・・・
亡き王様の生前の御写真が入っていました。
王宮を出た処で・・・・
記念撮影(笑)
この時の時刻は午前10時・・・・
並び始めてから約6時間でした(汗)
この日、弔問に訪れた人は1万5千人ほど。平日は連日ほぼ同じような人数です。
王様のお葬式(火葬の日)はまだまだ先の話しですので当分の間はこの弔問が続くのでしょう。
と、云う事で弔問の様子でした。
続きます!!