一昨日とりあげたハットーの件、以後Web上ではさまざまな指摘がなされている。日本では彼女のことを知る人がかなり限定されていただろうから、30年近く前の「リパッティのショパンの協奏曲録音は、実はチェルニー=ステファンスカのものだった」事件よりも扱いが小さくなるかもしれない。しかしコトの本質としては、はるかに重大なモノを孕んでいる。

 

 今回、他人の録音を用いつつも「そのテンポだけを若干操作して」ハットーの録音として売られていたものがいくつも指摘されている。このような操作、昔は高価な機材が必要だったが、現代ではその種のソフトさえあれば誰でもPCで出来てしまう時代である。そうしたソフトを使って、私的に自分や他人の録音をいじって楽しんでいる人もいるだろう。しかし、私が知る限り、これまでそうした操作をして他人の録音を「自分のもの」として売った例は無かった(*)。当然のことながら、それは許されるものではないからだが、その禁を破った者がついに登場した、ということだ。

 これをマネる人が続々と現れるとは考えたくない。しかし速度調整された他人のものを「自分のもの」として売られた場合、それがその人のものではないと見破るのが非常に難しいことは事実である。しかもその作業はカンタンだ。それゆえ、もしかしたらこれからは「その演奏がその人のものであること」(他人のものではないこと)を確かめる作業を経ねば、録音を評価することが出来なくなってしまうかもしれないのだ。

 ハットーのことはここ で最初に取り上げた。演奏を聴いての感想としては偽りはないのだけれど、今となってはゴドフスキーの方はグランテの録音のテンポを上げたもの、ラフマニノフもブロンフマンの録音ということなので、ハットーの録音として評価してはならなくなってしまった。前者については大きくテンポを操作していたようなので、グランテとの相関関係に気付くことは非常に困難だったと思われるが、後者については、ブロンフマンの演奏を聴いていただけに、その相関関係に気付かなかった不明を恥じるばかりである。お詫び申し上げたい。

(*)LP初期、他人の演奏に対し「架空の演奏家の名前」が付与されて売られたことがあるが、今回は「自分の」名前であるところが違う。