最高裁の「認知症裁判」の判決が出た
判決理由の分析はいろいろされて、意見もいろいろだが
とりあえずは、老老介護で足も不自由だという奥さんに、賠償責任が負わされなくて、本当によかったと思う
「事情を総合的に判断」したということだが、それこそ裁判所のやることだと思った
100%法律に照らし合わせて杓子定規に判決を出すのであれば、コンピューターができることだもの
ここ数年、この国ではさかんに「自己責任」という言葉が使われている
一見合理的のようだが、場面によってはすごく冷徹な言葉
自分だけは人のゴタゴタに巻き込まれたくない、みたいな自分本位の感じがするのは私だけだろうか
先日患者会のお仲間の集まりで、こんな話が出た
同じマンションに住んでいる小学生の女の子、母親が出て行ったあと父子家庭になった
それ以来、女の子は寂しさからか「おばちゃん、おばちゃん」となついてくるという
父親は夜勤もある仕事で、十分に子供の世話ができないようで、その女の子は、髪も服もなんとなく汚れているように思う
お仲間は「お風呂に入れてあげようか…」と思うが
「中途半端にかかわらないほうがいいよ」
「その子の運命だから・・・」 ということをいう人もいるそうだ
賢い大人の意見なのかもしれないが「なんだかな~」と思ってしまった
その昔は、そういう子がいれば隣近所で面倒を見たように思う
運命だとして、子供はそんな運命から自分を守る、何の力もない
母親から離れて、身の回りも十分にできない、寂しさいっぱいの子を、見て見ぬふりが現代なのか
これも「自己責任」というのだとしたら、なんと冷たい言葉だろうか
この言葉、最初に発した人は、強者そのものなんだろうな、と思う