「自己責任」 という言葉。 | ピア 人工関節と難病と猫と

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人工関節の脚、肝臓の難病、慢性疼痛と闘っています。
時々は保護猫出身の愛猫のことも。
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ブログを綴って、脳の衰えを緩やかに。


最高裁の「認知症裁判」の判決が出た


判決理由の分析はいろいろされて、意見もいろいろだが


とりあえずは、老老介護で足も不自由だという奥さんに、賠償責任が負わされなくて、本当によかったと思う


「事情を総合的に判断」したということだが、それこそ裁判所のやることだと思った

100%法律に照らし合わせて杓子定規に判決を出すのであれば、コンピューターができることだもの


ここ数年、この国ではさかんに「自己責任」という言葉が使われている


一見合理的のようだが、場面によってはすごく冷徹な言葉


自分だけは人のゴタゴタに巻き込まれたくない、みたいな自分本位の感じがするのは私だけだろうか



先日患者会のお仲間の集まりで、こんな話が出た


同じマンションに住んでいる小学生の女の子、母親が出て行ったあと父子家庭になった


それ以来、女の子は寂しさからか「おばちゃん、おばちゃん」となついてくるという


父親は夜勤もある仕事で、十分に子供の世話ができないようで、その女の子は、髪も服もなんとなく汚れているように思う


お仲間は「お風呂に入れてあげようか…」と思うが


「中途半端にかかわらないほうがいいよ」

「その子の運命だから・・・」  ということをいう人もいるそうだ


賢い大人の意見なのかもしれないが「なんだかな~」と思ってしまった


その昔は、そういう子がいれば隣近所で面倒を見たように思う


運命だとして、子供はそんな運命から自分を守る、何の力もない


母親から離れて、身の回りも十分にできない、寂しさいっぱいの子を、見て見ぬふりが現代なのか



これも「自己責任」というのだとしたら、なんと冷たい言葉だろうか


この言葉、最初に発した人は、強者そのものなんだろうな、と思う