土の芸術 ~静岡県三島市・山中城跡~ | 旅するカメラ

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「堀」と「土塁」だけで訪れる人を感動させる城、それが静岡県にある『山中城』。

シャボン玉





豊臣秀吉の小田原攻めの前哨戦として1590年に山中城への総攻撃が実施され、
わずか半日で落城したお城として伝えられている。

「城」と聞くとどうしても「天守閣」や「石垣」や「水堀」をイメージしてしまいがちだが
この山中城は石垣を一切使っていない「土」だけで造られたお城。
西日本とは違い石垣を造る石材が乏しかった東日本のお城ではこのような
堀と土塁中心の土のお城が多いとか。
「石垣も無いの?」と、思ってしまいがちだが、実際に目にすると想像以上に凄かった。

今回は「岱崎出丸」から散策開始。

岱崎出丸


山中城総攻撃の際はまずこの岱崎出丸を攻めている。
最も激しい戦闘が繰り広げられた場所。



その岱崎出丸の外側には一の堀。
堀の中を敵が動き難いように畝を造った山中城の特徴的とも言える堀である。

一の堀

畝堀の中の人と比べてみると堀の深さがよく分かる。


岱崎出丸の先には山中城出丸の最先端を防備する重要な位置にある曲輪である「すり鉢曲輪」。
(真ん中が凹んだ形で、上から狙い撃ちできるようになっている・・・?)

すり鉢曲輪



いったん国道1号線まで戻り、城の西部分へと進む。
まず見えるのが「三の丸堀」。
先ほどの畝堀とは違い鋭い印象。
しかし、よく掘ってある。すごい。

三の丸堀


さらに奥へ。
西の丸を目指す。

この辺りから「畝堀ワールド」が広がる。


西の丸畝堀

このような畝掘りが西の丸をぐるりと囲んでいるのだ。
掘って掘って掘りまくっている。
水掘りと違って人が動くさまがよく分かるので上から狙いやすい。
しかも畝が邪魔をして思うように堀の中を動く事が出来ない。
更に今は遺構を保存する為に草木が植樹してあるけれど
当時はローム層がむき出しになっていて滑りやすかったらしい。
一度堀の中に落ちてしまったらなかなか簡単には抜け出せなかったとか。
まさに「蟻地獄」である。


障子堀

西の丸と角馬出(西櫓・・・か?)に間には有名な『障子堀』。
「畝の上を通れば普通に歩く事が出来るのでは・・・?」と
思ってしまったが、両側を西の丸と角馬出に挟まれており
狙い撃ちされるに違いないか。

それにしても「堀」もここまで進化すれば「芸術的」。
やはり多くの人を魅了するだけの事はある。
思わず見とれてしまった。



この辺で畝掘りワールドに別れを告げて、帯曲輪を抜けて北の丸へ。
途中、崖にしか見えなかった箇所も実は人工的に手を加えて掘っているとか。
「一帯何処まで掘るんだ・・・」そう思わずにはいられなかった。
ここまで掘ってあると感動してしまう。


で、これが北の丸。


北の丸

丁度サッカーのグラウンドのような長方形をしており、
土塁の向こう側は深い堀に囲まれている。
天気が悪かったせいもあるのだろうが、なんとなく寂しい雰囲気が漂っている気がしたのは
ここで起こった戦いの話を知っているからだろうか・・・





本丸北堀

本丸北側の堀。
今は400年の年月で土が堆積してしまっているが
実際はあと2メートルほど深い堀だったとか。
うーん、凄い。

何故か今回、有名な畝掘りでも障子堀でもなく
この本丸の北側の堀が一番気になった。
不思議である。




二の丸

本丸を抜け、橋を渡ると二の丸が広がる。
傾斜しているのが珍しい(気がする)。



と、山中城をぐるりと一周。
土だけで造ったからと言って甘く見てはいけない。
下手な石垣の城よりも守りが堅いのではないだろうか?
後北条氏が西の防衛線として造ったお城はやはり凄かった。
こんな凄い城がわずか半日で落城してしまったと言うのが信じられないくらい。


天気が良ければ富士山も綺麗に見えると言う山中城。

土塁と堀の芸術を思う存分堪能して欲しい土のお城だった。