しョうせつおきヴぁ
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まじょのがっこう

 さて。今日はどんな話をしようか。
 ……あー、あったらしいねー。……ほう、お前らはそっちの方に興味がいってるのか。わたしはむしろ民衆たちの過敏な反応の方が気になったがな。まあいいわ。
 んじゃ、「才能ある魔女」の話でもするかね。

 まず、「魔法を使う才能」なんだが、これは人間世界で言う「才能」とは別物だ。人間が「才能」と認める「才能」とは、むしろ対立、相克する。「弁舌の才能」、「感情に訴えかける才能」、「理知の才能」、「運動の才能」などなど、そういった才能が豊かだと、「魔法の才能」は弱化する。それらの才能に抑制される。
 では、もっとも「魔法の才能」が高いのは、受精卵だ、ということになるが、ただの極論だ。
 出産後に限ろう。人間がもっとも「魔法の才能」が高い可能性があるのは、生まれたばかりの赤ん坊だ、となる。
 しかし、すべての赤ん坊に「魔法の才能」があるわけではない。そこはまあ、「元素の精霊の息吹」などと言っておくか。いろいろ文句はあるが。ここではわたしもそういう立場だからな。
 つまり、「魔法の才能」を抑制する、人間が「才能」と認めるさまざまな「才能」、「人間の才能」と言っておこうか、それをまだ学んでいない赤ん坊時代に、「元素の精霊の息吹」を受けた人間が、もっとも「才能ある魔女」になりうる、ということだ。

 ちなみに、この「息吹」を受け、「魔法の才能」と「人間の才能」をうまく組みあわせることができたなら、そいつは「英雄」と呼ばれるだろうな。
 とはいえ、それらの才能の本質として相克するのは変わらないから、「英雄」たちはそれらをつねに組みあわせて生きなくてはならないだろう。「英雄には英雄の悩みがある」ってな。根の深い悩みだろうの。
 また、その組みあわせが決定的に破綻した場合、彼は「独裁者」となるだろう。
 要するに、「英雄」と呼ばれている者の多くは、魔女の亜種だということだ。

 話がそれたな。
 その東方の魔女、名前はまあ、お前らも知っている通り魔女にとって名前は忌避すべきものなのだが、仮に「リリス」としておこうか。
 おそらく「リリス」も生後まもなく「元素の精霊の息吹」を受けたのだろう。
 しかし、それだけでもだめだ。人間と交わりながら生きていけば、「人間が「才能」と認めるさまざまな「才能」」を獲得していくことになる。彼女の「魔法の才能」は抑制されていく。
 また話がそれちまうが、こういった、「才能のある魔女」が「人間の才能」に潰されてきた事例はよくある。というかそれがわたしの専門分野だ。
 そういった者はどうなるのか。「魔女」にも「英雄」にもなれないまま「英雄のような悲愴な最後」を遂げる、ってのがほとんどだね。

 リリスはね、まあ師匠がな、わたしの知己なんだが。たまたま彼女に拾われたから、あのような才能あふれる魔女になった、というわけだ。
 しかしこの界隈で言われているような、師匠が赤ん坊のリリスの才能を見抜いた、ってのは眉唾だねえ。
 魔女であっても、その赤子が「元素の精霊の息吹」を受けたかどうか判断するのは困難だ。わたしなら、一人の赤子について判定するのに、数ヶ月、まあ少なく見積もって六ヶ月はかかるだろう。
 とはいえ、赤子だって、「人間の才能」をまったく持っていない、というわけではない。それをまったく持ってないのは「受精卵」や「無頭児」だろう。
 とすれば、「魔法の才能」とかすかな「人間の才能」の相克が観察できるかもしれない。
 それさえ観察できれば、六ヶ月などという期間は必要なく、「元素の精霊の息吹」を受けている、と判断してもよかろう。
 リリスの師匠は、たまたま赤子のその瞬間を見かけただけ、というのが本当のところだろうよ。
 また、六ヶ月かけた判断だろうが、相克を見かけた一瞬の判断だろうが、百パーセントではない、とも言っておく。二、三割くらいは判断ミスをする。
 要するに、リリスがああなったのは、さまざまな偶然が重なっただけ、ということだ。
 リリスね。おそらくあたしも敵わないんじゃないか。噂を真に受けるなら。

 では、だ。
 ここに集っている、歪んだ人格の者や反社会的な人格の者、つまりお前たちは、というと、可能性だけで考えれば、「元素の精霊の息吹」も受けておらず、すなわち「魔法の才能」も最初からなく、のほほんと人間の群れの中で「人間の才能」を鍛錬してきた者たちがほとんどだろう。
 となると、「人間の才能」と「魔法の才能」は相克するのだから、まず「人間の才能」を忘却しなければならない。これはわたしはたびたび言っているな、「己が人間であることを忘れろ」と。今お前たちが受けている苦痛に満ち満ちた修行はそういう目的で行われている。
 しかし、「人間の才能」をある程度忘却し、それが希薄になったとしても、お前らが魔法を使えるとは限らない。お前たちが赤子のときに「元素の精霊の息吹」を、かすかでも受けていなかったら、お前たちのやっていることは無駄に終わる。
 これは、ここにきたとき、最初に言われているはずだ。「ここで学んだとしても魔女になれるとは限らない」と。
 修行を受けなければ魔法を使えるかどうかわからない。修行をまっとうしたとしても使えない場合も大いにある。
 そういう話だ。

 ……ま、今日はこのくらいかね。
 リリスなあ。どうもあやしいところがある気がするのよなあ。しかし彼奴とあったら今度こそどちらかが死ぬだろうしなあ(ブツブツ……)。

とあるボランティアサークル員のつぶやき

 物語が、いやただの妄想が、僕の前に開陳されている。
 僕がその子と知りあったのは、ボランティアサークルで訪問した、とある施設だった。
「猿みたいな子がいる」
 と思った。ナインティナインの岡村に少し似ている。
 髪はざんぎり。あとで聞いたら自分で切ってしまうのだと言う。だからまともな髪型になっていない。
 体は小さい。体力測定などで級外になるほど、腕力や握力もない。
 だけど自分より小さい子に暴力をよくふるう。
 その施設でも問題児とされている。
 そういった問題児を、ただのボランティアサークルの大学生に見せつけるのもどうかと思う。いやまあ、こういった仕事はきれいごとだけじゃないんだぞ、などという考えもあるのかもしれないが。
 確かにサークル内でもその子は話題になった。しかしそこはそれ、僕たちは本気じゃない。OBには、NGO団体に就職しアフリカで井戸を掘っている人もいるが、将来そんな仕事をやりたいわけじゃない。そんな仕事と正反対の会社に就職するための箔づけ、一種のきれいごととして、僕たちはボランティアをしている。
 きれいごとでやっていると自覚しているのだから、きれいごとのままでいさせてほしい、というのが本音だった。
 僕がこんな愚痴を言ってしまうのは、そのナインティナインの岡村が、やけに僕になついていたからだ。
 僕自身は「なつく」なんて言葉使いたくない。「子供になつかれる」ことがこんなことだと思いたくない。いや、確かに本当の育児ともなれば、いろいろしちめんどくさい労働が必要となるのだろう。それならいい。僕だって将来子供を持つ日がくるだろう。社会人になって、妻が出産したら、僕は育児休暇を取るつもりでいる。最近はそういった理解のある企業が増えている。
 しかし、そんな企業は、いまだやはりごく一部だ。狭き門だ。そのためのボランティアサークルである。いや結果的にはそれだけじゃなくなったが。僕はここで将来の妻候補と出会った。今の彼女である。
 その子を「ナインティナインの岡村」と言って、多くの友人は同意してくれたのだが、彼女はそうじゃなかった。「そういう髪型してるだけなんじゃない」と。
 彼女がそう反論したくなるのもわかる気がする。ナインティナインの岡村は女の子だ。
 女の子だとして気を遣うなら、こんな風に言えなくもない。
「目はくりっとしている。口も小ぶりでかわいらしい(ここが岡村と似ていない点ではあろう)。鼻はまあ、確かに猿っぽく見える原因なのではあろうが、見方を変えれば、「挑発的」などと表現できたりする形なのだろう。彼女が大人になれば。要するに、素材は悪くない、髪型や眉毛を整えれば、とてもかわいらしい子になる、と君は言いたいんだろ?」
 まあわからなくもない。「女は化ける」なんて話はよく聞く。
 じゃあ君は、岡村を散髪に連れていくのかい? 施設の人は、岡村は散髪を嫌がる、と言ってたじゃないか。だから自分で切るんだと。
 こんなこと言うと「そんな問題じゃない」などと言われるのは当然予想できたので、僕は何も言わなかった。
 別のサークル員は笑いながらこんなことを言ってたけど。
「髪のばしても研ナオコだろ」
 そう言う彼はブラックマヨネーズのぶつぶつの方に似ている。

 岡村はとても嫌な子だった。立場上嫌な顔できない僕は、ぎくしゃくした笑顔で接していた。岡村は僕に自分が作った物語を話してくれた。とてもどうでもいい物語だった。
「人間は虫から進化した。虫たちは人間の目の見えないところに国を作り、小さな虫たちを派遣して、人間を監視している。虫はときどき人間にのりうつって、人間を操作している」
 概要はこういうものだった。
 もちろん本気なわけじゃない。それはわかる。単なる物語だ。童話だ。岡村はそう理解できている。
 しかし子供が作る童話ではない。
 変な知識ばかり覚えているのだろう。「虫は人間の小脳に寄生している」などと。「小脳とか」と僕は思わず笑ってしまう。九歳の女の子が使う言葉じゃない。いやそもそも物語とはそういうものじゃない。じゃあどういうものだ、と言われても答えられないけれど、少なくとも彼女の作る物語は童話じゃない。「小脳」がどういうものか知らずに使ってるだけだろう。そう言えば大人は納得してくれる、と。そう思ってそんな言葉を使っているのだろう。
 それが不愉快だった。
 ときどき岡村は、自分がなついていることを忘れたかのように、なんの前触れもなく、僕のもとを離れていく。
 自分が疲れているのがわかる。
 ぎくしゃくさを見抜かれている気がして、不愉快だった。そんな気がしてしまう自分についても。
 猿に見抜かれてどうする?
 いや違う。見抜かれてなんかいない。猿が人真似をしているから不愉快なのだ。猿が人間の言葉をしゃべっているから。人間という猿にとってそれは、言葉なんてなんの意味もないことを思い出させるようなことである。
 見抜かれているのではなく、ボロが出ているだけ。
 そんな風に考えてしまうのが、不愉快なのだ。
 彼女が問題児なのは、他の児童にとって迷惑な存在だから、というだけではなく、大人の職員たちも、彼女を迷惑な存在だと感じているから、なのではないだろうか。表面上、他の子と等しく接しているように見えても、実際に会話してみるとわかる。普通の大人なら、彼女の言動、いや、なんだろう、醸し出す雰囲気、というあいまいな表現しかできないが、そういうものに対し、なんとも言えない不愉快さを覚えると、僕は思う。実際に僕は不愉快だ。
 大人だからそう言えないだけ。

 彼女とケンカばかりするようになった。彼女は自分勝手なことばかり言う。サークルの中ではわりとボランティアに熱心な方で、そういうところが好きだったのだが、単純に自己満足でやっているだけなのがわかった。
 僕は自己満足なんかじゃない。本気じゃないから自己満足じゃない。
 彼女は本気だった。熱心だった。
 僕は最初から彼女の活動が自己満足だったことを知っていた。
 そう思うと、彼女が何かとても汚らしい存在に思えてきた。僕をだましていた、ということか。そんな風には思わない。僕が勝手に勘違いしていただけだと思う。
 しかし別れられなかった。最終的に別れを持ち出したのは彼女だった。僕は拒否した。してしまった。昔の彼女に戻れるんじゃないかと思っていたからだ。今の嫌な存在になったのも、勝手な僕の思い込みにすぎないから。僕はそう思っているから。
「もう少し待ってくれ」
 居酒屋で言ったこの言葉が、とてもみじめなものだと、自分でもわかっていた。

 それから間もなく、就職活動を始めた。やる気が起きなかった。しかしやった。まるでバイトでする作業のように、就職活動をした。
 なかなか採用してもらえなかったが、なんとか中規模の会社に就職することができた。父親側の育児休暇制度は、あることはあったが、いまだ誰も取ったことがないという会社だった。
 そこそこだ。そこそこなんだ。そこそこでいいんだ。そこそこが人間なんだ。
「そこそこ」
 と岡村が笑っているように思えた。
 そういえば、『ZOO』という歌がある。ブラマヨのぶつぶつ先輩がよく歌っていた。彼はこういうナツメロが好きだ。
 人間が動物に見える、という歌だった。
 今の僕は逆。
 人間が人間に見える。動物に見えない。
 もしかしたら僕は動物に見られているのかもしれない。
 人間たちから。
 岡村みたいな精神障害があれば、こんなこと思わずに済んだだろうか。
 彼女は最初から猿だから。
 余談だが、岡村は今は入院しているらしい。
 猿は檻に閉じ込めておけ。
 会社でやっていけるだろうか、と思う。いやそもそも僕はなんで人間たちの間で生きてこれたのか、どうやって生きてきたのか、と思う。
 つきあっていた彼女も、おそらく就職が決まっているだろう。
 ぶち壊してやりたい。
 素でそう思った。

キルケとメーデイア(魔女っ子キルケちゃん番外編)

 おそろしい魔女が住むとされているこのアイアイエー島にやってきて、男は予想だにしてなかった感覚を味わっていた。解放感とでも呼ぶべきような。
 男は将軍だった。その権力は隆盛を極め、王族にも及んでいた。近い者からは国の実質的な支配者は自分だなどと謳われるほどだった。
 欲しい物は手に入った。美しい女たちも手に入れた。
 充実もしていた。複雑な他国との関係を考慮し、軍事のみならず政治的な戦略も立案し実行した。自分にしかできぬことをやっていた。
 何一つ曇りのない人生だと思っていた。
 しかし、ここへきてからのこの感じは……先ほど解放感などと言ったが、そうとも言いきれない感覚。
 一点の曇りもないことこそが、逆に曇りだったのだ、とでも言いたくなるような。
 魔女の魔法にしてやられたのか。そうであっても別にどうでもよくなっている。これが魔法なら、自分が生きてきた人生そのものだって魔法である。幻想である。
 そう、今まで自分は幻想の中だけでしか生きてこなかった。魔女は幻想の檻から俺を解放してくれたのだ。
 こんな台詞を国の誰かが聞いたら、一人の例外もなく「そう思うのは魔女の魔法のせいだ」などと言ってくるのだろう。自分でもわかっている。自覚している。だが、今自分が感じている感覚に嘘はつけない。
 魔女はとても美しいとは言えなかった。しかし醜くもなかった。美しくても醜くても、その度合いがすぎれば、人の目を引き記憶に残るものだ。国にいた頃の自分が彼女を見かけたとしても、記憶に残らなかっただろう。
 しかし今の俺はこの女に惹かれている。どう表現すればよいのかわからぬ魅力。いや、魅力という言葉自体が間違っている。力ではある。自分の気を惹いているのだから力である。しかし魅力とは言えない。しいて言うならば、自分をそうであるべきところに導く力、とでも言おうか。熟れた果実が地面に落ちるがごとき力。運命的な、運命そのものが持っているような、力。
「なあにさぼってるだ!」
 元将軍の大男を一喝したのは、小柄な農婦だった。浅黒く焼けた肌に一瞬惑わされるが、見ればすぐ年若い少女であることがわかる。
 男は白く大きな歯を見せて笑う。
「さぼってなんかないぞ」
 農婦が畦をかけ下り、男の傍にやってくる。
「嘘つけ。見てたんだぞ。さっきからぼーっとしてたでねえか」
「うむ。一仕事終わったからな」
「へ?」
「言われた畑は全部耕したぞ」
「うっそまじで?」
「嘘だと思うなら確かめればいい」
 男に言われるまでもなく周囲を見回す農婦。
「……たんまげた。人間トラクター」
「なんだそりゃ」
「あたしだったら三日はかかるべこれ」
 上腕を農婦の前につきだして男は言う。
「力が違う」
 差し出された上腕をぺたぺた触る農婦。
「ほーほー」
 つと農婦は男の腕にぶら下がる。
「やっぱ違うな」
 農婦が笑う。
「んじゃ今日は早めに飯にすっぺ」
「おう」
 男はまた白い歯を見せる。
 魔女キルケを腕にぶら下げながら、将軍だった男は家路に着いた。

 男は酒豪だった。なかなか酔わない性質だった。
 魔女の住む朽ちかけた城には、そんな彼を毎日酔わせても尽きぬほどの酒があった。
 では魔女も酒飲みなのかと言うと、そうでもなかった。ごく普通の人間が酔う程度で酔った。最初に彼と飲んだ時は潰れた。あっさり魔女退治を完遂した将軍は呆気に取られた。
 あの時、彼女を捕らえ、国に帰っていたなら、と男は考える。なぜかうんざりしてしまう。これでよかったと、平素の感覚で思ってしまう。
 国には妻子がいる。心配もしている。しかし帰ろうという気が起きない。国や妻子のことを考えると、めったにならない二日酔いのごとき感覚が彼を襲う。
 国の生活はとても甘美なものだった。今でもそう思う。しかしやはり帰ろうという気が……起きないでもないのだが、やがて霧散してしまう。
 宙ぶらりん。
 むしろ自分が魔女にぶら下がっているのではないか。
 悪くない考えだった。
 こんな悪臭に満ちた豚小屋の方が、俺は居心地よく思えている。
 日が暮れてきたため、表に出していた豚たちを小屋に戻し、一服していたのだった。
 豚と変わらない。何が違うと言うんだ。毎日野良仕事をし、飯を食い、夜は魔女と体を求め合う。獣の生活。獣の交尾。
 それの何がいけないのだ、と思う。
 男の目が、ある一頭の豚に向く。
 畸形の豚だった。
 四本の足はそれぞれ太く、蹄が肉にめり込んでいるようだった。他の豚のように満足に走れない。外にも出れず、一日中小屋の中にいる。頭は一回り小さい。鳴き声も妙だ。喉の奥で引っかかっているような。
 それは牝豚だった。出産したばかりなのか、仔豚たちが乳を吸おうとしているが、他の牝豚と比べて乳房の数が少ない。取り合いをしている。仔豚たちはまともな姿をしていた。
 こんな豚でも子を産み、生きている。
 男は、昔国で起こったある事件を思い出していた。

 帰国行軍の途中、その知らせは届いた。
 自分が王族に対し謀反を企てているとの噂が立っている、と。
 俺にそんなつもりはさらさらなかった。わが王族は神の祝福を受けているのだ。この忠誠に迷いはない。
 帰国してすぐさま噂を沈め、結果として誤解は解けたが、このことはのちに老王の退位を早める一因となった。
 問題となったのは、噂を流した犯人についてである。
 それは俺の無二の親友だった。たまたま俺の方が先に出世したが、軍人としての能力は俺に引けを取らぬ優れた武人だった。
 だからこそ彼に俺の不在を任せたのだった。それがこのようなことになるとは。
 しかし俺は、どうしても彼が犯人だと思えなかった。いや、確かに噂の発生源は彼なのかもしれなかいが、俺に悪意を持ってそうしたとは思えなかった。
 一方で、証拠は揃っていた。彼を処刑しなければむしろ俺の立場が危うくなる。
 ある夜俺は、牢獄に忍び込み、彼と二人きりで話した。
 彼の言葉、態度、声色、表情、どれを取っても俺に悪意があるとは思えなかった。俺は確信した。彼は俺を陥れようとしたのではない、と。
 この確信は、逆に彼を処刑する決断を促した。
 彼は俺の立場もわかっていた。
 俺は、彼を信頼する自分を、彼になすりつけ、彼の処刑に同意した。
 俺が俺だと思う人間は、そこにはいなかった。

 ……なぜこんなことを話しているのだろう。酒のせいか。まだそんなに飲んではいないが、酒精が強いのか。
 農婦が酒を持ってきたのだった。
 豚小屋での酒盛り。こんな悪臭立ち込める場所で酒など、と一瞬思ったが、こんな場所だからこそか、と思い直した。酒は気取って飲むものではない。野営で飲む酒はどんな安い酒でも美味く感じるものだ。
 しかしその酒は一口で高級なものだとわかった。
 果実酒か。少し甘すぎな気もするが、それでいてさっぱりしている。飲みやすい。苦味や独特な香りを楽しむことが多い男にとっては物足りないくらいだった。
 その物足りなさを豚の悪臭が補っている、というのは考えすぎか。男は苦笑する。
 魔女は男の昔語りを黙って聞いていた。話を聞いてないようでもあった。男はそれでもよかった。
 さっきまでやかましく鳴いていた畸形の豚が大人しくなっている。他の豚たちより細い腹が上下している。まだ生きている。
 魔女がその視線に気づく。
「あれ、気になるか?」
 何かを見透かされたような気がして、男は一瞬動揺する。
「いや」
「優しいねえ」
 魔女の口調に小馬鹿にする態度を男は感じる。しかし何も言えない。馬鹿馬鹿しい、と彼も思っていたからだ。
 こんな馬鹿馬鹿しい話、してなんになるというのだ。
 酒をあおる。甘ったるい。飲みやすい。
「こんなのは酒じゃない」
 男はつい声に出してしまう。
「お気に召さなかったかい? んじゃ」
 魔女は酒を口に含むと、口移しで男に飲ませる。唾液の方に酔ってしまいそうだ。酔ってしまいたいのか。
 魔女の舌が唇から離れ、鼻の頭を舐める。臭い。唾液の臭い。
 男はなされるがままだった。
 舌は男の耳元を這い、首筋を通り過ぎ、肩の辺りで止まる。
 魔女は顔を男の腋下に押しつける。
「汗臭い」
 男は魔女の頭を撫でながら答える。
「今日はこき使われたからな」
「家畜だな」
 胸の筋肉が魔女の笑みを感知する。
 男は何も言わず肴の干し肉をかじる。癖のある味だ。しょっぱい。それに加え魔女の唾液の臭い、豚の悪臭。この甘いだけの酒に合っていると言えば合っている。足りないものはない。
 そう、欠けているものがないのだ。この島の生活には。
 決して満ち足りてはいない。しかし欠けているものがない。この島自体が、人の世から欠けている場所だからか。
 急に甘味が恋しくなる。酒を飲む。口の中が甘ったるくなる。甘味が体中に広がる。そうすると、ああ、そうだ、これだ、欠けているもの。欠けていることを、欠けていた自分を、思い出してしまう。
「この酒、強いのか?」
 男は確認する。
「あ? そうでもねえべ」
 魔女は相変わらず犬のように男の体臭を嗅ぎ回っている。
「やはり甘味か」
「何が?」
「いや」
 魔女がつと顔を離し、男の顔を見上げる。
「もう酔ったか?」
 何かを期待するような笑顔。
「いや、そうでもない」
 事実だった。酒精による酔いではない。
「ちぇ」
 魔女は舌打ちすると、ふらりと立ち上がる。足元が覚束ない。まず足にくる性質らしい。
 畸形の豚を囲っている柵にもたれかかる。「つつつ」と豚をあやす。豚が怯えたような鳴き声を上げる。
 ……怯えたような?
 男の鼓動が早くなる。
 あの豚。そうだ、あの豚は、ずっと俺の方を見てなかったか? その鳴き声は、何かを伝えようとしてはいなかったか?
 目を上げられない。豚の方に向けられない。横目で逆の方向を見る。豚がいる。まともな姿の豚たち。
 しかしあの畸形の豚は。
「あはは、泣いてるべこの子」
 魔女の楽しそうな声。
 畸形の豚の悲しげな声。悲しげ。そうだとわかる。感情が読み取れる。
 男は片手で口と鼻を覆う。豚の悪臭が急に悪臭だと思えたからだ。しかし鼻についた唾液の臭いが残っている。何かを観念したような気になる。
 男はゆっくりと顔を上げる。
 畸形の豚を見る。いや豚じゃない。豚じゃないことはわかっていた。だから畸形だと思ったのだ。
 それは人間だった。牝の、いや女性の人間。
 魔女の含み笑いが頭の奥で響く。
「こっちさきてよく見てみれ」
 見るまでもない。記憶にちゃんと残っている。太く短い四本の足。太くなどない。あれは人間の手足だ。そうだった。そしてそれらは切断されていた。
 四肢を切断された人間。
 肉に埋もれた蹄のようなものは、おそらく骨だ。
 畸形の豚が鳴く。
 そう、この鳴き声だってそうだ。俺の親友はどんな処刑をされたか。彼は舌を抜かれたのだった。嘘の噂を流布した罰として。
 あの時の声。
 舌を抜かれた人間の声。
 忘れるはずがない。
 なのになぜ気づかなかったのか。
 当然だ。声自体が違う。そんなこと言い訳になるのか。いや、俺は誰に言い訳しているのか。
 女性が助けを求めている。わかっている。人間舌を抜かれても、最低限の意志の疎通はできる。俺は実際に経験している。
 あの時の彼はどんな顔をしていたか。思い出したくもない。思い出せない。目や鼻や口の形は覚えているが、それらが統一した顔として浮かばない。
 違う!
 この目は違う。この目は豚の目だ。いや、あの女性の……誰だ? 鼻はこれは、女性の……そう、魔女キルケの、唾液の、違う違う、ではこの口は、口? いや、これは、中には何もない、穴、ただの穴……、
 気がつくと男は、畸形の豚を取り囲む柵に手をかけていた。男の視線は豚の顔に釘づけになっている。
 顔の各部位が少しずつ統合されていく。
 泥に汚れ、痩せてはいるが、もとは、いや今でも充分美しいと言える顔立ちだった。
「なんだ、やっぱ酔っ払ってたんじゃん」
 魔女の声が首筋を撫でる。
「紹介すっぺ。姪っ子のメーデイアだ」
 男の頭に言葉の意味は入ってこない。そんなことより、目の前にある、目、鼻、口、耳、首、肩、上腕、腕の切断面、乳房、腹、へそ、陰部、臀部、大腿、足の切断面、それら各部位を一つにまとめあげることで精一杯だった。白い粘土で作る塑像。先に全体像があり、それを目指して形を作るのか、各部位が勝手に組み合わさり、全体像を作っていくのか。
 キルケの腕が男の腰に伸びる。下腹部を撫でる。
「めんこいだろ? 絶世の美女だってもっぱらの話だ」
 顔が顔として頭に入ってくる。確かに整っている。端整な顔が自分を見つめている。泣いている。助けを求めている。
「まぁたそんないやらしい目して」
 キルケが柵を蹴る。メーデイアは悲鳴を上げ、顔をそむける。
 男の頭の中で、美女の顔がまた部分部分に分散する。
 そうなるとただの豚だ。畸形の豚。豚小屋にいるから豚。豚小屋にいる俺も豚。
 男の顔から表情が抜けていくのを察知してか、キルケは説明を始める。
「いやな、魔女になりたいつってこんだらとこまでやってきてな。確かに知識はあるんだ。よっぽど勉強したんだろうよ。んだ、頭はいいんだべ。んでも、なんつーか魔女の心構えっつか、そういうのが全然なってなくてな」
 呆れたようにキルケは言う。
「この子、べらぼうに人間なんだ」
 男は頭の中で人間という言葉の意味を探す。
 キルケが続ける。
「魔女は人間であっちゃなんね。魔女は動物なんだ。んでも人間も動物だろ? なんでこんな簡単なことが、って話だべ。いっくら言っても言ってもわかんねえんだわ、この子。んなもんでな、ちょっくらスパルタしてみっか、って」
 そうか、そうだ、人間とは動物だ。
「んでもなかなかしぶとくてなあ。ほんっと根っからの人間なんだろうな。この子。そんだらわざわざ魔女になんかならなくても、なあ?」
 畸形の豚の、悲しげな鳴き声。
 キルケが男の髪をつかみ、顔を引き寄せる。魔女の舌が男の頬を這う。目尻に上っていく。
 この時、男はやっと自分が泣いていることに気づいた。
 ……それを手に入れれば、一生何かが欠けたままになる。それを手放せば、満ち足りることはないが、欠けることもなく生きていける。豚として。
「うぉい」
 キルケが男の頬を叩く。
「でくの坊ってなこのことだな」
 男から離れ、ふらふらと酒の方へと歩くキルケ。酒瓶を持ち上げ振り返る。
「これ、まだ飲むか?」
 そう聞かれただけで男は胸焼けを覚える。
「いや……」
「ふん、そうだろうな。こりゃうちにある中でも最高級の酒でな。人の手にはほとんど流れない。うちの家族しか飲めないんだ。それほど美味いもんでもなかったろ? 高級なんてなそんなもんだ。ただな、まずくはないが決して美味くもないこの酒を、人はやけに欲しがるんだな。うちの家族はこの酒のこと、こう呼んでるんだ」
 酒瓶が逆さにされ、中身が地面にこぼれていく。
「『人間という酒』ってな」
 無色透明な液体が、地面に吸い込まれていく。
 男はやり場のない衝動にかられる。どうしたい衝動かもわからない。わからないまま魔女に歩み寄り、腕をつかみ、引き寄せる。浅黒く焼けた首筋に吸いつく。埃っぽい。自分の唾液が吸い込まれていくようだった。さっきの酒みたいに。
 魔女は、大男をあやすように背中を撫で、こう囁いた。
「今夜はお前が上でいいぞ」

 メーデイアの魔女修行は、それからも続いた。何度も牡豚に犯され何度も仔豚を出産した。キルケが彼女の子宮になんらかの処置を加えていたのだった。
 元将軍の男は、それまでの他の男と同じ運命を辿った。キルケに飽きられてしまい、魔法で動物に変えられた。男は豚になった。元将軍の大柄な豚は、畸形の豚と率先して交尾した。
 メーデイアの顔から人間らしい表情が消えて、やっとキルケは修行の終わりを彼女に告げた。
 冷凍保存されていた手足や舌を、魔法で再び接合し、メーデイアは国に送り返された。
 修行の成果は明らかだった。メーデイアの魔法は、以前と比べて桁違いの効果を発揮した。
 彼女はキルケと違い、人間の社会で生活することを決めた。そのせいもあってか、彼女の魔女としての名声はたちまちキルケを追い越し、世に知られるものとなった。
 しかしメーデイアは、当然と言えばそうなのだが、キルケに感謝することは一度もなかった。一生彼女をおそれ、激しく憎悪し続けた。
 一方のキルケは、相変わらず孤島での一人暮らしを続けていた。彼女はメーデイアが、愛憎に翻弄されて生きていくことを、すでに予測していた。自分が彼女に修行させなかったら、そうならなかった可能性が高いことも、充分わかっていた。
 しかし孤島に住む彼女にはなんの関係もないことだった。

 時代が変わり、人は簡単に『人間という酒』を手に入れられるようになったが、キルケの父、太陽神ヘーリオスが大量に貯蔵していたので、それが世に流れ出たのだろう。
 その酒は、父が娘に与えたものだった。一種の治療薬のようなものとして。
 人の世では、穢れを浄化する儀式に用いられることもあった。

(終わり)

あとがき。
いらいらして書いた。反省はしてない。
本編の方、後編も書くつもりではいます。いつかは。
つかそんな期待するようなもんでもねえよ。
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