ペペロンチーノのひとりごつ -2ページ目

ビバノンノン

記録を残しておくと後々便利だってことに気付きましてね。
そういうわけでどうでもいい話を書くんですが、冬至直前に風呂が壊れまして。
なんだか珍しく柚子をいただいたりしたんですけれども、湯船に浮かべることも出来ず、ポン酢代わりに鍋で美味しくいただきました。
湯船にお湯を溜めるリモコンが壊れているらしいんですよ。ウンともスンとも言わない。いや、ヌーっていう不気味な動作音は小さく流れてる。ウンともスンとも言わないけどヌーっていう。
だいたいこんな時に限って、柚子ばかりか入浴剤もよくもらうんだ。入浴剤は食えねーしな。

幸いシャワーは何事もなく使えるので日常的に不便はないのです。もう10日も風呂に入ってないよ臭い臭いってこともないし、お爺ちゃんお口くさ~い、ありゃりゃポリデントポリデントってこともない。
ですが、寒い冬だから温かい湯船にゆっくり浸かりたいというのが人情じゃないですか。寒い夜だから明日を待ちわびるのがTRFじゃないですか。ん?globeだったか?

なので、夫婦で都内温泉巡りをしているのです。

荻窪「なごみの湯」https://www.nagomino-yu.com/
以前から何度も行ってる温泉。休憩所が広い。仮眠できるリクライニングシートが他の都内温泉より圧倒的に多い。ただし入浴料が圧倒的に高い。スーパー銭湯並み。
近所にいい焼き鳥屋があるんだ。

巣鴨「染井温泉 Sakura」http://www.sakura-2005.com/
染井って土地はソメイヨシノ発祥の地だそうだ。だから温泉名もサクラだし、ここを走る路面電車は「さくらトラム」を名乗っている。お前、都電荒川線だろ!
この温泉は2度ほど行ったかな。
風呂上がりに谷根千まで足を伸ばして、和菓子で日本酒が呑める珍しい店に行ったな。2度目は巣鴨地蔵をお参りしながら庚申塚まで商店街を進んで鰻で呑んだな。美味しい鰻だった。

板橋「前野原温泉 さやの湯処」https://www.sayanoyudokoro.co.jp/
たしか風呂上がりに赤羽を散策して鰻で呑んだな。

仙川「湯けむりの里」https://www.yukemurinosato.com/sengawa/
駅からちょっと歩くんだよ。でも駅前に珍しい日本酒が多い美味しい蕎麦居酒屋があるんだ。

高井戸「美しの湯」http://utsukushi-yu.com/) 
ここは環八沿いで近くにいい飲み屋は皆無。素直に吉祥寺まで戻るパターン。そういやここの風呂で不破万作を見たよ。

そんなわけで、楽しく都内温泉巡り(飲み屋巡り)をしているんですけどね、冬至前に壊れた風呂の修理がまだ来ないんだ。
肌、スベスベになっちゃうよ。アービバビバ
 

クリスマスが今年もやってくると竹内まりやが今年も歌っている

ケンタッキーでランチした。
店内BGMで竹内まりやの歌が流れている。
「すてきなホリデイ」という曲だそうだ。
 

「クリスマスが今年もやって来る」
もう何年目になるのだろう?
「悲しかった出来事を 消し去るように」
今年は特に感慨深い。
早いもので、もう12月だ。

食べ物には「旬」があると思う。
しかし、チキンの旬というのはクリスマスなのだろうか?
私は、クリスマスにケンタッキーに並ぶ人の気が知れない。
12月24日のクリスマス・イヴだろうが、31日の大晦日だろうが、4月8日の花まつりだろうが、フライドチキンの味は変わらないと思うのだが?

世界中の七面鳥やら鶏やらがクリスマス・シーズンに向けて大量に屠殺されるので、養鶏場の鶏たちにとっては「別れの季節」かもしれない。
日本の3月の卒業式シーズンみたいに。
屠殺のシーズン。
 

追悼・筒美京平

2020年10月7日に筒美京平が亡くなった。
私は80年代アイドルをリアルタイムで駆け抜けた世代で、当然の如く私もその渦中の真っ只中にいたのだが、変わり者だったので、アイドルそのものよりも「誰が作詞で誰が作曲で誰が編曲だ」みたいなことが好きだった。中学、高校と成長するほどその傾向が強くなり、終いには「ギターが誰でドラムが誰で」みたいなことまで興味を持っていた。
そんな当時、「作曲:筒美京平」という表記をどれだけ目にしたことか。

その偉大なヒットメーカー筒美京平の訃報が報道された際、私は「カラオケで3時間くらい筒美京平の曲を歌うか筒美京平について3時間くらい語りたい」とツイートしたものですが、このご時世、なかなかカラオケも行きにくいし、俺の無駄な熱弁を聞いてくれる者もいない。

代わりにブログに書こうかとも思った。
実際、2006年に小泉今日子考と称してアイドル歌謡と筒美京平について語ったが、今やもうそんな気力がない。
この時は、2003年に書いたCROSSOVER JAPANの雑感とそこから派生して書いた独断と偏見といい加減な記憶によるジャパニーズ・ミュージックシーンの系譜の一局面に関する考察の続編だった。
この当時より知見も増えたので、もっといい考察が書けそうなんだけどね。

例えば、アイドルポップスの始まりは南沙織「17才」(1971年、作詞:有馬三恵子、作曲:筒美京平)なのです。
厳密には違うだろうし異論もあるだろうけど、日本のアイドルポップスの“幕開け”を“象徴”する曲は、1971年6月1日発売の南沙織デビュー曲「17才」であると断言してもいい。
その後、80年代を中心に日本アイドル界は一世を風靡するも、やがて廃れていく。その後、現在のアイドル戦国時代に至るアイドル再興は、モーニング娘。まで待たねばなりません。
その廃れていった要因を、私は「おニャン子クラブ」と「森高千里」だと思っています。
前者はアイドルを「どこにでもいる隣の女の子」に矮小化してしまったため。後者は「アイドルのビジュアルのアーティスト」という、その垣根を壊してしまったため。実際、その後登場して一斉を風靡した安室奈美恵や浜崎あゆみなどはアイドルとアーティストの中間的な存在だったのです。
そんなアイドルを“壊す”存在となった森高千里が「17才」をカヴァーしたことは御存知の通りです。つまり日本アイドルポップスの歴史は、「17才」から始まり「17才」で一度終焉を迎えたのです。森高版の発売は1989年5月25日。あと1週間で南沙織デビューから“18才”になる瞬間です。

そんなムダ知識を延々書く気力も体力もなく、でも悶々としているのもナンなので、諦めて夫婦でカラオケに行ったよ。
筒美京平縛り2時間31曲。
カラ鉄は歌った曲を出してくれるんだよ。画像添付するけど、テキストにも起こすね。ただの自己満。

この夫婦カラオケ大会、芯を外した選曲で我ながら気に入っているんだが、反省点もいくつかある。
まず2時間じゃ足りない。原則1歌手1曲だったが、歌えなかった歌手がまだ大勢いる。あと1時間は必要。1歌手1曲縛りを除外したら倍の6時間以上は歌える。
1歌手1曲と言いながらマッチといしだあゆみは2曲歌ってしまった。夫婦別ではあったけど。
あと、俺がトイレに行ってる間にヨメが筒美京平縛りの禁を破ってこっそり東京事変を歌っていた。



情熱☆熱風?せれなーで/近藤真彦
迷宮のアンドローラ/小泉今日子
九月の雨/太田裕美
東京ららばい/中原理恵
「C」/中山美穂
殺意のバカンス/本田美奈子
デュエット/岩崎宏美
たそがれマイラブ/大橋純子
情熱/斉藤由貴
ひとりの悲しみ/ズーニーヴー
テレビの国からキラキラ/松本伊代
エスカレーション/河合奈保子
リップスティック/桜田淳子
ト・レ・モ・ロ/柏原芳恵
ヨコハ・マチーク/近藤真彦
原宿キッス/田原俊彦
日曜日はストレンジャー/石野真子
雨がやんだら/朝丘雪路
赤い風船/浅田美代子
誘われてフラメンコ/郷ひろみ
色づく街/南沙織
人魚/NOKKO
グッドラック/野口五郎
あなたを・もっと・知りたくて/薬師丸ひろ子
肩幅の未来/長山洋子
渚のライオン/早見優
夏の二週間/谷村新司
魅せられて/ジュディ・オング
恋のルール・新しいルール/ピチカート・ファイヴ
ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ
太陽は泣いている/いしだあゆみ