考え方について | 人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

内容は、人生哲学、自己啓発、深層心理、などです。わかりやすい、深い文章を心がけております。

心の病(うつ病、強迫神経症)により、人間関係や不安や焦りなどで悩み苦しみました。

読者様の生きるヒントになれば幸いです。

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る


よく考えがコロコロ変わる人がいる


悪く言えば優柔不断


良く言えば融通が利く


個人的には、考えはコロコロ変わっていいと思う


考えをコロコロ変えるのは容易なことではなく、思考しなければならない


普通は型にはまった考えに納まりたいところだ


それだけ、いろんな考え方ができる有能な人だと思う


やはり、状況や心情に合わせて柔軟に考えを変えていくのが、器用な生き方だろう


激動の時代だ


時代に合わせて、考えも激動させなければ、ついていけないのかもしれないね


考えているうちに対応が遅れてしまうということも、こんな世の中じゃあるかもしれない




しかし、優柔不断と思われてしまいがちだ


なぜか?


それは、考えだけでなく、発言までもがコロコロ変わるからだと思う


発言となると相手があるため、考えではなく、コミュニケーションになってしまう


コロコロ発言が変わる人は、相手に対する配慮が足りないのかもしれない


また、あまり考えていなく、ただ思いつきで発言や行動する傾向にある人もいると思う


しかし、やはり言いたいことを言いたいのが人間の性ってやつだと思う


じゃあ、どうすればいいか?


どうしてその考えに至ったかの経緯をしっかり説明して、理解してもらおうとすることだと思う


優柔不断と思われがちな人は、言いたいことだけいって満足してしまっているような気がする


相手に理解してもらおうとしていない、そこにコミュニケーションが成立しなくなる


やはりリアルの世界では、ツイッターのようにつぶやくだけでは、うまくいかないと思う




また、なんでも筋を通そうとし、考えを変える事に罪悪感を持っている人もいると思う


一般的に頑固と呼ばれる人や、道徳やモラルや正義を重んずる人など


もちろん、信念までも変えては自分自身がわからなくなってしまう恐れがある


しかし、信念は「考え」と言うよりは、「生き方」だと思う


例えるなら、「信念は憲法、考えは法律」と表現できると思う


憲法はよっぽどのことが無い限り変わらない


しかし、法律は国の状況などに合わせて適切なものに変えられる


信念もそう簡単に変わることはないと思う


信念が変わるときは、アイデンティティーの危機だろう


しかし考えは、そのときの状況や心情にあわせて都合のいいように変えるのが好ましいと思う


例えば、自分を勇気づけるときは「三度目の正直」、自分を戒めるときは「二度あることは三度ある」などなど


信念という土台がしっかりしていれば、どんなに考えが変わっても、自分を見失うことはないと思う


自由自在に考えを変えていいと思う



なんでもかんでも筋を通そうとすると、自分の本当の感情が抑圧され、生きている心地がしなくなるかもしれない


でも、発言するとなると相手があるため、ある程度、筋を通す必要がある


しかし、せめて自分の中だけでは、正直な考えや感情で生きていいのではないだろうか?



最後まで読んでいただきありがとうございます^^