「ひま」を」売っていた。
と言っても、ミヒャエル・エンデが著した「モモ」のお話ではない。
「ひま」を売っていたのは、ボクとサルに似たNか村クンと、不思議少女K島さんだ。
それは・・・。
いつの話かというと。高校時代。
漫画研究同好会で作った冊子「ひま」を文化祭で売っていたというお話だ。
ところで、こんなな冊子を100えんも払って買う人が本当にいるのだろうかと。
最初は売る方のボクらが思っていたけど、結果は、実に売れた。
まさに「ひま」は飛ぶように売れた。
2日間ある文化祭の初日の午前中で、それは売り切れた。
仕方なく、ボクらは高校の職員室横の印刷室で「ひま」を増刷した。
忙しかった。「ひま」を作るのに、忙しい。
世の中は、本当にややこしかった。
先日ブログに書いた、演劇部の部長さんも、「ひま」に漫画を描いてくれた。
「桜の樹の下」。
ご存知の方も多かろう。原作は梶井基次郎氏のお話だ。
「桜の樹の下には、屍体が埋まっている。これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので・・・」。というお話。
このお話を基に描かれたその漫画は。
桜の木の下を皆で掘って屍体を掘り出すと、それは校長先生だったというお話だ。
これが、後々波紋を呼んだ。
それは、職員室横の印刷室で「ひま」を刷っていた時の話だ。
とあるお年を召された先生が、この「桜の樹の下」の漫画を見てしまったのだ。
先生「う~む。この屍体の絵は、校長先生に似ている・・・。」
ボク「マズイな。」
サル「とってもマズイことになった。」その刹那。漫研部長のボクは、その後起こり得る数々の責任問題と、それに係る厳しい追及について心を痛めた。
どうしよう。もごもごしている我ら、漫研3人組を置いてきぼりにして、そのお年を召された先生は、なんと「ひま」を持って、職員室に消えてしまったのだ。
数分後。
職員室から。
大きな笑い声が聞こえた。
「よかった・・・。」
少なくとも、校長ご本人以外は、立腹していない。ただし、問題はこれが校長の目に触れた時のことである。もしかしたら、ボクら3人組は高校を、くびになってしまうのかもしれない。
さてさて、その後。「ひま」は、校長の目にも触れてしまう。そしてその結果だけど。
ボクら漫研顧問のY村先生が、しばらくの間元気がなくなって、悲しそうな目つきになってしまったこと以外。ボクらは何も知らされずに終わった。
なにはともあれ。これでいいのだと、3人はほっと安堵のため息をついた。