わかってること。今やろうとしていることに対して、他人から指摘を受けて、すごくムッとしちゃった。という経験、多くの人が持っていると思う。
顕著な例が子どもたちだ。
「勉強しなさい」って言うと、大概の子供たちはムッとした表情になる。
付近に子どもがいたら試しに言ってみるといい。おもしろいことに大概はふくれる。
うるさいなぁという顔をする。
なぜか。
それは、子どもの心の中に、絶えず「勉強しないといけないんだよね。」という気持ちが存在するからだと思われる。言っとくけど、やってるかやっていないかは別だよ。ただ常に。
子どもたち(特に中学生ともなると)は、「勉強しないといけないんだよね。」とは少なからず感じている。だから、どんな状態の時でも、「勉強しなさい」って言われると、ムッとするのだ。「わかってるよ。そんなこと。」・・・。
大人だってそうだ。
「もうそれ以上、飲まない方がいいんじゃない?」
「そんなに食べ過ぎると、体に毒よ。」
「あなたちょっとは、体を動かしたらどうなの?」
その全てが、わかっていることなのだ。常日頃からわかっていることを指摘されるから、「わかってるよもうっ。うるさいなぁっ!!」ってなっちゃうのだ。
人の心は難しいね。
ボクは日頃からたくさんの人たちと接する仕事をしている。
そんな中で心がけているのは、相手の気持ちをしっかり聞こうということだ。
しっかり聞くと、相手がどんなことにつまづいているのか、悩んでいるのか、喜びを感じているのかがわかってくる。
それって、コミュニケーションをスムースに交わす基本なのかもしれない。
よく言われる。口は一つしかないけど、耳は二つある・・・。
「だからしっかり聴け。」
実にわかりやすい例えだ。
小学生の頃、聖徳太子は同時に10人の話を聞いて理解できたという話を勉強した。すげー人だ。そんなことしたらボクなら頭がコンガラガッチャウ。子どもの時はそう理解していたけど、その話。そういう意味ではないのかもしれない。
つまり、聖徳太子のスゴ技は、一度に10人の申し出や苦情や悩みや具申を聞いてやり、10人の気持ちを尊重した上で、その解決を図ることが出きたということだったのではないだろうか。
つまり。彼の能力は、人の話をしっかり聞くということだったのだ。
大人になって、そう思うようになった。だって、そうした能力の方が社会でよっぽど役にたつと思うから。
「今やろうとおもってたのに。」せっかく注意してあげたのに、そう思われて、怒りをかうのでは意味がない。
だからボクらは、「人の話をしっかり聴く」態度を大切にしないとイケナイのだ・・・。
って。あれ???今日は最後まで真面目に書いてしまった。ごめんなさい。