ちっちゃな頃。
ボクの家の小さな庭に、ちっちゃなちっちゃな池があった。
いや池などと言ったら申し訳ない。
せいぜい水溜り。水溜りをやや深くしたものと考えていただけるとわかりやすい。
井戸の水を汲み上げ、その水を年がら年中流し続けるという、高級旅館高級温泉のようなしくみのその水溜りに、ボクは金魚をたくさん育てていた。
ボクには夢があった。
I have a dream.
それは、金魚やオタマジャクシやタナゴが、互いを差別することなく、同じ池の中で、仲良く暮らすこと。
そして、オタマジャクシが、その肌の色でなく、その人格に於いて正しく、金魚から評価される日がやってくること。
I have a dream.それがボクのもつ夢だった。
ボクは、近所の田んぼの用水路からせっせせっせとオタマジャクシを捕まえては、池の中に放流した。また、ぬか瓶を使って、駿府公園のお堀に行ってはタナゴをうじゃっぱ捕まえてきては、それも池に放流した。ちっちゃな池は、もう金魚。オタマ。タナゴで一杯になった。
「う~む。飽和状態とは、こういうことを言うのだな」。
呑気にそう考えながらも、ボクはまた田んぼの用水路でザリガニを捕まえ、それもまた池に解き放った。そうこうするうちに、我が家の池は人口密度で言えばきっと、東京シティを上回る、そんなメガシティへと変貌した。
朝起きて、小学校に通う前、池の住民たちにボクは欠かさず餌をあげた。
食パンをちぎっては投げ、ちぎっては投げという感じだった。
池の住民が、本当に大好きだった。
えっ?その池はどうなったかって?
池は、閉鎖された。父親が、あろうことか、家を増築すると言い出し、池を埋めてその上に家を建ててしまったのだ。
だからボクの夢は、実現したかしなかったかわからないままに消滅してしまった。
でもきっと日本のどこかで、金魚とオタマとタナゴは互いを尊重しあって生活しているに違いない。
キング牧師さんも、天国で見守ってくれている。
ボクはそう信じている。