ボクがちっちゃい頃。

もやしっ子という言葉があった。

外で遊ばないで、家の中でゴロゴロしているうちに、お日様からの光を吸収しないで細々となってしまった子どものことを指した言葉である。

もやしっこは、稀有な存在だった。

だって、ボクらの子どもの頃は、外で遊ぶ以外の遊びはなかったから。

家にいたら、何か言われる。あれを手伝え、これを手伝えと親から集中砲火を浴びる。

それなら外で夕方まで遊びまわった方が、絶対にいい。イイに決まってる。

だからボクらは外で遊び続けた。もやしっ子は言葉としては存在したけど、ボクの周囲には一人もいなかった。


ところが・・・。最近の子どもは、家で遊ぶことが多いと言う。

友だちと遊ぶ時も、家の中に入って遊ぶのだという。時代は変わったものだ。

そして、母親たちもとても優しい。

家で遊ぶ子どもたちに、お菓子と紅茶を与える。

「ゆっくりしていって」などと優しい言葉を添えて。

こうして大量生産されていくもやしたち。

彼らは、これからの日本を支えていけるのだろうか。

もやしが重たい重たいじいちゃんばあちゃんたちを支えられるのだろうか。

とても不安である。


若林で見た空


ボクが子どもの頃。あの頃降り注いだ、太陽の光は健康な空気を意味していた。

お日様の光に当たってスクスクと育つ子どもが、健康体の象徴。シンボルだった。

でも今は違うようだ。お日様の光は、体に悪い。子どもの頃からUVケアが必要だ。

これからは、情熱的に健康な、白い美肌を保つ子どもの方が、健康体の象徴になってしまうのかもしれない。晴れの日には、日傘を。サンオイルよりも、日焼け止めを。

海になど行かない。お肌が荒れるから。山になんか登らない。お日様に近づくから。こうして、真っ白になった情熱的なもやしが、ボクらじいちゃんばあちゃんを支えてくれることになる。

不安だけど。そう信じしかないのだろうね・・・。