ボクの通う小学校では水泳の時間、帽子を赤・白・黒にわけて階級を作っていた。

黒は水泳の玄人。泳げる距離もスピードも抜群という子どもたち。

白は玄人まではいかないが、そこそこイケテル距離とスピードをもった子どもたち。

赤は、泳ぎについてはほとんど素人。顔を水につけることすらできないという人たちもここに属していた。

また丁寧にも、赤・白・黒の帽子には、それぞれ線が3本つくようになっていて、同じ色の中にも3つの線の区分けによる階級が存在した。それはまるで、カースト制度のような階級制度で、ボクらは見事に差別化されて水泳の授業を受けていた。


若林で見た空


ボクは・・・。いつも、最下位の身分だった。

カースト制度で言うと、アウトカースト。アンタッチャブルな子どもだったから、いつもプールの一番隅でビート版を使って呑気に水泳の時間を満喫していた。

足はものすごくバタバタするのに、前方方向への移動はほとんど見られないボクの泳法は、その頃20世紀の奇跡とも言われていた。

どうしてGINちゃんは前に進まず、下方に沈むのか。

それは、世界七不思議の一つにも数えられた。エジプトのピラミッドはどうやって造られたのかというナゾと同じくらい、高いレベルのナゾとされていた。

ところが、当人はあまり気にしていなかった。

タイムを計るとか、泳法をチェックするとか。そんな細かいストレスなしに、ただひたすら足をバタバタしていると1時間が終わる。

ボクはこのままがいいや・・・。そう思えるようになった。

周りがどんどん前に進んでいくのに、自分だけそこにジタバタしているという状況が、それほど苦痛ではなく、むしろそれも人生なのだろうなと思っていた。

その後。教師たちは、次々と新しい種類の階級制度を編み出していった。

縄跳びの階級制度。長距離走の階級制度。縦笛の階級制度。

ボクは、水泳以外の階級は全て人並だったから、ほっとした。

人生はどこかで帳尻を合わせればいいのだ。

小学生の頃。ボクはすでに、そんな境地で生きていた。