ボクの家は、ボクが小さい頃、商売をしていた。

高度経済成長期、我が家の景気はいざなぎ景気なみに絶好調で、日曜日はよく外食に出かけた。

人を雇い、コンドラチェフ波動のように、長い長いスパンでの好景気状態を続ける我が家の御曹司が、ボク(GIN)だった。

御曹司は、ホットケーキが好きだった。

外食に出かけると、中華料理屋に行っても、和食の店に行っても、彼はホットケーキを所望した。

「あいにく、弊店ではホットケーキを扱っておりません」

中華料理屋の番頭さんがそう言う時は、御曹司はお店をチェンジすることを我が家の主(父)に主張した。主とその奥方(母)は、とても心の優しい人たちだったので、御曹司の思いを出来る限り尊重した。

おかげで、我が家の外食先はごくごく限られたものとなった。

外食が無事終了し、タクシーを使って家に帰ると、シャボン玉ホリデーをやっていた。

植木等さんが、「およびでない、およびでない・・・」と連呼し、谷啓さんが「ガチョーン」と叫んだ。

ボクは、ザ・ピーナッツが好きだったから、彼女たちの歌をみんな覚えた。



若林で見た空


小学校低学年なのに、「ふた~りだけのひめ~ごと ためいきがでちゃ~う」なんて、歌いながら小学校に登校していた。

それから10数年ほど経つと。

我が家の景気にも翳りが見え始めた。

山があれば、谷がある。ジュグラーが示した通り、ボクの家にも不景気の風が吹き込むようになった。

ボクは家業を継ぐという方針から、大学に行って会社勤めをするという方針に人生を方向転換させた。

父が稼ぎ出す、最後のお金で姉とボクは大学を卒業した。

今思うと・・・。

商売。厳しいだろうなって思うけど、やってみたかった。

父親が、ボクに見せた大きな後姿は、今でもボクの誇りだ。

ホットケーキを食べ続けた御曹司も、今や、なかなか大人になったのだ・・・。






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