私は、5年前の2009年に、東海圏で初めて【ママイベント】を開催しました。
今だからやろう!と、思いました。ともかく、一番にある事が、大事だと思ったし、イベント三昧の人生の私自身に、その役目を感じていました。
しかしながら、イベントの裏舞台は、一人では出来ない。
周りを見渡したら、最高のメンバーがいました。
そして、企画書を作成している時に、「キラキラママ☆プロジェクト」という名前が、降りてきました。
雷が落ちるように、ドーンと、した衝撃と共に、パソコンに向かっている私に、言葉が、やってきたのです。
あぁ、、私の今までの人生は、このために苦楽を経験したのだと、思いました。
今だからやろう!と、思いました。ともかく、一番にある事が、大事だと思ったし、イベント三昧の人生の私自身に、その役目を感じていました。
しかしながら、イベントの裏舞台は、一人では出来ない。
周りを見渡したら、最高のメンバーがいました。
そして、企画書を作成している時に、「キラキラママ☆プロジェクト」という名前が、降りてきました。
雷が落ちるように、ドーンと、した衝撃と共に、パソコンに向かっている私に、言葉が、やってきたのです。
あぁ、、私の今までの人生は、このために苦楽を経験したのだと、思いました。
その画像に、真面目なスポンサーはビックリ!
でも、自分の中には、今だからこそ、既存にはない派手なプロモーションが大事だという思いと同時に、そのとんがったスタイルこそ、ママの革命の時代の始まりにふさわしいという、思いがありましたので、妥協しませんでした。
そして、付け加えて、チラシの印刷入稿前に、「どうしても【キラキラママ☆プロジェクト】という名前を入れて欲しい!』とデザイナーに言いました。
後は、入稿だけなのに、、、、今から加えるの?それ、意味あるの?って言われました。
めちゃんこ意味あるよ。
単発のイベントという意味ではなく、これからママの活躍が広がる第一弾のイベントなのだから。
ママの活躍する時代を切り開く、大きな花火の役目がそこにある。
つまり、イベント告知と同時に、プロジェクトの発足宣言だったのです。
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私は、工務店の親方の4人兄弟の3番目で育ち、小学生時代は指揮者、中学生では生徒会長、高校時代は、劇団を立ち上げ、大学時代は、ダンスショーを手がけてきました。
その後、2ヶ月でやめるといわれる究極の鬼の営業会社で、女性NO.1の営業マンとして、2年間で6万人の社長と渡り歩き、声を聞くだけで、その人の背景がわかるようになりました。
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私は、文字を並べると、自身満々で生きているような感じですが、逆説的のように、なんで私は生きているんだろう??という疑問と同時進行で生きていました。
自己肯定感のあやうい中で、必死に結果を出そうとあがいて来た自分を知った時、病気が発見されました。
※今回は、病気になった事は、テーマでないので、さておき。
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私は、その時、○だったんです。
その後、□を産みます。
また、○と□の意味を、私自身、体験します。
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○のコミュニティ
□のビジネス
この関係性に気付いた時、目が覚めました。
また、ブログします。