家族の為に生きて、家族のために死ぬ | ママをハッピーに!キラキラママ☆プロジェクト
13日の夜中に、主人の携帯電話が鳴って、飛びおきた私たち夫婦。
お父さんが大変なの!と泣き出しそうなお義母さんの電話を受けて、ダッシュで病院に行きました。
病院にかけつけた所、意識不明のお義父さんがいて、泣くお義母さん、、。状況を見守りながら過ごしていたら、夜中の2時台に地震がきて、子供を置いてきていたので、私は、お詫びを言いながら、自宅へ戻りました。子供が心配だったのです。。

最愛の娘(主人の妹)が危篤を聞いて、千葉から駆けつけて、到着した所、待っていたかのように、お義父さんは、息を引き取りました。
その時、意識が無かったはずなのに、お義父さんから、目から涙がこぼれたと聞きました。。

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15歳で長崎県から名古屋に来て、工場に50年間勤め、技術者として生きてきたお義父さん。
釣りが大好きで、家族のお祝いの時には、いつも鯛を釣るため、海に行きました。
長崎から名古屋。誰も知り合いがいない。でも、人が良くて、好かれる性格のお義父さんは、お義母さんと出会い、結婚します。
一人からスタートしたからこそ、家族の幸せをかみしめながら、家族を大事に生きてきました。
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お酒が大好きで、楽しいお義父さんでした。
突然の事でしたが、
15日のお通夜、16日の葬儀式となりました。

私は、今まで、嫁として、出来る限りの事をしてきたつもりです。
でも、その事が、正解だったか、わからない。
そうしたら、、主人から、お義父さんの机から、私が宛てた手紙を大事にして取ってあったと聞きました。
泣きました。。まさか、手紙を取っているとは、思わなかったのです。
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「親は、子供の必要なタイミングで死ぬ」
と、聞きました。
でも、今が必要でしょうか??

これから、お返しが出来ると思っていました。
主人も、これからと、願っていました。

お義父さんの教えてくれた家族への愛と、堅実さと、楽しさ。
それを、まっすぐ受け止めて、向き合う主人。

二人で思い出話をしながら、泣きました。

私は、これから、しっかりお義父さんのご供養をしていきます。
そして、お義父さんの優しさのDNAは、息子や娘に、ちゃんと受け継がれています。

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家族の為に生きてきた。
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お義父さんを誇りに思います。

主人が法名をつける時に、名前の「正」とその後ろを考えて、「親」としました。
親しみやすく、愛されてきた意味も在りますが、
「親」として正しい人だったと。

「正親」として、再出発したお義父さんを、これから、応援します!


親として、子供を愛して、信じて、生きてきたお義父さん。
本当に、ありがとうございました。