空襲の足跡
■東京都慰霊堂
関東大震災の際には、
この被服廠(ひふくしょう)跡地に多くの人が避難し、
しかしここで火災旋風に巻き込まれて
たくさんの人が亡くなった。
このため終戦間近の1945年3月10日未明の
東京大空襲による大火災のときは、
震災当時を記憶する周辺の人から
「あそこに避難したら死んでしまう」とされ
ごく少数しかここに避難しなかった。
皮肉にも慰霊堂内は無傷だった。
あの東京大空襲から今年で69年。
例年通りに3月10日に法要が営まれ、
秋篠宮ご夫妻や遺族ら400人以上が参列し、
焼香された。
※舛添要一都知事 追悼の辞
「犠牲となった方々の無念、遺族の深い悲しみを思うとき、
痛惜の念ここに極まる。
戦争の悲惨さと戦災の脅威を語り継がなければならない」
知事のこの言葉は
戦災の犠牲者を悼む人たちの心に
やさしく寄り添うように届いたんじゃないだろうか。
慰霊堂にふりかかる天上からの光は
なんだか昨日の法要での厳かな祈りの様、
紫色にまぶしい気がした。