昨日の「正義」 | 視 界 良 好

昨日の「正義」


※以下「神との対話3」より一部抜粋


~あなたを赦す必要がないのは、

あなたがわたしに逆らって

機嫌を損ねたりするはずがないからだ。

わたしが傷ついたり、

破壊されたりすることはありえないのに、

あなたがたはそうできると思っている。


なんという幻想だろう!

なんと途方もない妄想だろう!

わたしを傷つけることはできない。

どんなことがあっても、

わたしは傷つかない。

わたしは傷つき得ないものだからだ。


そして傷つき得ないものは、

ひとを傷つけることもできないし、

傷つけようともしない。

そんな必要はないのだ。

わたしは無礼だ、失敬だと

機嫌を損ねたり、

傷ついたり、

損なわれたりしない。

そんなことはありえない。


あなたは彼らの価値観を「間違っている」と言う。

だが、あなたの価値観が「正しい」と言うのは

いったい誰だろう? あなただけだ。


あなたの価値観は

あなたが「正しい」と言うから正しい。

社会は数十年前に「正しかった」ことを、

いまは「間違っている」と言う。

そう遠くない過去に「間違っている」と思ったことを、

いまは「正しい」と言う。


何が正しく、

何が間違っているか、

誰にわかるのかね?


何が「正しい」か、何が「間違っている」か、

考え方が変化することは問題ではない。

変わるべきなのだ。

そうでなければ、成長しない。

問題はおおぜいのひとが、

現在の価値観は正しい、完璧だ、

誰もがそれに従うべきだと

しつこく考えつづけることだ。


自分のためになるのなら、

信念にこだわりなさい。

信念をもちつづけなさい。

迷わなくていい。


何が「正しく」

何が「間違っている」と考えるか、

それによって自分が決まるのだから。


しかし、ひとにあなたの考えを押しつけてはいけない。

それに、現在の信念や習慣に「しがみつき」

進歩のプロセスをはばんでもいけない。


どんなに「良い」と思っても、もっと良いことがある。

自分の神学やイデオロギー、宇宙観が

どんなにすばらしくても、もっとすばらしくなれる。

古い真実が心地よいからといって

新しい真実の可能性を締め出してはいけない。



ひとの「間違い」は、

昨日のあなたの「正義」だ。

ひとの過ちは、

いま訂正した昨日のあなたの行動だ。


ひとの選択と決定が「有害」で、

「他人を傷つけ」、

「自分勝手」で、

「許しがたい」としても、

いままでのあなた自身もそうだったのだ。


「どうしてそんなことをするのか、想像もできない」と思うのは、

自分が来た道を、

そしてお互いがこれから行く道を忘れているからだ。


自分は邪悪だ、価値がない、とり返しがつかないと

思っているひとたちに言っておこう。



いつまでも迷っている者はいないし、

これからも決してない。

全員が成長のプロセスにいるからだ。


あなたがた全員が

進化という経験のなかを進んでいる。


それが、わたしだから。
あなたがたを通して、

私が進んでいるのだから。


《右写真》

大室山浅間神社 (静岡県伊東市)
【祭神】磐長姫命 (イワナガヒメノミコト)