みんないっしょ
昨日の運動会のおかげで、体中が痛いわ。
その日のうちに痛くなったで若いわ・・フフ と思っていたが、
次の日にはもっと猛烈に痛くなったわ。
そんなもんよね。
昨日の運動会、私と画伯と杏菜は、せっせと競技をしていたのに対し、
漣人は、ずっととある男の子と一緒に遊んでいたの。
杏菜と同じクラスの男の子。
同じクラスだけど、一緒に過ごすのは給食と音楽と体育だけ。
あとは特別支援学級ですごしている男の子。
その男の子といつのまにか仲良くなっていて、
なんと、4時間ずーっと一緒に遊んでいたわ。
しかも偶然、服の色がまったく一緒だったので、
まわりからみたら、異常に仲の良い兄弟に見えたの。
なにをして遊んでいるんや・・・と思い、こっそり覗いてみたら、
平均台の上に2人でのぼっては
「落ちたらワニに食べられるぞぉおおおお!!!」
タイヤの中に入ってみては
「隊長!!ここは危ないでござる!!」
もう、2人の世界が大爆発よ。
なに言ってんのか、まったくわからんかったわ。
漣人には、偏見というものがあまりない。
どんな人にもあいさつし、どんな人でも遊ぶわ。
(もちろん苦手な人もいる。園長先生とか。笑←緊張するらしい)
産まれて5年強。
物心ついた時には、姉の体には傷があった。
オペでついた20センチの傷も、CVカテが入っていたところのケロイドも、
漣人にとっては、あって当たり前のものだ。「傷」ではないらしい。
姉そのものだ。
物心ついた頃から、姉はハゲていた。
漣人語で言う、「はげつるぴっか」だ。
しかし、なぜ姉がハゲているのかはよく分かってはいない。
とにかく、姉の髪の毛がない という事実を知っているだけだ。
当時3歳の杏菜には「アンタはねぇ、がんなんだよ」と言ったが、
同じことを今5歳強の漣人に言ったところで、なにも伝わらないし理解ができない。
姉が大きな病気だということも、実はわかっていないと思う。
たまに大きな病院へ行き検査を受ける姉を、特別だと思っていない。
病院へいくのは、もう当たり前なのだ。
漣人が生きている期間、ずっと姉は病院へ検査へ行っているからだ。
そしてその間、幼稚園やばあばんちで待機するのも、もう当たり前のことになっている。
「金曜日さ、おねえちゃん病院だで、幼稚園で預かり保育ね」
「ほーい」
なんの疑問も生まれていないわ。
なぜ病院へいくのか、なぜ姉はハゲていたのか、傷があるのか、
漣人にとっては疑問がわかないらしい。
そんな漣人なので、「偏見がない」という表現は間違っているんだろうな。
すべての人が、いっしょなんだろう。
一緒に遊んでいた男の子に、「この子といつ一緒に遊べる?」と聞かれた。
「1年生になったらね」というと、
「じゃあ明日なればいいね」と言う。
「○○くんが3年生になったら、漣人は1年生になるからね。そしたら一緒に遊ぼうね」と言うと、
「わかった。じゃあまた遊ぼうね」と手を振り帰っていった。
どんな人間でも、どんな子も、漣人には関係がない。
ただただ楽しければ、それでもう十分なのだ。
生きていればいい
そんなことはない。
生きているからこそ、楽しくいきたい。誰だってそうでしょう。
生きているだけで十分、なんてことはまったくないよ。
生きているのが辛い人に、生きているだけで なんて言えないわ。
どうやったら、みんなが笑顔で生きていけるんだろう。
漣人なら、そんなこと難しく考えないで、ただただ一緒に楽しく遊ぶんだろうな。