ルイス・フィーゴ Luis Figo 1972年11月4日 -
言わずと知れたポルトガル随一の名ウインガー。1990年代最高のウインガーとも呼ばれており、現代のウインガー達とは違い、そこまでのスピードがある訳ではないが、緩急をつけたドリブル突破を完全に止められる同年代の選手は皆無であった。
フィーゴのプロデビューはポルトガルの名門クラブであるスポルティング・リスボン。
同クラブは今日ではドリブラーの育成に定評があり、フィーゴの他、フットレ、クァレスマ、クリスティアーノ・ロナウドらも輩出している。
1991年にU-20ポルトガル代表として出場したFIFAワールドユース選手権では、ルイコスタらと共に優勝に導き、この世代はポルトガル黄金世代と言われる。
スポルティング・リスボンのアカデミーで育ったフィーゴは前出のワールドユースでの実績やドリブル技術、チャンスメイク能力を評価され、スペインの名門クラブ、バルセロナへ移籍する。
バルセロナではリバウドと共に3トップの一角を務め、当時は選手がピッチの中央に寄る戦術を取っているチームが多かった為、フィーゴとリバウドの両ウイングの破壊力は当時のトレンドを転換させるに至る活躍を見せる。
フィーゴの活躍は、当時銀河系軍団構想を抱いていたレアル・マドリーを動かすものとなる。
2000年夏、フィーゴは当時世界最高額となる移籍金5850万ユーロでバルセロナからレアル・マドリーへ移籍。これが銀河系軍団のはじまりとなる移籍であった。
レアル・マドリーへ移籍したフィーゴは銀河系軍団の中心選手の1人となり、フィーゴ自身は2001年FIFA最優秀選手賞を受賞する。
当初は順調だったマドリーだが、2002-2003年以降は主要タイトル優勝から遠ざかり、それと同時期に当時のレアル・マドリーの監督ルシェンブルゴと確執が発覚し、それ以降はすべて後半途中出場とされる。
その後、05-06シーズンにレアル・マドリーの同僚サムエルと共にインテルへ移籍する。
すでに限界説が囁かれていたフィーゴだが、サイドアタッカーやトップ下といったポジションを見事にこなし、16シーズンもの間優勝から遠ざかっていたインテルを監督マンチーニと共に優勝に導く活躍を見せる。
2006年W杯ではポルトガル黄金時代最後の一人として出場し、W杯4強に導き、代表を引退。
クラブではインテルで過ごした4シーズン全てでリーグ優勝と結果を残し、2008-2009シーズンに現役を引退した。
現役引退後はインテルで幹部となり、親善大使を務め、様々なイベントや会合に出席している。
また、現在もインテルの試合ではベンチで観戦している姿が見られる。