わたしの夢には昔から父親が登場しない。
父親は、別の街に住んで仕事をしていて
母はそこと我が家(と、夢の中で思っている場所)を 往復しているのだけれど
ときどき母も行ったきりになってしまう。
そして、その別の場所がどこなのか... ふたりとも絶対に教えてくれない。。
という夢を 小さい頃から何度も何度も見てきました。
実際の両親とは、17まで同居。
それからイギリスに渡り、3年後帰国してからは 東京でOLしながら独り暮らし、
OLやめて漫画家になるまではふたり暮らし。
漫画家になってからは藤沢でひとり暮らしと1匹だけど
常にアシスタントさんが出入りする生活。
同じ市内ということもあって 実家との行き来、電話&メールも頻繁。
でもなんでか 小さい頃から親と一緒に暮らせない。。
親は一緒にいるのに、わたしをその暮らしに入れてくれない。 という夢を、
何度も何度も観てきたのです。
20代までは気にもとめてなかった。
実際は頻繁に交流があるので へんなゆめ―! ま、いっか。 ってかんじ。
30代過ぎて、 漫画家辞めて、こっちの業界(精神世界)に足を突っ込み
インナーチャイルドという言葉を知ったあたりに
親との関係性について不思議に思うことが多くなった。
母とわたしはわかりやすい逆転親子で
わたしが母みたいで、母が娘みたいでした。
いつからだろう?
高校やめるって言った時も
イギリスで結婚するって言った時も 母は反対し、
子供みたいに暴れまくった。
このひと、わたしが離れたら死んじゃうんじゃ? って思うほど、
捨てないでーこっちを見て。ここにいて。 という、
しめ縄サイズにからみつくエネルギーを 腰あたりにどーんと感じ、
なんだこれは?不自然じゃない? と、気づいたのが2007年くらいかな。
それから母とのワークがはじまり
1年に渡る実家の断捨離祭りが始まり、
母、3度の大怪我と2度の入院祭りを 2007~2009年の間に開催し
その間、家事や雑務一式に翻弄されたわたし。
父、兄、まるで役に立たず。
もう邪魔だけしてくれなければいいから。
というのが2007年の母の脳外の手術時。
もう精魂尽き果て、退院時には
夫婦なんだから、わたしに頼りきるのではなく
まずたりで助け合って、
出来ることは父もやってください。
無理なことはSOS出して。そしたら手伝うから。
と両親に言い放ち
なんとか第一次ワーク(今思えば)を終了。
2009年の年末、
母が今度は肩をバキバキに脱臼骨折した際は
兄と父に最大限のサポートを依頼。
みんなで乗り切ろうと提案。
兄も父も今回はよく動いてくれた。
しかしいつもながらの入院中の母の言動には
(※何度言い聞かせても、毎日毎日、 家に帰るとだだをこねられたり
ひとりで動いちゃだめなのに、 看護師の手を借りまいと、
無理に動いて転びそうになったり)
ほんとうに悩まされ、
最後にはブチ切れ
病室でこどものようにわんわん泣き
おかあさんはわがままだ!
いつもじぶんのことばっかり!
外面(そとづら)よしこだ!
なんでそんなに自分勝手なの!
わたしはあなたのおかあさんじゃないよ!
なんで毎日無理なこと言うの?!
なんでそんなに困らせるの?!
と、母を責め立てた。
病室は個室じゃないので いろんなひとにそれを目撃された(笑)
そとづらよしこ母はあわてて
やめて!はずかしい。
みんな見てるよ。
泣き止んでよ。
と、わたしをなだめるのだけど
いやだ。泣き止むもんか。
あんたがどんだけわがままで
自分勝手か 世界中に知らせるんだ。
とばかりに
わーんわーんとその場で泣き喚くわたし。
母はついに
わかった。。
悪かった。
おかあさんが悪かった。
もう、わがまま言わないから
泣き止んで。お願い。。
ほんとうにごめんね。
と、敗北を認めた。
これまでわがままな姫のようだった母が
泣き喚くわが娘を前に
突如母としてのスタンスに返り咲いた瞬間。
親子逆転が 再逆転した瞬間。
あんたわたしをなんだと思ってんの?
わたしはあんたのこどもなんだよ。
親だと思ったら大間違いだよ。
わたしはもう、親役なんかやらないよ。
さっさとこどもの座を降りなさいよ。
という決死の猛抗議をもって
あたかもフランス革命ばりに
勝利を勝ち取った瞬間でした。
いや、母だってね、
もちろん生まれた時からわたしの母なわけではなく、
祖父母のこどもだし、
三姉妹の長女で なんとなく、
つねにかっこいい、ちゃんとした大人であろう!
という 人生を送ってきたようなので
本心はこどもになりたかったのだろう。
もともと、こどもらしい、純粋で楽しいことだいすき!
という要素満載なひとだし。
というのはわかる。。
わかるので、これまでぐっと我慢してきたものが
この日、爆発してしまったようです。
その日からわたしは
母のこどもであるというスタンスを 取り戻したように思う。
それ以来、夢に出てくる母は
いつもわたしと一緒に暮らしているという設定。
もう父と一緒に別の街で暮らしていることはないのだけど。。
逆に、母とわたしと兄がいる家の中に 父がまったく登場しない!
という状況が始まったのです。
ある種の明晰夢で 家の中を探しまくるのですが
今日もお父さんはいない。。 という結果に終わるのです。
これはたぶん2010年くらいから 顕著になってきたように思う。
今思えばこのへんから 父性の不在 が、
テーマになってきたのでしょう。