ハロウィンが年々盛り上がり、10月31日が「宗教改革記念日」だという話題は私の周りでは全くありませんでしたが、重要なことなので調べてみました。
1517年10月31日、ドイツのベルリン西南100㎞にあるヴィッテンベルクという町で、その事件は起こりました。
大学の神学教授であり、司祭をしていたマルティン・ルターが、ヴィッテンベルク聖堂の扉に「95箇条の論題(テーゼ)」と呼ばれる書面を張り出したのです。
マルティン・ルター 画像出典;wikipedia
当時はカトリック教会が社会的にも大きな権力を持っており、中世以降、カトリックの腐敗を改善する運動が度々起こっていましたが、部分的な改革にとどまり、改革しようとしたウィクリフ、フス、サヴォナロ―ラなどはカトリック教会から異端として扱われ、火刑にされてしまいました。
ドイツでは、16世紀初めからローマ・カトリック総本山の「サン・ピエトロ大聖堂」の建築費をまかなうために、教皇の許可を得て、大商人「フッガ―家」が免罪符の販売を行っていました。
「免罪符」とは、このお札を買えば罪が許されるとしたカトリック公認の証明書です。
ルターは、95箇条の論題の中で、「信仰者は信仰によってのみ救われる」と主張しました。
95箇条の論題 画像出典;wikipedia
この文書は印刷されてドイツ全土に広がり、大きな反響を呼びます。
ルターの「宗教改革」は、現在のプロテスタント教会において基本的神学理解である「人は善行によって救われるのではなく、聖書のみ、信仰によってのみ義とされる。人間を義とするのは、全て神の恵みである」というルターの理解をうちたて、後にこの理解は「信仰義認」と呼ばれるようになりました。
これはルター自身が、いくら禁欲的な生活をし、最大限の努力をして善行を積んでも、「神の前に自分は正しく義である」と確実に言うことは出来ず、長い間苦しんできたことによります。
ルター自身も「信仰義認」の考えを持つようになって、今まで得られなかった大きな慰めを得、心に平安を取り戻すようになったのです。
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